2006年11月11日 ~羽州街道を小坂まで~

11月の1週目は私用があって散歩に行けなかったため、今日は2週間ぶりの早朝散歩。
ところが、天候が芳しくない。天気予報によると、終日雨とのこと。
いつものように朝4時半に起床し、空を見上げてみる。雨は降っていないようだが路面はしっとりと濡れており、やはり微妙な様子。薄暮となる5時半まで降り出さないかどうか待っていたが、いつ雨に祟られてもおかしくない雲行き。歩きたい気持ちが強いので一応家を出たが、降雨コールドのリスクと隣り合わせの出発となってしまった。
今日のルートは、桑折町の自宅から羽州街道を歩いて国見町にある旧宿場町・小坂へと至り、そこから国見町の中心部・藤田を経由し、徒歩で帰宅するというもの。これまで奥州街道ばかりを歩いてきたが、桑折町は山形、秋田を経て青森県油川(現・青森市)に至る羽州街道の起点であり、同じ歴史街道を歩くならやはり無視できない存在だと思ったからだ。なお、当初は藤田から県道浪江国見線、桑折町の東端の伊達崎(だんざき)と経由する予定だったが、この天候だし、無理をせずに藤田から自宅までは8月19日の散歩でも歩いた奥州街道のルートで帰ることにする。
桑折町内にある奥州街道羽州街道との分岐点は、今秋、小公園が整備された。ここを右に折れると奥州街道、左に折れると羽州街道となる。羽州街道はそこから200メートルほど歩くと東北本線、そして東北新幹線の線路とぶつかってしまうのだが、線路沿いにしばらく進むと高さ2メートルほどの歩行者専用の小さなガードがあり、辛うじて「道」がつながっている。
ガードの先は住宅が極端に少なくなり、完全に農村の風景。ここは桑折町の北半を占める半田地区。半田は奥州街道羽州街道双方の沿道にかかる地域だが、主な集落や行政施設は、この羽州街道沿いに集中している。まずは、郵便局、JA、小学校が集中する田町の集落を抜ける。
田町の先で東北自動車道のガードをくぐる。我が国の幹線高速道路のひとつだけあって、夜明け前だというのにトラックを中心にクルマがひっきりなしに走っている。この辺り、周囲は一面の水田だが羽州街道自体は緩やかな登り勾配となっており、見た目以上に歩くのがきつい。しばらく歩くと、後免町の集落。ここの白眉は、地元の豪農である早田家の邸宅だ。建物自体も築300年と伝えられる立派なものだが、代々伝之助を名乗っていた早田家の当主は、江戸時代末期には小坂宿の整備、明治時代初期には当地にあった半田銀山の運営に携わり、更には1960年代には桑折町の町長を務めるなど、地元に残した実績も相当なもの。桑折町長を務めた伝之助の子息も元々桑折にあった早田牧場を北海道新冠町に進出させ、ビワハヤヒデナリタブライアンなどのG1馬を産出させる実績を残したが、無理な経営が祟ってか、2002年に早田牧場は自己破産。再起が待たれるところである。
後免町を過ぎ、普蔵川を渡ると、国見町に入る。町境から15分ほど歩くと、小坂宿に到着。集落の南端にある小坂小学校には小坂宿の成り立ちや歴史についての記述があり、嬉しく思う。貝田といい小坂といい、国見町には歴史的遺産を残そうという気概の高さを感じる。
なお、羽州街道はこの小坂から峠を越えて宮城県白石市小原へと続いている、小坂宿から峠までは徒歩1時間ほどだというが、峠には公共交通機関が通っていないため、1時間かけて登った峠をまた1時間かけて徒歩で降りなければならず、今日の天候ではそこまで行くのはちょっと危険だ。また、晩秋にもなると冬眠を控えた熊が集落の近くにまで出没することがあるので、やはり峠への散歩は断念せざるを得ない。来年こそは峠越えをしてやるぞと、心に誓った次第である。
結局、小学校前から小坂宿の端まで往復し、藤田へと向かった。東北自動車道の国見インターやJR藤田駅前などを通って奥州街道に出、あとは8月19日に歩いたルートで帰宅。天候は小坂までは降らずに何とかもってくれたが、藤田を過ぎたあたりから雨がポツポツ… 最後は自然と急ぎ足になった。