2007年9月2日 ~須賀川から矢吹まで~
夏の気温の高温化が進んでいる昨今だが、太陽の動きだけは、太古から我々を裏切らない。
今朝は4時40分に布団から出たが、外は見事に真っ暗。もう9月だし、今月下旬には秋分を迎えるから、やはり太陽は正確だ。ダラダラしているうちに夜明けを迎えたが、太陽は出てこない。今日の予報は曇りである。これまた順当な結果だ。
今日の散歩は8月19日の続きで、須賀川~矢吹間を予定している。外を一瞥すると雨は降っていないようなので、予定通り出掛けることにする。桑折発5時41分の始発電車に乗って、起点の須賀川へ。車中で天候を注視していたが悪くもならないかわりに良くなる気配もなく、吾妻山も安達太良山も姿を現せてくれない。ハッキリしない天気のまま、須賀川に7時12分に到着。時刻表では7時13分着となっているが、1分の早着であった。
さて、散歩である。須賀川駅前から真っ直ぐに延びている道が奥州街道のはずである。が、沿道は街路整備や区画整理が進んでおり、往年の面影を伺うことはできない。須賀川は往年の大宿場町だったはずだが、その面影を残しているのはむしろ奥州街道から延びる裏通りだったりする。
その中でも目抜き通りの松明通は、ある意味圧巻である。電柱がまったくなく、地下に埋められているのだ。奥州街道においては郡山や福島、仙台といった都市の一部で無電柱化が進んでいるが、須賀川程度の、と言っては失礼だが中小都市においてそんな光景が見られるとは思いもしなかった。電柱の代わりに地上に出ているのがトランスが収納されていると思しき高さ1メートルほどの箱状の構築物で、歩道上に10メートル間隔ぐらいで並んでいる。箱にはウルトラマンやゴジラに登場していた怪獣のイラストが描かれており、殺風景さを少しでも減殺しようとの努力の跡が伺える。
そう言えば、須賀川は、特撮の父と称された円谷英二や、東京五輪銅メダリストのマラソンランナー・円谷幸吉の出身地でもある。「円谷」の字を耳にすると我々の多くは「つぶらや」の訓みを想起するが、実はこれが誤りだったりする。円谷の訓みは本来「つむらや」なのだ。それを証明するかのように、市内には「つむらや」「ツムラヤ」とかな書きされた商店や事業所がいくつか散見された。
市街地南部の大町で奥州街道はようやく旧来の姿を見せ始め宿場町時代を想起させる建物もいくつか登場するが、それも束の間。少し歩くともう街外れである。この辺りの奥州街道もまた大事に扱われていないようで、しばらく西側に離れて走っていた東北本線や福島空港や石川町方面へと向かう国道118号線の中央分離帯によってズタズタに分断されている。それでも何とか奥州街道の跡をたどろうと歩いていると、須賀川市と鏡石町との境界付近に一里塚があった。
一里塚の先で、奥州街道は一旦国道4号線と合流する。相変わらず4車線で太い道路で、旅情が減殺される。が、程なく歩くと奥州街道は再び国道から分岐する。とは言うものの、歩道が完備された2車線の道路であり、古の街道と呼ぶよりは旧国道という表現がしっくりくる道路ではある。
鏡石町は人口1万2千人とそこそこの規模の町だが、町内には確たる市街地がなく、街村とも住宅街ともつかない景観が、街道沿いにダラダラと続いている。実はこのような景色は、私にとって非常に退屈で、しかも疲れを催すものだったりする。わがままな話だが、景観はある程度の時間ごとに変化していった方が、歩き甲斐があるのだ。
鏡石町は文部省唱歌「牧場の朝」の舞台となった岩瀬牧場の所在地であるが、肝心の牧場は街道から2キロほど東にあるので、片鱗すら見えやしない。そんな風景が、30分ぐらいは続いたろうか。沿道の住宅が、突然古びたものへと変わる。どうやらこの辺りが、須賀川の次の宿場・笠石らしい。最初はこんなものかと思って宿場町の様子を眺めていたのだが、よく見ると家々の景観がこれまでの住宅街とは大きく違っていて、庭木や生け垣などが非常に多いのだ。ブロック塀ではなく生け垣。これは新鮮だった。福島県にある奥州街道の宿場町といえば個人的には貝田(国見町)と二本柳(二本松市)が双璧だと思っていたのだが、緑に溢れる笠石もまた、この列に加えられていいだろう。惜しむらくは宿場町当時を偲ばせる看板類が全くないことで、早期の整備を期待したいところだ。
笠石を出ると沿道は田園風景となり、国道4号線と平面交差する。何時の間にやら4車線から2車線に減少していた国道だが通行量は多く、信号待ちで2分ほど費やした。信号を渡った先が、久来石(きゅうらいし)の宿場町。こちらもまた、笠石に負けないぐらい家々に緑が溢れている。ただし、こちらでは嫌な事態にも遭遇した。宿場町のど真ん中で野犬か飼い犬かはわからないのだが放し飼いの犬に吠えられ、追いかけられたのだ。住民は気にならないのだろうか。何とかして欲しいものだ。
久来石の宿場町を過ぎると奥州街道は再び国道4号線に合流。少し歩くと矢吹町に入る。同じ福島県内であるが、鏡石町以北は岩代国、矢吹町以南は磐城国。国境を越えたのにちょっとした感慨を覚える。
矢吹町に入ってほどなく、奥州街道は再び国道より分岐。周辺は既に住宅街。矢吹町は人口1万8千人だから、この辺りではちょっとした都会だ。が、歩けども歩けども、沿道は中途半端な住宅街。矢吹駅が近づくに従って徐々に商店は増えていくのだが市街地らしい賑わいや盛り上がりには乏しく、どこか静かな佇まいである。
結局、街に着いたぞとの感慨が湧かないまま、須賀川駅を発って丁度2時間となる9時12分、矢吹駅に到着。斜光器土偶を彷彿とさせる斬新なデザインの橋上駅だった。
今朝は4時40分に布団から出たが、外は見事に真っ暗。もう9月だし、今月下旬には秋分を迎えるから、やはり太陽は正確だ。ダラダラしているうちに夜明けを迎えたが、太陽は出てこない。今日の予報は曇りである。これまた順当な結果だ。
今日の散歩は8月19日の続きで、須賀川~矢吹間を予定している。外を一瞥すると雨は降っていないようなので、予定通り出掛けることにする。桑折発5時41分の始発電車に乗って、起点の須賀川へ。車中で天候を注視していたが悪くもならないかわりに良くなる気配もなく、吾妻山も安達太良山も姿を現せてくれない。ハッキリしない天気のまま、須賀川に7時12分に到着。時刻表では7時13分着となっているが、1分の早着であった。
さて、散歩である。須賀川駅前から真っ直ぐに延びている道が奥州街道のはずである。が、沿道は街路整備や区画整理が進んでおり、往年の面影を伺うことはできない。須賀川は往年の大宿場町だったはずだが、その面影を残しているのはむしろ奥州街道から延びる裏通りだったりする。
その中でも目抜き通りの松明通は、ある意味圧巻である。電柱がまったくなく、地下に埋められているのだ。奥州街道においては郡山や福島、仙台といった都市の一部で無電柱化が進んでいるが、須賀川程度の、と言っては失礼だが中小都市においてそんな光景が見られるとは思いもしなかった。電柱の代わりに地上に出ているのがトランスが収納されていると思しき高さ1メートルほどの箱状の構築物で、歩道上に10メートル間隔ぐらいで並んでいる。箱にはウルトラマンやゴジラに登場していた怪獣のイラストが描かれており、殺風景さを少しでも減殺しようとの努力の跡が伺える。
そう言えば、須賀川は、特撮の父と称された円谷英二や、東京五輪銅メダリストのマラソンランナー・円谷幸吉の出身地でもある。「円谷」の字を耳にすると我々の多くは「つぶらや」の訓みを想起するが、実はこれが誤りだったりする。円谷の訓みは本来「つむらや」なのだ。それを証明するかのように、市内には「つむらや」「ツムラヤ」とかな書きされた商店や事業所がいくつか散見された。
市街地南部の大町で奥州街道はようやく旧来の姿を見せ始め宿場町時代を想起させる建物もいくつか登場するが、それも束の間。少し歩くともう街外れである。この辺りの奥州街道もまた大事に扱われていないようで、しばらく西側に離れて走っていた東北本線や福島空港や石川町方面へと向かう国道118号線の中央分離帯によってズタズタに分断されている。それでも何とか奥州街道の跡をたどろうと歩いていると、須賀川市と鏡石町との境界付近に一里塚があった。
一里塚の先で、奥州街道は一旦国道4号線と合流する。相変わらず4車線で太い道路で、旅情が減殺される。が、程なく歩くと奥州街道は再び国道から分岐する。とは言うものの、歩道が完備された2車線の道路であり、古の街道と呼ぶよりは旧国道という表現がしっくりくる道路ではある。
鏡石町は人口1万2千人とそこそこの規模の町だが、町内には確たる市街地がなく、街村とも住宅街ともつかない景観が、街道沿いにダラダラと続いている。実はこのような景色は、私にとって非常に退屈で、しかも疲れを催すものだったりする。わがままな話だが、景観はある程度の時間ごとに変化していった方が、歩き甲斐があるのだ。
鏡石町は文部省唱歌「牧場の朝」の舞台となった岩瀬牧場の所在地であるが、肝心の牧場は街道から2キロほど東にあるので、片鱗すら見えやしない。そんな風景が、30分ぐらいは続いたろうか。沿道の住宅が、突然古びたものへと変わる。どうやらこの辺りが、須賀川の次の宿場・笠石らしい。最初はこんなものかと思って宿場町の様子を眺めていたのだが、よく見ると家々の景観がこれまでの住宅街とは大きく違っていて、庭木や生け垣などが非常に多いのだ。ブロック塀ではなく生け垣。これは新鮮だった。福島県にある奥州街道の宿場町といえば個人的には貝田(国見町)と二本柳(二本松市)が双璧だと思っていたのだが、緑に溢れる笠石もまた、この列に加えられていいだろう。惜しむらくは宿場町当時を偲ばせる看板類が全くないことで、早期の整備を期待したいところだ。
笠石を出ると沿道は田園風景となり、国道4号線と平面交差する。何時の間にやら4車線から2車線に減少していた国道だが通行量は多く、信号待ちで2分ほど費やした。信号を渡った先が、久来石(きゅうらいし)の宿場町。こちらもまた、笠石に負けないぐらい家々に緑が溢れている。ただし、こちらでは嫌な事態にも遭遇した。宿場町のど真ん中で野犬か飼い犬かはわからないのだが放し飼いの犬に吠えられ、追いかけられたのだ。住民は気にならないのだろうか。何とかして欲しいものだ。
久来石の宿場町を過ぎると奥州街道は再び国道4号線に合流。少し歩くと矢吹町に入る。同じ福島県内であるが、鏡石町以北は岩代国、矢吹町以南は磐城国。国境を越えたのにちょっとした感慨を覚える。
矢吹町に入ってほどなく、奥州街道は再び国道より分岐。周辺は既に住宅街。矢吹町は人口1万8千人だから、この辺りではちょっとした都会だ。が、歩けども歩けども、沿道は中途半端な住宅街。矢吹駅が近づくに従って徐々に商店は増えていくのだが市街地らしい賑わいや盛り上がりには乏しく、どこか静かな佇まいである。
結局、街に着いたぞとの感慨が湧かないまま、須賀川駅を発って丁度2時間となる9時12分、矢吹駅に到着。斜光器土偶を彷彿とさせる斬新なデザインの橋上駅だった。