2007年9月29日 ~矢吹から白河まで~

今日は、2週間ぶりの散歩。歩くコースは、矢吹から白河までである。
前回矢吹まで歩いたのが9月2日のことだったから、実に4週間のブランク。あの時は残暑が厳しかったけど、今日は半袖で出歩くのがちょっと憚られる天候。季節の流れの早さを実感する。
桑折駅発5時41分の上り始発電車に乗車。スタート地点の矢吹駅着は7時23分着だから、乗車時間は1時間42分。これだけの時間を寝ずに過ごすのはやはり難しく、福島駅の手前で寝てしまう。
二本松付近で何やらガヤガヤとした物音が気になって目を覚ます。見ると、車内には高校生の姿がチラホラ。二本松や本宮から郡山の高校へと通う生徒たちのようだ。よく考えてみたら、これまで郡山方面に散歩に出掛けた日はすべて日曜日。土曜日ですらこの状況だから、平日となればこの電車はかなり賑わうんだろうなと推察する。
トイレに行ったりしたので、矢吹駅を出たのは7時25分のこと。いよいよ散歩のスタートだ。
まずは、矢吹の街を歩く。前回の散歩で矢吹の街はパッとしない印象を抱いてしまったが、どうやら繁華街は駅の南側に展開していたようで、奥州街道に沿って商店街が延々と続いている。印象は修正をせねばなるまい。商店街が尽きると、笠石や久来石と同様に立派な生け垣の家並みが展開する。この辺りが、中畑新田の宿場町のようだ。矢吹~白河間は宿場町の間隔が非常に短く、矢吹宿~(1.2キロ)~中畑新田宿~(1.0キロ)~大和久(おおわく)宿~(2.5キロ)~踏瀬(ふませ)宿~(2.2キロ)~太田川宿~(2.0キロ)~小田川(こたがわ)宿~(3.2キロ)~根田宿~(4.2キロ)~白河宿となっている。他の地域だと宿場町の間隔は5キロ前後だから、突出して短い。という訳で、中畑新田からちょっと歩くともう大和久の宿場町。矢吹から大和久まで、全然家並みが途切れない。
が、大和久を過ぎると、奥州街道はちょっとした峠道になる。地図で見る限りではその兆候はまったくなかったから、少し面食らう。峠を越えると、今度は高速道路をオーバーパス。え、こんなところに東北自動車道が通ってたっけと再び疑問符が頭に浮かぶが、この高速道路は東北自動車道ではなくあぶくま高原道路。東北、磐越、常磐の各自動車道と福島空港とを結ぶ道路だが、福島空港の利用不振がまともに響いているのか、通過するクルマも殆どない。
あぶくま高原道路と交差した先には、立派な松並木が見えている。五本松の松並木と通称されるこの松並木。奥州街道沿いの松並木といえば郡山市和田町高倉の松並木のように率直に言って大したことがなかったりするのだが、ここは予想以上に立派。また並木を構成する松も周囲の木に比べて幹が赤く目立っている。これからも文化遺産として末永く残って欲しいものだ。
松並木を過ぎると泉崎村に入る。早朝散歩を始めてから通算30個目の自治体だ。もっとも、泉崎村が現在も単独の自治体として存続している背景には同村が抱える膨大な債務の影響があるのだが。泉崎村に入って最初の宿場町が、踏瀬。家並みは中畑新田や大和久と大差ないが、家々の表札を覗くと「箭内(やない)」という苗字が非常に多い。その土地土地に定着している苗字もまた地域にアクセントを与えていると思うが、他地域ではあまり見られない苗字という意味合いでは、踏瀬の箭内さんは、南東北奥州街道沿道では越河の制野さんと双璧ではないかと思う。踏瀬の宿場町を抜けると奥州街道は国道4号線と合流。しばらくの間国道を歩く。片側1車線の国道だが、交通量は多い。
泉崎村高屋の交差点で奥州街道は国道と再び分岐。センターラインも歩道もない細い道をしばらく歩くと、太田川の宿場町に入る。家々はいずれも古く立派、しかも道の脇には堀が流れていて、昭和30年代あたりにタイムスリップしたような感覚である。地元の神社の例祭があるらしく、集落内に幟が立っていたのもまた印象的な光景だ。笠石以南の宿場町はいずれも旧態を良く残していると思うが、その中でも太田川の景観はピカイチだと思う。
太田川宿を過ぎると白河市に入り、ほどなく小田川宿へ。集落の雰囲気は太田川と似ているが残念なことに堀が暗渠になっており、その上が歩道。これさえなければ太田川に負けないぐらいの歴史遺産になっていたのではないかと思うのだが。
小田川宿から先は再び国道4号線と合流。2キロほど歩く。歩道は整備されているから歩きにくいことはないが、宿場町が連続する奥州街道を歩いた後だと少し興ざめだ。
萱根の交差点を右に入り、根田の宿場町に入る。根田はこれまで通った宿場町と比べると「産業」の色あいが強く、国道4号線との分岐点に、矢吹方には白河だるま、白河方には醤油・味噌の工場がある。宿場町自体は県道久田野停車場線にも指定されているせいかなんと点字ブロックつきの歩道が整備されており若干興ざめの感があるのだが、町外れにある味噌工場にはちょっと驚かされた。なんと、工場の敷地内に簡易郵便局が設置されているのである。醤油・味噌工場が郵便局の敷地を提供しているなんて全国でもそうはないだろう。明後日から実施される郵政民営化を機に廃業する簡易郵便局が増えているというが、ここもいつまで保つことやら。
根田からは再び国道4号線に戻り、女石の交差点を右折し、国道294号線に入る。奥州街道はこの国道を通って、白河の城下町へと至っている。
白河は「盆地の中の城下町」というイメージしかなかったが、国道294号線にはいると意外にも山深い雰囲気。丘陵を越えると街並みが展開するもののその先には再び丘陵が見えており、白河の天然の要害ぶりを感じる。城下町に入る直前で阿武隈川を渡るが、この川もまた、白河城の外堀の役割を果している。
田町で煉瓦造りとなっている東北本線のガードをくぐり、いよいよ白河の中心街へ。本町(もとまち)、中町と歩いたが、人通りは少なく閑散とした印象だ。この辺の人たちは、まとまった買い物は西隣の西郷村にあるショッピングセンターやあるいは郡山市那須塩原市大田原市辺りまで遠征しているのであろう。
洋館風の駅舎が印象的な白河駅には、10時03分に到着。構内の時刻表を見ると下り列車の到着時刻はわずか2分後の10時05分。慌ててホームへと駆け出した。