2009年9月24日 ~秋保(あきう)まで納骨~

4日前に伯母が亡くなり、今日仙台市若林区内で葬儀が行われるので、参列してきた。
午前9時の出棺に始まり、火葬、葬儀・告別式、法要、会食、そして納骨と一日で一気に終わらせるという強行スケジュール。しかも仙台市街の東部に位置する葬儀会場を出棺してから市街の西端のに位置する青葉区葛岡の火葬場まで行ってから葬儀会場に戻り、葬儀、法要などを済ませた後市街から西に遠く離れた太白区秋保(あきう)にある寺院で納骨となるから、総移動距離は100キロ前後にはなるだろうか。
それでも、葬儀会社のバスに乗って沿道風景を見ていると、知らない街を探索したような気分にはなる。今回の日記では、葬儀会場から秋保までの道のりを紹介しようかと思う。

葬儀会場を出たバスは、まず若林区の下町然とした街並みを通り抜ける。古い住宅が多いが現在地下鉄東西線の工事が進行中であり、そう遠くない将来には街並みが変貌している可能性がある。仙台一高の裏を通過すると、連坊通りへ。かつては連坊小路と呼ばれ一方通行の隘路に商店が密集していたが、この10年ばかりで拡幅し、沿道の建物も真新しくなっている。仙台市内の商店街だと、同様の傾向が青葉区宮町でも見られる。また、宮城野区二十人町では大規模な区画整理によって、街自体がまったく新しい姿に生まれ変わろうとしている。
掘割の下を走る東北本線の線路をオーバークロスすると、五橋の街並み。五橋といえば青葉区の町名だと思われがちであるが、愛宕上杉(かみすぎ)通の東側に位置する三丁目だけが若林区になっている。仙台市は住居表示制度施行に伴う町名整理の後に政令指定都市に昇格したため、区境が町丁を分割してしまっている箇所がいくつか見られる。
愛宕上杉通を横切り青葉区に入った後は、北目町、片平を経由し、仙台七夕前夜祭の花火会場として知られる西公園の脇へ。ここもまた、地下鉄東西線の工事でごった返している。東西線はこの公園の直下を通り抜けた後すぐ西側で谷を形作っている広瀬川を鉄橋で渡り、青葉山の中をトンネルで通り抜け100メートル以上標高の高い太白区八木山へと至る予定になっている。複雑な地形と付き合わねばならない難工事なのだ。
広瀬通との交差点で左折し、バスは仙台西道路のトンネルへと入っていく。仙台市中心部から秋保への一般的なルートは愛宕上杉通を南下して愛宕大橋を渡り、あとは国道286号線をひたすら西進するのだが、今回の運転手は違っていた。愛子から秋保温泉へと至る県道を経由するつもりなのだろう。
果たして、その通りになった。西道路を出、東北自動車道の仙台宮城IC、栗生、愛子の住宅街を通り抜けた後、件の県道へとバスは入っていった。県道の入口は、錦ヶ丘の住宅街。瀟洒な一戸建住宅が立ち並び小規模ながらアウトレットモールもあるが、残念なことに学校がなく、愛子まで歩かねばならないところが珠に傷ではある。歩道に目をやると、集団下校と思しき小学生が、えっちらおっちら坂道を登っていた。
ちょっとした峠を越えると太白区に入り、坂を下りきると名取川に面した秋保温泉となる。仙台郊外を代表する温泉ではあるが、他の著名温泉のように中小旅館や土産物屋などによる温泉街が形成されている訳ではなく、大規模なホテルが東西2キロ程の範囲に十数軒ほど点在しているのが特徴だ。恐らくは、高度経済成長期以降における仙台の街の急速な発展と軌を一にして成長していった温泉なのだろう。
さて、納骨場所の寺院であるが、実は、秋保温泉から更に10キロほど西に入ったところにあったりする。一口に秋保と言っても秋保温泉は東端の一角に過ぎず、その区域は山形県境まで東西に細長く延びているのだ。そんな秋保を東西に貫いているのが主要地方道仙台山寺線。と書くと県境を越えて延びている立派な道のように思ってしまうが、県境付近はダートの細道だったりヘアピンカーブが連続する林道だったりで、クルマの通行は容易でない。が、この主要地方道は、かつては二口街道と呼ばれ、仙台と山形とを結ぶ最短経路でありまた山寺や出羽三山への参詣者が利用したとされている由緒ある街道だ。そう思うと、訪れた甲斐があったなと思う。秋保温泉付近を除いて沿道がいかにも農村チックな風景なのもまた良い。
なお、二口街道の宿場町は、奥州街道との分岐点となる長町、鈎取、茂庭、長袋、馬場、野尻(以上仙台市太白区。なお、鈎取と茂庭は、柴田郡川崎町経由で山形へと至る笹谷街道の宿場町でもあった。二口街道と笹谷街道は、茂庭の西4キロほどの所にある赤石で分岐していた)、山寺あるいは高野(こうや)(以上山形市)にあったとされる。そのうち長袋の宿場町を通過した。秋保の中心に位置し支所や中学校などの施設が集中しているこの集落は、街道沿いに旧家が立ち並び、往時の雰囲気をよく残していた。この先の馬場、野尻も宿場町らしさが残っているという。いつか、歩いてみたい。
長袋を過ぎて少しすると、目的地に到着。平家の落人に端を発すると伝えられ仙台藩重臣としても取り立てられたという秋保家の御廟がある、由緒ある寺院であった。墓地に入ると、「勅使河原家」のお墓が非常に多い。南東北では秋保以外の場所ではなかなかお目にかかれない苗字だが、武蔵七党のひとつ丹党の一派にいる勅使河原氏と何らかの関係があるのだろうか。秋保の歴史の懐の深さを感じた次第である。