2009年9月30日 ~奥州街道再散歩⑦ 岩沼から仙台城下町まで

このところご無沙汰だった早朝散歩。今日は久々のフリーな休日なので、出掛けようかと思う。
今回の散歩では、前々回の終点・岩沼から、仙台の中心部を目指す。できることなら、仙台城下町の北端まで歩いてみたい。
桑折駅発6時29分の下り始発列車で出発。普段通勤で使っている電車だから早起きは慣れたものだが、実は「岩沼で降りなければならない」というのがキモ。と言うのも、岩沼近辺では通勤時は大抵うたた寝中であり、いつも通りに過ごしてしまうと寝過ごしの危険性があるのだ。そこで、桑折駅で缶コーヒーを買って車内で飲み、なるべく外の景色を眺めることにした。
が、知らぬ同士が向かい合って座るロングシートの電車だから、外を眺めるのは非常に難しい。前を見ようとすれば向かいの乗客と目が合ってしまうし、後を見るのも幼児のようでやりかねる。しかも、白石、大河原と進むうち車内が混みだし、外を見るのも難しくなってきた。結局、槻木から岩沼までは席を立ち、ドアにもたれかかって外を眺めていた。
定刻7時17分に岩沼駅に到着。広い構内を歩き、外に出たのは2分後のことだった。
さて、奥州街道を歩く。竹駒神社が鎮座するだけあって宿場町、門前町のムードがある岩沼だが、駅から北は旧家もなく、都市近郊の雰囲気。ちょっと残念に思う。登校中の小学生とすれ違いながら北へと歩いていくと、国道4号線に合流。この辺りは、岩沼市名取市の境界である。国道の両脇は今でこそロードサイドショップなどで埋まっているが、すぐ裏手は田んぼ、既に9月末であるが見たところ稲刈りはあまり進捗していないようで、整然と区画された田んぼで黄金色の稲穂が頭を垂れていた。
その区画に歩調を合わせるかのごとく国道4号線はまっすぐ北に進んでいるのだが、名取市に入ってしばらくすると、奥州街道は左に分岐し、東北本線を渡った西側へと緩やかなカーブを描きながら進んでいく。場所によってはセンターラインすらない隘路ながら周囲の区画に逆らうルートであり、歴史と矜持を感じる。また、周辺は広々とした田んぼが広がっているものの、沿道に限っては住宅が点在し、なかなか「両側田んぼ」にならない。
一昨年夏に歩いた県道仙台館腰線との交差点を過ぎてしばらく歩くと、植松の住宅地の中に入る。最初は館腰駅近辺の新興住宅地だが、館腰というこの付近の地域名の起源となった館腰神社及び弘誓寺(ぐせいじ)付近からは、旧家が建ち並ぶ風景となる。3年前に歩いた時も旧家が多いなとは感じていたが、それが1キロほども続くので、規模の大きさに驚く。植松は宿場町ではなかったはずだが、8キロほど離れている岩沼、増田両宿のちょうど中間にあたるので、往時にはここで身体を休めた旅人もいたのかもしれない。
再び東北本線を渡り、国道4号線と合流。更に東側にバイパスが通っているので一般には旧国道と呼ばれがちだが、名取市飯野坂から仙台市中心部にかけては旧国道もバイパスも等しく国道4号線としての扱いを受けている(ここでは便宜的に「旧国道」の表記で統一する)。
仙台空港アクセス鉄道の高架橋をくぐり、増田川を渡ると、名取市の中心でもある増田の宿場町。あちらこちらにマンションが建ち街道の雰囲気は殆どない。わずかに蔵造りの商家を2、3軒見るばかりであり、しかもそのうち1軒はごく最近修復したようである。
ここから仙台の市街地までは、住宅地の中を歩く。ただし、田んぼがちらほらと姿を現す箇所もあり、この辺りがスプロール現象で都市化していった歴史を知ることができる。旧国道ということもあり交通量は多いが、午前9時近くという時間帯のせいもあろうか、幼稚園の送迎バスの姿が目立つ。秋も深まりつつあるのにTシャツ一丁で大汗かきながら歩いている私の姿は、園児や先生の目にはどのように映っただろう。変質者扱いされていなければいいが…
仙台市太白区に入り南仙台駅の前を通過すると、中田の宿場町。だがここでも、旧家は殆ど残っていない。むしろ名取川を渡った先の諏訪町の方が、それらしい雰囲気を残している。諏訪町は足軽が拠った町というが、広い名取川の北に位置するので、渡船場などあったのではないかと推察する。とすれば、諏訪町の対岸に位置する中田もその役を担っていたということになるか。機会があれば調べてみたいものだ。
諏訪町を過ぎると、目の前に更地が広がる。副都心として再開発が進むあすと長町だ。どこに奥州街道の跡があるのか辿りようがないので、とりあえず太子堂駅の近くで左に折れて東北本線の西側に出、かつて国道4号線だった道路へと出ることにする。1キロほど北上すると、長町の宿場町。たいはっくるをはじめ高層ビル、マンションが建ち並び、ここもまた、宿場町の雰囲気は皆無である。旧国道に沿って商店街が続き「街」の雰囲気を保っているのが唯一の救いだろうか。歩いてみてわかったのだが、一口に長町といっても南側の三丁目と北側の一丁目とでは雰囲気が若干異なる。川崎町や山形市へと通じる笹谷街道(現在の国道286号線のルーツ)の起点であることを強調し山形市の商店街とも交流を深めつつある南側、店先に店主の似顔絵を張り出し下町風の商店街を前面に出している北側。双方がいい意味で競い合いながら、長町が発展していけばいいなと思う。
広瀬川を渡るといよいよ仙台の城下町。時計は9時51分の表示。散歩スタートから既に2時間32分が経過している。ここから城下町の北端までどれくらい時間を要するのか楽しみなところ。
まずは、河原町、南材木町、穀町、南鍛冶町、荒町と、延々と続く若林区内の商店街を歩く。蔵造りの商家や城下町によくある枡形(クランク)を有する南材木町を除けば城下町らしい景観はあまり残っていないのが実情であるが、この辺りの奥州街道は旧国道からも離れているせいもあり、長町以上に下町の雰囲気が漂う。特に荒町の商店街の裏手には高校や寺院も散見されるので、これらの存在が商店街にも投影されているのではないかと推察する。
10車線近くを有し非常に太くなった旧国道を小走りで渡ると、青葉区に入る。ここから先の奥州街道は、五ッ橋通と3回も交わる(一部で同道路と重複)他、南町通、青葉通、広瀬通、定禅寺通と、4車線以上の太い道路と相次いで交差する。駅前のペデストリアンデッキを例外として仙台の街は歩車分離が進んでいないから、いかにして信号待ちを少なくするかが散歩をスムーズに進めるカギとなる。従って、赤信号で止まったり青信号を見ると小走りになったりの連続で、周囲の風景を堪能する余裕はあまりなかった。もっとも、この辺りは今月24日に行われた伯母の納骨の際にバスで通過したばかりなので、ちょっとぐらい見逃しても特に気にはならない。
南町通りを渡ると、右側に一番町のアーケード街が並行する。その姿は直交する道路との交差点からチラチラ見えるが、どちらかと言えば裏通り然とした奥州街道よりも一番町の方が奥州街道に相応しい気がしてくる。二本松でも福島でも白石でも岩沼でも奥州街道は今なお街のメインストリートであるのに、どうして仙台だけは違うのだろうか。
ただし、仙台城下町の道路原標的存在であった芭蕉の辻を過ぎ、広瀬通りを渡ると、様相が若干変わってくる。というのも、奥州街道が仙台の歓楽街・国分町のメインストリートとなるからだ。現在電柱の地下化工事が行われている最中で若干味気ない姿になっている国分町だが、完成の暁には歓楽街にふさわしい街路に生まれ変わるはずだ。なお、国分町界隈は方々に横丁が分岐しており、それらを覗き見るのも楽しいところ。
定禅寺通りを渡ると、歓楽街はおしまい。奥州街道は再び裏通り然とした商店街へと戻ってしまう。しかも、100メートルかそこらの間隔で信号が点在しており、信号待ちに引っかかることが多くなる始末。散歩も遅々として進まない。この辺りは既に城下町の北部にあたるが、南北に縦貫する奥州街道その他の通りに対して東西に長く延びる「北○番丁」(○には漢数字が入る)と称する通りが直交しているため、どうしても交差点が多くなってしまう。かつては市電が通り国道48号線にもなっている北四番丁を例外として大半が一方通行の細道なのであるが地元では抜け道として認識されているようで、いずれの道路もそれなりの交通量を有する。
そんな北○番丁であるが、北六番丁を境にして、交通量が減ってくる。奥州街道の沿道も、また商店街というよりは住宅街の雰囲気に近くなってくる。直進する奥州街道伊達政宗を祀った青葉神社の門前で右折するが、この神社が明治時代に入ってから創建されたせいもあってか、同じ仙台市内の宮町や八幡町(いずれも青葉区)とは異なり、周辺には門前町らしい市街は形成されていない。ただわずかに、古びた蔵造りの家が1軒あっただけである。
むしろこの辺りは、北山五山と称される寺院群があることで知られる。これらの寺院は、そもそもは福島県伊達郡に伊達家が創設した伊達五山が起源。伊達家の遷移とともに移転を繰り返し、仙台城下町の開府とともにこの地に落ち着いた次第なのだ。伊達五山の多くが鎮座していたとされる桑折町から来た身としては、感慨深いものがある。
閑静な風景をしばらく歩くと、今度は北仙台駅付近の商店街に差し掛かる。仙山線と地下鉄が交差する要衝なのでここらで散歩を切り上げようかと思ったが、城下町はもう少し北の堤町まで続いていたので、続行とする。ちなみに、奥州街道仙山線と平面交差しているが、踏切名は「陸羽街道踏切」であった。
堤町に入って時計を見ると、11時を過ぎている。今回の散歩は目まぐるしく風景が変わることもあってかあまり時間の経過を感じなかったのだが、前々回の散歩で記録した最長記録の更新は間違いないところ。
果たして、その通りになった。堤町の特産品でもある郷土人形・堤人形の工房の前で、ちょうど仙台城下町の北端にあたる。南端の河原町に入ってから、1時間18分が経過していた。