2009年9月13日 ~奥州街道再散歩⑥ 二本松から日和田まで

今回の散歩は、前々回の終点・二本松から、一気に郡山市北部の日和田まで歩こうかと考えている。3年前に二本松から本宮市南部の五百川まで歩いたので一駅脚を延ばした次第なのだが、確か二本松から五百川までは2時間半ほどかかっていたはずだから、今回もまた、3時間台を要する長時間散歩になりそうな気配だ。
午前5時に起床。眠い目をこすりながら桑折駅発5時41分の上り始発列車に乗り、6時28分に二本松駅着。どうせ身体を動かすのだからとTシャツに短パン姿で降り立ったのだが、前日雨が降っていたせいか、ちょっと寒い。先が思いやられる。
駅前通りを2分ほど歩くと、奥州街道に合流。城下町の西端に位置する松岡、若宮の街並みを歩く。特に目についた建物はなかったが、通り抜けるのに11分ほどかかった。前々回の散歩で城下町東端の根崎から二本松駅付近まで26分かかったから、奥州街道経由で二本松の城下町を通り抜けるには、37分かかるということになる。実はこれまでの散歩でいくつかの街の旧市街の経由時間を計測しているのだが、福島が24分、白石が21分、岩沼が18分といったところ。二本松の規模の大きさは際立っている。
城下町の先はしばらくは外延の住宅地が続くが、羽石川を渡る辺りで田んぼのただ中となる。ただし、左手に東北本線の線路が寄り添っているので、残念ながら両側田んぼにはならない。逆に右手遠方には、安達太良山の姿が。頂上付近こそ雲をかぶっているものの、裾野はきれいに見えている。
羽石川を渡ると沿道から再び田んぼが消え、住宅地の中へ。意外に旧家が多い。しかし、この辺りに宿場町があったという話は聞いたことがない。正法寺という寺院を中心に住宅が密集していたので、ひょっとしたら門前町だったのだろうか。
疑問を抱いたまま歩き続けると住宅地は消え失せ緩い傾斜の登り坂となり、奥州街道は県道須賀川二本松線に合流する。ここから須賀川市までの間、奥州街道はほぼこの県道とルートを一にしている。
左手から近づいてきた国道4号線をアンダークロスすると、杉田の宿場町。杉田川を境に南北に別れた、細くて長い町である。特に宿場町らしさを残しているのは北側で、旧家が櫛形に立ち並んでいる。金ヶ瀬の体験も相俟ってついつい家々の玄関の位置を確認。すると、大半の家の玄関が、南側、すなわち領主が拠る二本松城とは反対の方向を向いていた。藩政に対して不満でもあったのだろうか。気になるところではある。
杉田川を渡る直前で、東北本線の踏切を渡る。名称を確認すると、第6奥州街道踏切となっている。第6? となると、第1から第5の踏切も必ずあるはずで、それを見つけたいなと散歩への関心がますます高まる。
南側の集落もまた、登り坂。前々回ほどではないが、今回もまた、アップダウンが多いような気がする。いや、アップばかりかもしれない。坂を登りきったところで二本松市から大玉村へと入るが、付近は田んぼが広がるばかりで下り坂は存在しない。考えてみると、福島市役所が海抜68メートル、郡山市役所が同じく245メートルだというから、その傾向は当然と言えば当然だ。
ところで、大玉村奥州街道と言えば3年前に歩いた際には、交通量が多い割に歩道がほとんど整備されておらず、非常に歩きにくい印象があった。ところが、今日歩いてみると、3年前と同じ日曜日の同じ時間帯に歩いているというのに、交通量がずいぶん減った印象がある。そう言えば、今年の3月末に村内を通る国道4号線が、全線4車線化されたんだっけ。従って、これまで抜け道的に利用されてきた奥州街道はその役割を終え、再び静かな佇まいを取り戻したということなのだろう。
30分ほどで大玉村を通過し、本宮市へ。ダラダラと外延の住宅地がしばらく続いた後、宿場町に入る。本宮の宿場町も杉田と同様に、街の中央を流れる安達太良川を境に南北に分かれる。現在は本宮駅を擁する南側の方が栄えている印象があるが、北側の方が旧家が多く残り宿場町らしい佇まいを見せている。
本宮の街で気になったのは、町名の呼称。北側が大町、仲町、荒町、南側が下町、中條、上町と続くのだが、「仲町」という表記は福島県中通りではちょっと珍しい。帰宅後に調べてみたら小野町や南相馬市小高区など福島県東部で同様の表記が見られるようだが、古くから中通り浜通り会津との接点として栄えた影響が町名に残っているのかなと思う。この他にも、下町が「志茂町」と表記されていたり、上町が「かみまち」と呼称されていたりと、福島県中通りではあまりお目にかかれない表記や訓みが散見された(福島県中通りでは、上町は「うわまち」と訓むケースが多い)。
こんな具合に意外な見どころがあった本宮だが、旧市街の規模はさほど大きくはなかった。大町の北端から上町の南端までは17、8分といったところだろうか。むしろこの街は、郡山のベッドタウンとして、近時の発展をみたように思う。それが証拠に、街の東側、阿武隈川の対岸に見える丘陵に、新興住宅地が造成されている。
そう、本宮は、阿武隈川に接した街でもある。そう言えば、昨年の早朝散歩ではできる限りの阿武隈川の橋を渡るというチャレンジをした。河口がある宮城県の橋はすべて制覇したのだが、福島県側は本宮の街の南はずれに架かる上ノ橋が現時点での最南端。せっかく近くまで来たのだから、更にその先の橋を渡ってみたいなとの誘惑に駆られる。
が、奥州街道の景観が、それを押しとどめる。沿道は正法寺付近と同じく旧家が立ち並ぶ仁井田を過ぎると、田んぼが広がる中にパナソニックの大工場という風景。更に前方を見ると、本宮市郡山市との境界を流れる五百川の先に、伊達家と葦名家との戦乱の舞台にもなった高倉山と、その山懐に抱かれた高倉の宿場町が見えた。いよいよ郡山市か… 今回の散歩のルートも、二本松市大玉村本宮市、そして郡山市と、四つの自治体に跨っている。
高倉の宿場町は、意外に規模が大きい。が、考えてみると北に五百川、南に高倉山という細長い土地にしか可住地がない訳だから、そうなってしまうのも仕方ない。耳を澄ますと、山から蝉の声がする。出発当初は気温が低いことを嘆いていたが、ここにきて、気温が上がりつつあるようだ。
宿場町を過ぎるとまた登り坂。この辺りから、沿道に松の木が点在するようになる。かつては立派な松並木だったそうだが、残念ながら現在では数十メートルに一本の割合でしか残っていない。ただ、地元には松並木を保存しようとする気運があるようで、松の若木が植樹されている箇所もあった。数十年後には、ひょっとしたら立派な松並木に変貌を遂げているかもしれない。江戸時代以前の歴史遺構が少ない郡山市だけに、将来に期待したいとは思う。
古今和歌集」にも詠まれた歌枕とされ、「おくのほそ道」で松尾芭蕉も訪れた安積山公園の脇を過ぎると、日和田の宿場町。あと少しで郡山というところまでいよいよやって来た。もっと歩いてみたいところではあるが、既にスタートから3時間20分ほど経過しているのでここから先は次々回の散歩に回すことにし、日和田駅へと向かうことにした。