2009年9月8日 ~奥州街道再散歩⑤ 北白川から岩沼まで

今日は丸一週間ぶりの休日。疲れは残っていたもののしばらく出掛けていなかったので、散歩に行くことにする。予定区間は、前々回の終点・北白川駅から、一気に岩沼駅まで。3年前に北白川から岩沼の手前の槻木駅まで歩いた時は確か2時間半はかかったと思うし、槻木~岩沼間は6キロほど離れているから最低1時間はかかるとみていい。従って、少なく見積もっても3時間半は歩き通しになる。ここ3回ほど3時間以上の散歩をこなしているから特に気にはならないが、歩き過ぎのような気がしないでもない。
普段通勤で使っている桑折駅発6時29分の下り始発列車で出発。普段は県境のあたりで舟をこぐのを我慢して乗車し、6時58分、北白川駅に到着。簡易Suica改札機に定期券をタッチさせ、早速散歩に出発。
北白川駅は白石市にあるが、この後の散歩の行程は、蔵王町大河原町、村田町、柴田町、そして岩沼市となんと6市町に跨る。もっとも、白石市蔵王町、村田町に関しては、ものの数分で通過してしまうのであるが。
北白川駅から白石川を渡り、国道4号線に吸収されている奥州街道に合流。ここで自治体が白石市から蔵王町に変わり、ちょっと歩くと大河原町に入る。一つ目の信号を左に曲がると、早速金ヶ瀬の宿場町に入る。出発してから10分ちょっとしか経っていない。
西部が白石の片倉家、東部が仙台の伊達本家によって形作られた影響で家々の玄関先が西部は白石、東部は仙台の方向を向いているのが特徴の金ヶ瀬。前回訪れた時は家々の様子に感心したものだが、今回改めて見ると、西部が比較的整然と白石に玄関を向けているのに対し、東部は近時の改築で必ずしも仙台の方向に玄関が設けられていない家々が目立つ。同じ宿場町だが、住民意識は若干違うのだろうか。金ヶ瀬の東側は近年造成された住宅地になっているから、その影響もあるのかもしれない。
宿場町を出はずれると、奥州街道は再び国道4号線に合流。仙台圏が近づいていることを示すように、車線が4車線になっている。国道の沿道も、ロードサイドショップが目立つ。ケーヨーデイツー、カワチなどなど全国的に店舗展開している店が多いが、その中に、ギフトプラザの看板があった。会津若松に本社がある贈答品専門の量販店だが、福島や山形に本社がある量販店の多くは、まずは宮城県に照準を定めて県外進出してくるケースが多い。福島からは幸楽苑、ゼビオ、ヨークベニマル、山形からはヤマザワが、その代表例。逆に宮城に本社を置く量販店は、福島や山形になかなか進出しない。面白い傾向ではある。
かつて福岡に本社があったタマホーム、福山に本社がある洋服の青山の店舗の前を通り抜けると、奥州街道は再び国道から離れる。ロードサイドショップの喧騒とは対照的に閑静な住宅街が続く。いや、今は通学時間帯。厳密に言えば、通学の小中高校生の姿が目立つ。福島の小学生は制服着用の班登校というスタイルが多いが、宮城の小学生は私服着用の個別登校が主流。隣の県なのにどうしてこんなにも違うのだろうか。
そんな思いを抱きながら、大河原の宿場町を歩く。国道4号線のロードサイドショップの充実ぶりから宮城県南部随一の商都と呼ばれることが多い大河原だが、宿場町に関して言えば、蔵造りの商家が目立つたたずまい。ただ、奥州街道の遺構を示す標識類は、一切なかった。それは先ほど歩いた金ヶ瀬でも同様。大河原町は歴史に対してやや冷淡な印象を受ける。
宿場町を抜け、再び新興住宅地を通過すると、村田町に入る。ここで三度国道4号線と合流。奥州街道は町域をわずか数百メートルかすめるだけだが、沿道には道中安全を祈願したと思しき観音像が建っているのと、右側から白石川が近づいてきたのが印象的だ。河畔には一目千本桜と称される桜並木。花見の時期には綺麗な光景を見せてくれる。
柴田町に入る直前に奥州街道はまたも国道4号線から別れる。新興住宅地の中を通り抜け、国道4号線との平面交差を経ると、船迫の宿場町。道路が執拗にクランク状になっているのが特徴だが、沿道は旧家が数軒あるぐらいで、特に目立った印象はない。むしろ気になるのは、それまでほぼ東進してきた奥州街道が、何故船迫の手前で北に進路を変え、宿場町を過ぎると再び南東に進路をとっているのか、ということ。
実はこの理由は、現在の地図を見ていただけではわからない。が、宿場町を過ぎてちょっと歩くと、そのヒントが見えてくる。奥州街道の右側に、周辺より標高が一段と低くなった田んぼが帯状に広がっているのだ。実はこれ、1923年まで白石川の河床だった部分。現在は大河原から槻木まで東西方向に一直線に流れている白石川だが、昔はそうではなく、船迫で曲流していたのだ。従って、奥州街道も、川の流れにあわせる形で不自然なルートにならざるを得なかったという次第。
実は一目千本桜も、この白石川の流路変更に大きく関連していて、そもそも流路変更の祝賀の意味で、堤防に植樹されたのが始まりとのこと。だから桜並木の原点は、船岡でも大河原でもなく、この船迫。宿場町を出た後の奥州街道はまたまた国道4号線と交差した後白石川のほとりの新興住宅地に出るのだが、桜並木はこの辺りまで続いているのだ。
新興住宅地が尽きると、右側は白石川、左側は国道4号線の高架橋及び丘陵となる。丘陵の上には確かゴルフ場があったはずだが、奥州街道からは全く見えない。川の向こう岸は工業団地が続く。やや寂しくかつ単調な風景だ。
が、前方に東北本線阿武隈急行の鉄橋が近づいてくると風景は一変し、槻木の町に入る。今日は金ヶ瀬からずっと市街地の中を歩いてきただけに、何もない所から町に入るシチュエーションは、ちょっと新鮮だ。
槻木の宿場町は、江戸(東京)に近い側が上町(かみまち)、仙台に近い側が下町(しもまち)となっている。実は、金ヶ瀬も大河原も船迫も、江戸寄りの町は上町と通称されている。奇妙な共通点ではある。外様大名の代表格で隙あらば将軍の首を…というイメージが強い仙台藩ではあったが、町名の傾向を見る限り、少なくとも表面上は、幕府への恭順の意を示していたようだ。
槻木の宿場町を出ると、奥州街道はまたもや国道4号線と合流する。大河原よりも交通量は格段に増えており、喧騒の中を歩くのに辟易する。幸い、国道のすぐ右脇を槻木で白石川と合流した阿武隈川が流れているので、堤防に登り遊歩道を歩くことにする。川幅は広く、しかも河川敷には畑が広がり、雄大な風景だ。
堤防を降りるとすぐ、柴田町から岩沼市に入る。奥州街道も国道から分岐する。しばらく歩くと、玉崎の集落。かつては阿武隈川の河港として栄え、奥州街道の宿駅としての役割を一時的に担っていたこともあるらしいが、現在は小規模な街村の印象だ。集落内を歩いていると、岩沼市民バスの車両が通り過ぎて行った。このように、利用者の少なくなったバス路線を地元自治体が引き受けて運行するケースは、ここ数年で本当に増えた。車内をチラと見たところ、乗客は2、3人。前途多難が予想されるが地域の足として、頑張って欲しいところだ。
玉崎を出ると沿道は「両側田んぼ」しかも結構長い距離の間続く。右手の常磐線、左手の東北本線の線路もよく見える。もうすぐ稲刈りの季節だが稲の生育が悪いのか黄金色と呼ぶにはもう一歩の状況で、あと2週間後に訪れればいい塩梅になりそうに思う。
この時点でスタートから3時間が経過。非常に疲れたが、ゴールの岩沼の街に入った。あとちょっとだ。
そんなことを考えていたから、街の印象はあまりはっきりとは残っていない。ただ、街の中心に鎮座している竹駒神社を挟んで、北側と南側の街には宿場町らしい家並みが結構残っていることはわかった。特に北側は造り酒屋が何軒かあるのが印象的だった。
岩沼駅には、10時47分に到着。散歩時間3時間49分は、昨年6月14日の3時間47分をわずかに上回り、我が早朝散歩の最長時間記録更新となった。