2009年8月28日 ~奥州街道再散歩④ 南福島から二本松まで

今回の散歩は、前々回の終点だった南福島から二本松までを予定している。前回、前々回と3時間を超える散歩となっているが、今回も3時間超えはほぼ確実だ。
午前5時に起床。桑折駅発5時41分の上り始発電車に乗り、南福島駅着6時09分。駅前は平坦な市街地の中にあるが、今日のコースはアップダウンの連続。最初の登り坂は南にちょっと歩くともう待ち構えている。恐らく10パーミルは超えているであろう相当な急坂を登り切ると市街地が尽き、公園、畑、雑木林の中へと入る。街灯もところどころにしかなく、夜間の歩行は相当に勇気がいるものと思われる。いや、日中だってそうだ。山中の一本道、前後を追いはぎに挟まれれば間違いなくアウトだ。昔その手で被害に遭った旅人も、ひょっとしたらいたかもしれない。
奥州街道の何倍も太い国道4号線をオーバークロスすると、清水町の宿場町へと入る。3年前に訪れた時には小さな集落というイメージがあったが、今見ると結構まとまった集落。表札を見ると、丹治さんという苗字が多い。この丹治さんをはじめ、越河の制野さんや泉崎村踏瀬の箭内さんのように他地域ではあまり見かけない苗字を見ると、何となく嬉しくなる。
宿場町が尽き、周囲に工場が二、三見えてきたところで、今度は国道4号線をアンダークロス。確かこの辺りにドライブインがあったはずだが、更地になっていて驚く。学生時代に何度か訪れたことがあっただけに、残念に思う。
間宿(あいのしゅく)の若宮(浅川新町)、そして福島大学の正門前を相次いで通過したところで、散歩開始から1時間が通過。そろそろ通勤通学の時間帯ということもあり、集団登校の小学生と何度かすれ違う。3年前も二本松市渋川で同様の集団と遭遇し元気な挨拶を受けて好印象を抱いたものだが、今回はどの集団とも、挨拶を交わさずに終わってしまった。周辺は田畑や丘陵が広がっているとはいえ、行政的には福島市。都市と田舎の小学生の意識の違いを感じる。
もうすぐ福島市最南端・松川町にある八丁目の宿場町。3年前は旧国道4号線をそのまま歩いて宿場町へと入ったが。後で調べてみると、奥州街道はそのやや東側を通っていたとのこと。ただし、その大部分は新興住宅地・美郷ガーデンシティに姿を変えてしまい、往時の面影は全く残っていない。それでも、できるだけ奥州街道の跡をたどってみる。これまで見てきた風景とは対照的に真新しい邸宅が並ぶ中を、テクテク歩く。
美郷ガーデンシティを通り抜けると、八丁目の宿場町に入る。石合町、本町(もとまち)、中町、天明根、向町と進む。なお、本町は、旧国道4号線と重なっており、通勤と思しきクルマで混んでいた。宿場町の東方にある北芝電機へと向かうのであろうか。向町から先は住宅が少なくなり、今日の行程では初めて、沿道の両側が田んぼとなる。
境川を渡ると、二本松市に入る。ここから先は、また丘陵が展開する。しかも、東西方向に川が流れているので、激しいアップダウンが何度か繰り返される。今日は坂を登ったり下りたりの連続で、散歩ではなくトレッキングに出掛けた気分になる。
だからこそ、次の宿場町・二本柳に着いた時には、心底ホッとした。3年前に訪れた時に宿場町らしい宿場町だと思ったが、今回もその印象は変わらない。玄関に屋号が掲げられた家々も好印象なのだが、私が特にいいなと思うのは、道路の脇に堀が暗渠されずに残っていること。泉崎村太田川もそうだが、水の使い方が上手な所は、風景も締まって見える。
別の意味で同じことを感じたのが、二本柳の南方1キロほどの所にある油井町の集落。一部の文献には宿場町としての記載がある油井町もまた、旧家が建ち並ぶ落ち着いたたたずまい。しかしそれ以上に気になったのが、集落内に遊佐さんという苗字が散見されたこと。この苗字、宮城県大崎市鳴子温泉あたりでよくお目にかかるのだが、油井町との間で交流でもあったのだろうか。
油井町から先は、もう二本松の市街地の外延。ショッピングセンターや真新しいアパートなど、都市的な風景が長い区間にわたって展開する。二本松市平成の大合併以前福島県で一番人口が少ない市だったから小規模な街というイメージがあるが、元々は丹羽家10万石の城下町。郊外への広がりが欠けているだけで、市街地自体は、意外に広いのである。旧城下町の北端にあたる根崎から市街の中心部にある二本松神社前まで奥州街道を歩いた時間を計測してみると、26分かかった。前々回の散歩で福島市の旧市街地(豊田町郵便局前から信夫橋まで)の奥州街を歩いた時間が24分程度だったから、城下町の規模としては福島を上回っているのだ。もっとも、二本松には街を南北にわかつ丘陵が存在しており、これが現在街の発展を阻害している要因なのではないかと考える。
奥州街道も竹田と亀谷(かめがい)との間にかなりの急坂が存在するが、その分水嶺で、作家・幸田露伴ペンネーム由来の句碑というのを見つけた。これも、3年前にはなかったものである。説明文によると、北海道で働いていた露伴が文学を志し東京へ向う途中、この分水嶺にあった茶屋で休息し「里遠し いざ 露と寝ん 草枕」という、露伴ペンネームの由来となった句を詠んだらしい。大作家と二本松との間にそんな接点があったとは、まったく知らなかった。
終点の二本松駅には、午前9時38分に到着した。