2009年8月23日 ~奥州街道再散歩③ 越河から北白川まで

昨日二本松まで出掛けてそれなりに疲れているというのに、今日も散歩に出掛けることにする。
ルートは、前々回の終点だった越河駅から、3駅先の北白川駅まで。3年前の9月10日に白石~北白川間を歩いているので越河~白石の1駅間をプラスした訳だが、白石~北白川間で徒歩2時間ほどかかる上に越河~白石間が東北本線で8.2キロもあるから、恐らく3時間を超える大散歩になるだろう。体力が持つか、若干心配ではある。
いつも通勤で利用する桑折駅発6時29分の電車に乗り、まずは越河駅へ。定刻の6時42分に到着。越河は無人駅だが今年3月から簡易Suica改札機が設けられたから、定期券をいちいち車掌に見せる必要はなくなった。精神的には多少楽になった。
駅舎を出、北へと歩く。駅前の集落はたいして大きくはないが、奥州街道の西側だけに家々が続いており、その後には丘陵というロケーション。逆に東側は田んぼが展開するが、街道よりも1メートルほど低いところに位置している。従って、ここでも沿道の両側に田んぼという風景は展開しない。しばらく歩くと、国道4号線とともに田んぼの後方にあった丘陵が近づき、奥州街道と国道との合流地点で田んぼが完全になくなった。ここから1キロほどは、鯉の養殖で知られる馬牛沼などのスポットはあるものの、山の中の下り坂となる。
もうすぐ下り終えるかなという地点で、再び奥州街道が国道から別れる。少し歩くと、斎川の宿場町に入る。旧家は結構あるものの、越河のような2階建ての家は少なく、小ぢんまりとした印象だ。宿場町の中心には検断屋敷。かつては参勤交代の大名が泊ったという屋敷も住人がいなくなって久しく、荒れ放題になっている。特に庭の雑草がひどい。誰か定期的に刈り取ってくれないものか。
…と思っていたら、宿場町の北端にある小学校では、地元のお父さん、お母さん方が、草むしりなどの清掃奉仕を行っていた。他地域の人間とはいえ、このような作業をしている脇を黙って通り過ぎるのは、若干の勇気を要する。
宿場町を過ぎると、奥州街道は再び国道4号線に合流。東北新幹線東北自動車道に相次いで跨がれた後、再び国道と別れ、白石の街へと向かう。国道に合流している間はわずかな区間ではあるが両側に田んぼが展開する風景が見られたが、小都市とはいえ郊外の宅地化が進んでいるようで、そのような風景はしばらくお預けとなる。沿道の住宅を見ると、意外にもアパートが多い。いろんな場所を散歩していてわかったのだが、アパートはある程度以上の町場でなければなかなかお目にかかれない。白石以南の奥州街道沿道に関して言えば、越河に廃屋だかアパートだか見分けがつかない建物が1軒あったが、それ以南となると国見町藤田まで戻らなければ見つけられないはずだ。
軽いアップダウンを経、碧水園と名付けられた古典芸能伝承館の前を通過すると、いよいよ城下町。時計を見ると、ちょうど8時である。キリの良さにちょっとびっくり。城下町中の宿場町は、本町(もとまち)、中町、長町、亘理町、短ヶ町、新町(短ヶ町と新町は現在の住居表示では城北町)と続く。が、本町は白石名産の温麺(うーめん)の店が目立つものの特に特徴のない商店街であり、中町、長町は近代的というか昭和時代を思わせるアーケード街。城下町の面影が残っているのは、角田方面からやってきた国道113号線と合流する亘理町から先になる。新町あたりから見える白石城の復元天守閣も、また良い。
城下町の西端に位置する新町から先の奥州街道はそのまま白石川を渡り対岸に出ていたのだが、現時点で橋がかかっていないので、やや東側を通る旧国道4号線に架かる白石大橋まで戻る必要がある、ちょっとまどろっこしい。渡河後、しばらくは城下町の外延となる住宅街を歩く。この辺りの市街化は比較的古い時期のようだが、ナマコ壁の商家や蔵は1軒も見ることができなかった。そんな道を2キロほど歩くと、国道4号線と本日3度目の合流。白石市街から東北自動車道の白石ICを挟んで隣の蔵王町宮までの国道4号線は4車線化されている。大きなトラックやバイクの集団やらが我が物顔に走っており、歩道を歩いていても威圧感を覚える。
そう言えば、3年前の散歩ではこの喧騒が嫌で、奥州街道沿道ではない深谷方面へと分け入ったんだったっけ。いかにも古き良き田舎の雰囲気が気に入っているので今回も訪れようかと思ったが、ここは我慢し、国道をひたすら歩くことにする。
が、白石ICが近付くと、再び逃げ出したい衝動に駆られてしまう。というのも、IC付近の国道4号線には、歩道が設置されていないのだ。路肩の幅が広いので辛うじて歩けないことはないのだが、肝を冷やした。
ICを過ぎ、国道に歩道が復活すると、蔵王町に入る。市部から郡部に入った訳だが、IC至近というロケーションもあるせいか、沿道には工業団地や新興住宅地が展開している。ひょっとしたらかつては沿道の両側に田んぼが展開していたのかもしれないが、今はその面影もない。
このような雰囲気を引きずったまま、奥州街道はまたまた国道4号線から別れ、宮の宿場町へと入る。宿場町自体には旧家が結構あり昔の雰囲気が残ってはいたが、これに負けず劣らず宿場町の周囲ではアパートも目立っていて、ちょっと不思議な景観だ。でも、宮から仙台までの奥州街道の宿場町はいずれも、周囲を新興住宅地に囲まれ肩身が狭そうな雰囲気だったはず。それに比べれば少しはマシなのだろう。
宿場町を出はずれ、再び国道4号線と合流。右手から白石川、左手から丘陵が近づき、国道の車線も2車線となる。人家も田んぼも殆ど見られず寂しい雰囲気の中、ふと時計を見ると、出発から3時間が経過していた。