2010年1月10日 ~家族で白石探訪~

昨日に引き続き、今日も休日。
妻子も休みなので、家族でどこかへ出掛けようとの話を、数日前からしていた。
どこかへ出掛けたつもりで福島市中合で開催されている物産展にでも行こうかという話もあったが、結局、県境を越えて白石市まで温麺(うーめん)を食べに行くことに落ち着いた。白石は我が家から北へ約20キロ。ルートは国道4号線一本なので時間はそれほどかからず、30分ほどで市街に到着。
白石といえば以前は宮城県仙南地方の中心都市というイメージがあったが、近年ではやや北側にある大河原町柴田町の方が行政、経済の拠点として勢いを増している。人口動向も、仙台のベッドタウンでもある大河原町柴田町が微増傾向を維持しているのに対し、白石市は減少傾向。長らく維持してきた4万人の大台を数年前に割り込んでしまい、3万9千人ほどの人口を有する柴田町にすら追い抜かれてしまった。
しかし、そうであるが故に、白石市では観光面に力を注いでいる雰囲気がある。1995年に復元された白石城天守閣をはじめ、街中には蔵造りや武家屋敷風の建造物がやたらと目立つようになった。その過程で、温麺を供する食事処も増えているように思う。元々白石市の名産品として製造が盛んであった温麺ではあるが、以前は食事処はそんなに多くなかったように思う。
そんな食事処のひとつ、やまぶき亭で、温麺を戴くことにする。明治時代に建てられた商家を改築した奥州温麺協同組合直営の店舗で、店内には白石の土産物を扱っている売店や商家の資料を展示したコーナーが併設されている。従って、観光客向けの店舗といえ、駐車場には我々のような他県ナンバーの車や、わナンバーのレンタカーが停まっていた。
座敷の席に通され、メニューを見る。何種類かの温麺があったが、値段は最低でも760円、高いと1,000円を超えるなどやや高め。幸楽苑のラーメンあたりと比べると倍の値段だから、やはり観光客向けと言えそうだ。が、注文した温麺を食べてみると、文句なしに美味いのだ。ラーメンや素麺に比べると、あっさりしていて胃にもたれない感覚がある。
後で調べてみると、一般の素麺がつなぎに油を使うのに対して、温麺は油を使わないらしい。また、温麺は一本一本の長さが約9センチと他の麺類に比べて短いので、一回の箸運びで口に入る量も少なめ。だから食事の時間も、ソバのようにズルズルごっくんと3、4分で平らげてしまうということにはならず、必然的に長くなるし、その分ゆっくりと胃袋に溜まっていくということになる。
比較的近くに住んでいるにも関わらず、温麺なんて素麺と大差ない、せいぜい調理法が温かくするか冷やすか異なるぐらいで、要は名前だけ違うのだろうと思っていたが、それは完全な偏見だったようだ。これだけ食事処が増えたのも、名産品として広く認知されリピーターが増えていった結果ではないかと思う。
食事を終え、店を出る。でも、せっかく白石の雰囲気に触れたのだから、このまま自宅へ直帰するのは少しもったいない気がする。そこで、白石城まで行ってみることにした。私が訪れるのは6年ぶり、通算3回目だが、子供達はいずれも幼稚園の遠足で同所を訪れている。だから城の様子についても子供達の方が詳しかったりするから面白い。
風が強く寒い日であったが、白石城には結構観光客が訪れていた。外国人の団体客もおり、意外な人気ぶりである。復元天守閣を間近にし、早く上までのぼりたいとせがむ子供達。その一方で私は、本丸内のあちこちにある案内板をいろいろと見て回っていた。中でも気になったのは、白石城にあった鐘のこと。
白石城主の片倉小十郎が白地黒鐘の大馬印を用いていたことから市章にも用いられ、また観光用のキャッチフレーズとして「小京都」ではなく「鐘響都」を名乗る(余談だが、白石では「鐘響都」の他、中心街と城とを結ぶ遊歩道を「城来路」(シロクロード)と名付けるなど、オヤジギャグ的なネーミングがやや目立つ)など白石と鐘とは深い関係にあるのだが、白石城本丸内に備え付けられていた鐘は、なんと鎌倉時代に伊達五山の一つとして桑折町に建立されたとされる(後に伊達氏に従って伊達市梁川町などへの遷移を経、現在は仙台市青葉区青葉町に所在)東昌寺より伝わり、明治時代に同じく桑折町内は旧伊達郡役所の裏手にある傳来寺に購入されたとのこと。白石城の鐘と桑折との関わりはかなり以前に聞いたことがあったのだが、鐘自体が桑折⇒白石⇒桑折の移動遍歴を有していたことは全く知らなかった。