2010年1月13日 ~東邦銀行支店巡礼① 本店・県庁支店・中町支店・瀬上支店

昨年12月18日の日記でも書いたとおり、今年前半の散歩は、福島県中通り北部における東邦銀行の本店・支店を、貯金しながら店舗コード順に回ることに決めている。いつから始めようかタイミングを計っていたのだが、できることなら早い方がいいかなと思う。幸い、今日、明日と連休なので、思い切って始めることにした。
昨年の散歩始めも1月16日だから、決して早すぎることはないと思う。ただ、心配なのは天候。天気予報によると、今日、明日ともに雪が降る可能性があるという。だから、朝から空模様とにらめっこ。子供達が登校、登園のために家を出た時には小雪がチラついていたが、時間が経つにつれて雪は止み、陽も射してきた。
よし、出掛けられるぞ。勇躍家を出たのは9時少し前のことだった。
桑折駅発8時53分の電車に乗車。福島駅構内の信号トラブルで多少もたついたものの、1分ほどの遅れで福島駅に到着。9時10分に駅前広場に出た。
まず向かった先は、駅から歩いて7分ほど、福島市大町にある東邦銀行本店(店舗コード101。以下、店舗の後に()にて店舗コードを表示する)。ここで通帳を作成してもらおうと思ったのである。貯金にあたっては手持ちの通帳を持参することも考えたのだが、どうせだったら散歩専用の通帳にしたかったのだ。従って、今日の散歩には、印鑑(三文判)や本人確認用の運転免許証など、いろいろ持参してきた。
通帳はすぐにはできないだろうなと予測はしていたのだが、20分ほどで作成は終了。概ね想定の範囲内であった。通帳の残高記載ページを見ると、入金金額、預金残高の後に続いて「端末記号・店番」の項に「Y101」の表示が見られる。「101」は本店の店舗コードだから来店した証拠にはなるのだが端末記号と思しき「Y」とは何だろう。まあ、この謎の符号も、各店舗を回っているうちに明らかになるであろう。
9時40分に本店を出、次の目的地・県庁支店(103)へと向かう。店舗コードが連番ではないのが若干気になるところ。恐らくは福島市中心部に店舗コード102の支店があったのだろうが、調べてみてもそれがどこなのかはわからなかった。
県庁支店は、その名の通り福島県庁の中にある。本店から県庁通りに出、平和通りを地下歩道でくぐればすぐである。この地下歩道が、昭和の匂いがするというか、結構な年代物。平和通りの直下には2001年に地下駐車場が整備されており、それに付随してこの地下歩道から駐車場への連絡通路を建設するなどリニューアルのチャンスはあったのに関わらず。
福島県庁に到着。我々一般県民にとって県庁は馴染みのない建物であり、私自身もここを訪れるのはまだ学生時代だった15年前以来のこととなる。ゼミの教官が県関連のある書物の編纂に携わっており、庁内にある某課で資料収集の手伝いのため数か月通っていたことがあったのだ。そんな機会がなければ、県庁なんてなかなか訪れられるものではない。
従って、県庁支店が庁舎内にあることは知っていても、庁舎内のどこにあるのかという予備知識は、まったく持ち合わせていなかった。1954年に建築されたという本庁舎1階の案内表示で確認してみると、県庁支店は本庁舎に隣接する西庁舎の2階にあるという。同じ敷地の中とはいえ、移動が小面倒臭い。本庁舎はもちろんのこと、西庁舎(1971年建築)も東分庁舎(1962年~70年建築)も相当な年代物だし、まとめて取り壊してひとつの建物に統一して欲しいと思う。
入金自体は特に支障はなかった。端末記号・店番の表示は「J103」。「J」。謎が謎を呼ぶ記号となりつつある。
さて、次の目的地は、県庁から200メートルほどしか離れていない中町支店(105)。またまた飛び番である。ちなみに、欠番になっている店舗コード104はパセオ通りの北端近くにあった万世町支店で、2002年に閉店となっている。もし万世町支店が健在だったならば、福島市中心部をあっち行ってこっち戻っての往復劇となるところであった。
奥州街道に面した中町は、福島市の中でも珍しく、江戸時代以前の匂いが残る町である。従って中心市街地の割には瓦屋根の建物も目立つのだが、中町支店に関して言えば、変哲のないコンクリート造の建物で、若干興ざめ。同じ中町でも郡山中町支店(201)は見事な石造りなのであるが。そう言えば、福島の街中には、明治から昭和初期にかけて盛んに建てられたはずの石造りの建物が殆ど現存していない。その意味では数少ない貴重な財産であった東北電力福島支店の建物も、昨年あえなく取り壊されてしまった。
なお、中町支店での端末記号・店番の表示は「1105」であった。本店が「Y」県庁支店が「J」とアルファベットが続いていたのに、今度は数字の「1」である。
中町支店の次からは、中心部を離れ一気に郊外へと飛ぶ。次が瀬上支店(106)で、更に飯坂(107)、桑折(108)、保原(109)、梁川(110)、川俣(111)、飯野(112)、二本松(113)と続き、次の南福島支店(114)でようやく福島近郊に戻ってくるという順番だ。まずは瀬上を目指す。中町支店から平和通りを再び渡り、パセオ通り、下町っぽい風情が残る平和通り、小正月の縁起物・だんごさしを売る露店が並ぶ福島稲荷神社、北裡商店街と通り抜け、国道4号線を渡って奥州街道(旧電車通り)へと出た。
瀬上に行くのであれば国道4号線を一直線に北上するのが最短ルートなのであるが、沿道には東福島支店(115)、松山支店(125)があって、まだ訪問する予定がない支店の前を通るのは気が引けたのだ。福島の駅前広場に接している福島駅前支店(118)は無理としても、できることならこの手の支店は避けて通りたい。
従って、少し先に松山支店の看板が見える岩谷下の交差点で右折し、国道115号線へ。この先は阿武隈川を渡り、文知摺観音、月の輪大橋を経由する大回りで、瀬上へと歩を進めたい。

「あくれば、しのぶもぢ摺の石を尋て、忍ぶのさとに行。」
「月の輪のわたしを越て、瀬の上と云宿に出づ。」

要は、松尾芭蕉が「おくのほそ道」で辿ったルートのパクリなのである。なお、芭蕉の旅は瀬上から先、

「佐藤庄司が旧跡は、左の山際一里半斗に有。飯塚(飯坂)の里鯖野と聞て尋ね尋ね行に、丸山と云に尋あたる。…其夜飯塚にとまる。」
「猶、夜の余波心すゝまず、馬かりて桑折の駅に出る。」

と続く。私の散歩も飯坂を経て桑折までは芭蕉の足跡とほぼ一致するのが面白い。
せっかく芭蕉をなぞるのだから、芭蕉が訪ねた文知摺石を見に拝観料を払って文知摺観音の境内へ入ろうかと考えていた。ところが、阿武隈川を渡る辺りから、懸念していた雪が舞いだしてきた。しかも、一向に止む気配がなく、強くなる一方。文知摺観音まではたどり着いたものの、境内は諦めることにした。
さて、問題はここからである。散歩をここで打ち切ってバスで福島駅へと戻るか。それとも強行突破して瀬上へと行ってしまうか。しばし迷ったが、思い切って瀬上に行くことを決めた。そのうち雪が止むこともあるかもしれないとの期待を込めて。
文知摺観音から先は、右側は丘陵、左側は平地という道を、月の輪大橋へと向かった。取り立てて特徴のない農免道路的な道であったが、右手に東根堰と書かれた用水路が見られる。この堰の存在は知ってはいたが、じかに目にするのは初めてだ。と言うのも、福島市渡利中山の取水口(東北電力信夫発電所ダム)から灌漑対象地域である伊達市保原町までほぼトンネルだったと認識していたからだ。地上を流れている部分もあることを、ここで初めて知る。この地域の東根堰が完成したのは1944年のこと。従って芭蕉も目にしていない風景であり、ちょっとした役得だ。
が、その間にも、風雪は勢いを増してきている。芭蕉がこの付近を歩いたのは旧暦5月(新暦6月)のことだから、雪に遭遇しているはずがない。でもこちらは、いくら芭蕉が体験していなくても、願い下げである。
携帯に着信があることに気付く。妻からだ。「今自宅の方は吹雪いてるけど、そっちは大丈夫?」大丈夫も何も、このまま歩き切って何とか瀬上にたどり着くしかない。周囲もよく見えない中をしばらく歩くと、保原街道(主要地方道福島保原線)に合流。芭蕉が渡った月の輪のわたしの後継となる月の輪大橋はもうすぐだ。天候の件もあり、この辺りではとにかく先を進むことばかり考えていたのだが、至近には縄文時代の生活遺構が残る宮畑遺跡があり、じょーもぴあ宮畑という史跡公園の整備が2010年度の完成を目指して急ピッチで進んでいるという。
ここまでは雪こそひどかったものの、風についてはさほどひどいとは思わなかった。ところが、月の輪大橋を渡る前後で、強烈な向かい風が私を襲ってきた。容赦なく吹きつける風雪で、メガネに雪が積もってしまう程であった。そんな経験、ひょっとしたら初めてかもしれない。酔狂で始めた散歩だが、こんな状況に遭遇すると、マヌケの極致と言えるかもしれない。
それでも何とか国道4号線にたどり着いた。見慣れた道に合流してホッと一息つく。ここから国道を700メートルほど北上すると、瀬上支店である。中町支店と同様に変哲のないコンクリート造りの建物に入り、入金。端末記号・店番の表示は「3106」。今度は「3」か。これで「Y」「J」「1」「3」。どういう基準で設けられた記号なのだろう。
瀬上支店を出、近くにある東福島駅へと向かう。時計を見ると、12時03分。東福島駅を発つ桑折方面への電車は12時06分発。瀬上から東福島駅までは徒歩15分ほどだから、ちょっと間に合わない。帰宅は午後1時過ぎになりそうだ。
でもその分、吹雪の中を格闘していた先ほどと比べて、周囲を見渡す余裕は出てきた。と言うか、ここにきて雪が小止みになってきたようだ。瀬上支店から奥州街道に出ると、奥州街道側に「青柳神社参道」の石碑があるのを見つける。気になって支店方向を見ると、国道4号線を越えた先に鳥居と社殿が見える。わざわざ参道が設けられているぐらいだから、それなりに由緒のある神社なのだろう。参道を歩いてみたいとふと思う。
が、東福島駅は、青柳神社とは逆の方向にある。参道散策はあきらめ、住宅地の中の道をトボトボ歩くことにする。福島学院大学が至近にあるせいか、学生を目当てにしたアパートや飲食店が目立つ。学生と思しき女性とも、何度かすれ違う。
東福島駅には12時17分に着いた。暖房の効いた待合室で缶コーヒーでも飲みながらゆっくり待つかというスタンスだったのだが、電車が強風の影響で15分ほど遅れていると言う。これはちょっとしたラッキー。急いで切符を買って駆け足で跨線橋を渡ると、私の到着に合わせるかのように電車がホームに滑り込んできた。

帰宅後、夜になってまた雪が降ってきた。明日も歩こうかと思っていたのだが、止む気配がないのでちょっと難しそうである。次回のルートは東福島駅から飯坂支店、桑折支店と立ち寄り、そのまま自宅へと戻る予定。先に述べた芭蕉の足跡はもちろんのこと、散歩ルートに面した福島市飯坂町湯野にある西根神社で小正月恒例の行事・うそかえ祭が開催されているので、その様子を見たかったのだが… 残念。