2010年1月20日 ~東邦銀行支店巡礼② 飯坂支店・桑折支店~

結局、14日は終日雪で、散歩には出掛けられなかった。15日からは5連勤だったので、第2回目の東邦銀行巡りは、20日に決行と相成った。気になる天候はというと、大寒だというのに予想最高気温は13度と、前回とは打って変わって春到来を思わせる晴天とのこと。快適な散歩が期待できそうだ。
子供達を学校・幼稚園に送り出した後、桑折駅発8時13分の上り電車に乗車し、前回の終点であった東福島駅に8時21分着。福島学院大学へ向かうとおぼしき大量の女子大生に混ざって跨線橋を渡る。年齢、性別共に浮いた立場の私。ちょっと恥ずかしい。
さて、今回の散歩は、東福島から西進して飯坂支店(107)を経由し、地元の桑折支店(108)に立ち寄ってそのまま自宅に帰る、というもの。前回の散歩にも記したが、「おくのほそ道」で松尾芭蕉が歩いたルートでもある。
東福島駅の出口は東側にあるので、飯坂方面に向かうには、駅の北側にあるガードをくぐって線路の反対方向へと出なければならない。考えてみれば、東福島駅の西側は、散歩でもクルマでもあまり通った記憶がない。ある程度は予想はしていたが、人家や学生アパートが連なる東側に比べ人家の密度はまばらで、代わりに果樹園が広がっている。福島市北部の市街地は国道4号線や飯坂街道(主要地方道福島飯坂線)に沿って展開しているので、この界隈のように主要道路が通じていない指の隙間のような地域では市街化はさほど進んでいないようだ。
そんな場所を40分ほど歩いていると、福島交通飯坂線の医王寺前駅近辺の住宅地へと入る。飯坂街道沿いには高度成長期に建てられたとおぼしき古い住宅が目立つが、駅周辺、特に飯坂線の東側には新しい住宅も多い。この傾向は、医王寺前に限らず飯坂線のいくつかの駅近辺で見られる。
医王寺前駅からは、源義経の家臣であった佐藤継信・忠信兄弟の墓所があり芭蕉も訪れた醫王寺へと歩を進める。醫王寺は医王寺前駅の表記にも見られるように「医王寺」と表記されることが多いので、旧字体を使用した「醫王寺」という表記には違和感があるかもしれない。が、汎用性が高いとはいえ固有名詞。だから、神社仏閣の名称も、人名と同様に常用漢字などの枠にはめずできる限り正規の表記を用いていきたいと思うのである。
とはいうものの、戦後六十余年にわたる漢字制限の歴史は我々の生活に浸透しきっているのも事実であり、当の醫王寺自身も「医王寺 第一駐車場」などと書かれた看板を掲げていたりする。まあ、表記など大方の人にとっては瑣末な話なのだろう。
前回の文知摺観音同様拝観料を必要とする境内には入らず、飯坂温泉へと向かう。醫王寺から飯坂までのコースは昨年10月18日に歩いたコースと同じで、2005年に建てられた福島市役所飯坂支所をはじめ新しい住宅や施設が建ち並ぶ一帯。途中、ギャラリー梟(ふくろう)というフクロウグッズのコレクションを展示した美術館を目にし、中に入ろうか一瞬迷う。そういえば飯坂には、飯坂片岡鶴太郎美術庭園や飯坂明治大正ガラス美術館など、アート系の展示施設が結構多い。惜しむらくは、それぞれの施設が若干離れているため徒歩で回遊するのが難しいことだろうか。
佐藤兄弟の父親である佐藤基治が拠った大鳥城跡の真下をトンネルでくぐり抜け、いよいよ飯坂の街。言わずと知れた温泉街であるが、歩いてみてふと思うのは、街の中で寺社の姿がよく目立つこと。毎年10月に例大祭・けんか祭りが開催される八幡神社をはじめ、かつてはその別当寺であった八幡寺、温泉街のほぼ中央に位置し飯坂出身で江戸時代初期の囲碁本因坊・秀伯ゆかりの常泉寺、信達三十三観音の第十二番札所・満願寺観音、等など。もちろん、飯坂温泉のランドマーク的存在である共同浴場・鯖湖湯に隣接した鯖湖神社も、その列に加えられよう。
その鯖湖湯のすぐそばの旧家で、現在急ピッチで工事が進められている。ここは飯坂の豪農・豪商として知られ戦前には衆議院議長やイタリア大使を務めた善兵衛、旧東京市長や内務大臣を務めた善次郎の兄弟を輩出している堀切家の旧邸宅で、工事内容は、本年5月のオープンを目指し新たな観光拠点として整備しようというものだ。工事現場のフェンスに、明治時代初期の飯坂の絵図が掲げられている。堀切邸が飯坂で有数の豪邸であったことを示すために掲示されたもののようであるが、八幡神社、八幡寺、常泉寺もまた、目立つように描かれている。昔の飯坂は温泉街以外にも門前町としての性格も有していたのだろうか、と思う。
ここまで歩いてきて、飯坂の雰囲気がが以前とは変わってきていることに気付く。少なくとも10年前の飯坂は廃業した旅館やホテルの廃墟が建ち並ぶ半ばゴーストタウン的な雰囲気で正直なところ足を運ぶのも遠慮がちだったのだが、その存在が以前ほどには目立たなくなっているように思うのだ。もっとも、温泉街をつぶさに見まわせば、現在でもその種の建物は、かつては温泉街の代表的風景をなしていた摺上川沿岸を中心に相当数存在している。が、2000年代に入ってから鯖湖湯周辺を中心に歴史を感じさせる建造物や街並みが前面に押し出されるようになった結果、訪れる人々の視線もそちらに集中しがちになったのではなかろうか。
街並みそのものをビフォーアフターよろしく大改造するのではなく、重点的な建物や景観をピンポイントで整備し、訪れる人の足をそこで止め、印象に残す。飯坂はこの手法で、ある程度成果を残しているように感じる。上方を見れば、廃墟となったホテルが嫌でも目立ってしまう。だからこそ、鯖湖湯周辺において近年展開された高くてもせいぜい二階建てにとどまる和風建築のリニューアルや路地を石畳風に整備する施策はそれらから視点をそらす効果を発揮するし、今後も広い範囲で積極的に展開して欲しいと思う。
心強いことに、この戦略は現在進行形である。先ほど見た旧堀切邸の整備もその一つだが、この散歩の目的地である東邦銀行飯坂支店の前の道路でも、舗装を石畳風にする工事が進められていた。ただし、支店の建物はここでも変哲のないコンクリート造で、若干興ざめではある。ATMで1,000円を入金。なお、前回の散歩でも気になっていた通帳の端末記号・店番の項には「H107」と表示されていた。端末記号は久しぶりにアルファベット表示である。
飯坂線の終点・飯坂温泉駅前に架かる十綱橋で摺上川を渡り、湯野地区へ。しばらくは取り立てて特徴のない商店街が続くが、よく見ると、和菓子屋が目立つ。和菓子が温泉土産として配られる機会が多いことを考えれば、この辺も温泉の街・飯坂の真骨頂であろうか。飯坂の和菓子屋が連携して街を盛り上げていこうという話は今のところ耳にしたことはないが、歴史を感じさせる街並みには和菓子が似合うと思うのでPRのためのイベントやキャンペーンを是非とも開催して欲しいところだ。
商店街のはずれに、西根神社が鎮座している。今月13日から17日にかけて小正月の伝統行事・うそかえ祭が開催されておりその期間内に散歩で訪れたかったのだが、悪天候のためかなわなかった。祭が終わった後の境内は誰もおらず、素寒貧としている。西根神社は、伊達地方西部を今なお灌漑している西根堰を江戸時代初期に開削した古河善兵衛と佐藤新右衛門の二人を祀っている。我が地元を潤してくれた先人に感謝する次第。
湯野から桑折までは、県道飯坂桑折線を一気に歩き通す。これまで何度も通ったことがあるから特に新たな発見などはなかった。が、であるからこそ、沿道至近にある法明寺観音、大沢寺観音、慈雲寺観音と信達三十三観音巡りをしたくなったり、一部区間が県道に沿って流れている西根堰を辿ってみたくなったりと、ついつい寄り道を夢想する。定番の道を歩いていると、どうも新たな刺激を求める傾向にあるようだ。今後の行程もその大半は以前に通ったことがある道だから、注意が必要かもしれない。
誘惑(?)を振り切り、散歩開始から3時間近く経過した11時20分、桑折支店に到着。飯坂支店の時と同様にATMで1,000円を入金したところ、端末記号・店番の表示は「3108」。今度は端末記号が数字であった。