2010年1月9日 ~子供と桑折町内を歩く~

今日の午後、小学2年の上の子と桑折の町をちょっと散歩してきた。
親子での散歩はかなり珍しいことだし、その様子をここに書き留めておく。というか、散歩で立ち寄った地域について好き勝手なことをいろいろ書き殴っているのに、地元の桑折町については殆どノータッチだったので、たまには書いてみたいと思ったのである。
歩いた場所は、JR桑折駅近くにある我が家から、中心街の南端にある旧伊達郡役所まで。奥州街道を往復してきたのだが、合計距離は2キロ超といったところか。長距離散歩に慣れていない子供がよくついてきたものだ。
沿道の景色を見ていて思ったのが、ここ数年で桑折では宿場町を意識した施設が増えたな、ということ。2006年に奥州街道羽州街道の分岐点・追分が小公園として整備され、翌2007年には本町(もとまち)にある空き店舗の蔵を再整備して観光物産スペース・桑折御蔵(おんくら)がオープン。更につい先日、2009年11月には東北大学都市・まちづくり研究会が中心となって北町にある旧家の空き店舗が再整備され、カフェ図書・まゆたまがオープンするに至っている。いわゆるまちづくりについてさほどの知識を私は持っていないが、とりあえず、頑張っているという姿勢は見える。ハッキリ言ってしまうと、福島市伊達市に合併してしまっていたらここまでの独自性を発揮できたかどうかは非常に怪しいところだ。
いずれも桑折にとっては貴重な財産になるであろう。しかも、本町の南端にある旧伊達郡役所と桑折御蔵、桑折御蔵とまゆたまとはそれぞれ2、300メートルほど離れており、徒歩で散策するには程良い間隔だと思う。もっとも、まゆたまは学生が運営する店ということもあり、土日のみの営業ではあるが。また、桑折駅から郡役所までの間はほぼ全区間で歩道が整備されており、歩きやすくなっているのも嬉しく思う。ちなみに、昨年11月には、安心して歩ける空間を更に確保するために、車道幅を狭めて歩道幅を広げる社会実験を行ってもいる。
しかし、であるからこそ、町内散策の基点となるであろう桑折駅からまゆたままでの距離が700メートルほど空いてしまっている現状は、散歩マニアとしては気になるところだ。この辺りは元々宿場町ではなかった地域なので難しい部分はあるが、欲を言えば、両者のちょうど中間に位置する福島蚕糸の工場跡地に何かあると嬉しい。現時点では同地点には地元の野菜などを販売する軽トラ市が毎月第4日曜日に開催されているが、できれば恒久的な施設が欲しい。養蚕の歴史を簡単に紹介するような小公園なんかどうだろうか。工場跡地の近くに昭和を意識した駄菓子屋が近年オープンしているので、桑折の近代を紹介できるような施設があればいいように思う。その意味では、現在検討されている山形県のスーパーの工場跡地への安易な誘致には賛成しかねる。
近現代といえば、旧伊達郡役所もまた、展示物に微妙な変化が見られる。1階に、日本最古の国産自転車とも言われる三元車のレプリカが展示されているのだ。昨秋名古屋市トヨタテクノミュージアムに展示されている三元車の実物が桑折に一時的に里帰りして地元ではちょっとした話題になったが、それが名古屋に戻った後もレプリカが残っていたとは思わなかった。里帰りの際に学校の授業で三元車を見に行ったという上の子も、興味深そうに眺めていた。
なお、郡役所の2階は、町の北方に位置し、江戸時代から明治時代にかけて栄えた半田銀山の資料が展示されている。地元では石見大森、但馬生野に並ぶ日本三大銀山を自称しているが、であるならば、これらの地域と手を携えて「銀山サミット」なんて開催してみるのはどうだろう。もっとも、2007年に世界遺産に登録された石見銀山がこの話に乗ってくるかどうかはわからないが。ちなみに、桑折町には、2008年に羽州街道沿道地域の人たちを招いて羽州街道サミットを開催した実績がある。
私の趣味にあわせての散策になってしまいこれらのスポットが幼い子供の目にどのように映ったのかは、定かではない。ただ、彼らが成長した時に、故郷である桑折に誇りが持てるかどうかは、二つの街道が合した宿場町としての歴史、あるいは郡役所、三元車、半田銀山、養蚕といった近代の産業遺構をどのようにPRしていくかがカギになってくるとは感じる。そして願わくば、これらが呼び水となって町外から観光客、訪問客がもっと訪れるような町になってくれると嬉しい。
郡役所からの帰途、まゆたまに立ち寄った。ごくごく正直な感想を言うと、入りにくい店だし、学生が接客していることもあってサービス的にも他の喫茶店と比べると劣るのは否めない。が、桑折とは縁もゆかりもない学生が頑張っているのは好ましく思う。上の子もまた読書を満喫しながら紅茶をすすっていたのが、強く印象に残った。