2010年3月27日 ~北海道家族旅行記④~

心ならずもススキノまで足を運んでしまったせいで、ホテルに歩いて戻るのが億劫になってしまった。そこで、タクシーを拾ってホテル経由で札幌駅まで行くことにした。今は午後2時を少し過ぎたところ。新千歳空港を発つ仙台空港行きの飛行機は6時15分発とまだ間があるが、早めに新千歳空港まで足を運びたいと思ったのである。友人知人や親戚へのお土産もまだ買っていないので、空港内の売店でゆっくり品定めをしておきたい。
タクシーはすぐに拾えた。カーラジオから流れてきたのは、ファイターズの試合中継。今日はアウェーの千葉で、マリーンズとの一戦だ。もし昨晩あたり札幌ドームで試合をやっていたならば観戦に行きたいところであったが、いかんせんドームの場所は東豊線の南の終点・福住から更に1キロほど歩いた先の羊ヶ丘。観戦に行けたとしても、ホテルに戻る時刻は相当遅いものになっていたであろう。
試合中継を聴きながら、運転手と会話。
「ファイターズが札幌に来るまでは選手の顔なんて全く知らなかったけれど、新庄(剛志)さんが来てくれたのが良かったね。それからチームも強くなったし」
「札幌駅から大通までの地下歩道ができてしまうと、駅近辺のビジネス街に用がある人はみんな地下歩道にながれちゃって、地上を歩く人がいなくなっちゃうよ。札幌はただでさえ景気が悪いのに、ますますさびれちゃうよ」
奇しくも、昨晩の旧友と同じく、札幌の景気の悪さが話題に出た。余所者の私にとっては決してそのようには映らないが、市民にとっては共通の認識なのだろうか。
札幌駅前に到着。JRタワーの大きさがひときわ目立つ。ここの展望台も訪れてみたいところだったが、今朝既にテレビ塔に登っていたし、ホテルから返してもらった大荷物を抱えているので、やめにした。やはり、新千歳空港まで行ってしまおう。改札を通り、エスカレーターを上って高架のホームへと行く。宮の沢以来良く言い聞かせていた効果があったのか、子供達は前の人に倣って、歩いてくる人のために片一方をきちんと空けて乗っていた。
その新千歳空港へと向かう快速エアポートであるが、予想以上に混んでいた。14時25分発の142号は旭川発のスーパーカムイ28号と同一列車ということもあり座席が確保できず回避。続く14時40分発の144号も小樽始発のため子供達の座席を確保するのがやっとであった。エアポートの運転間隔は15分ヘッドとかなり短めだが、空港アクセス以外の用途で利用されることがあるので、こういう仕儀になることが多いようだ。
新札幌だったか北広島だったか忘れたが、親切なお客さんが、私達夫婦に席を譲ってくれた。心遣いに感謝しながら外の風景を見ていたら、朝から曇っていた空から雪が降ってきた。
なごり雪。最初はそう思ったが、これがとんでもない暴風雪となる。新千歳空港に着く直前には、視界も利かない状況になっていた。これはこれで、飛行機がちゃんと飛ぶのか心配の種になる。
定刻15時16分、エアポートは新千歳空港駅の地下ホームに到着した。構内のエスカレーターでターミナルの2階にある土産物屋街へと上がり、まずはお土産を買いこむ。地下はもちろんだが2階も外が見えづらい構造になっているので、とりあえずは雪を気にせず、買い物することができた。
帰宅直後になかなか会えない人たちへもお土産を渡すことを考えていたため、その内容は、日持ちが良い焼き菓子系のものが多くなりがちだ。以下、購入リストを示すと、
 
カリカリまだある?(札幌カリーヨシミ)
⑵ジャガポックル(カルビー千歳工場で製造している北海道限定商品)
⑷北海道じゃがっキー(わかさいも本舗)
札幌農学校(洋菓子きのとや)
 
といったところ。
なんと、白い恋人パークへ行ったにも関わらず、白い恋人を買っていない。カリカリまだある?やジャガポックルなど、北海道限定で販売している商品をメインに買い揃えてしまったためだ。この2種は相当人気があるようで、いくつかの土産物屋では「お一人様何個まで」と購入に数量制限がかかっていたほどだ。ちなみに、白い恋人に関して言えば、白い恋人パークにて、このスポット限定で販売している白い恋人キーホルダーを購入している。どこまでも限定品に弱い我々一家である。
その他の菓子については、ポテトチップチョコレートは以前知人から頂戴したことがあり、食べた時の甘じょっぱさが忘れられずに買った次第。北海道じゃがっキーは製造元が今回訪れていない洞爺湖温泉のわかさいも本舗ということもあり買う予定がなかったのだが、売店のおばちゃんが熱心に勧めてくれたこともあり、折れて購入。そう言えば、北海道のテレビでは、わかさいも本舗のCMが目立っていたように思う。CMキャラクターを演じていたのは、洞爺湖に程近い豊浦町出身の元世界チャンプ・内藤大助であった。そして、札幌農学校は、旧友の推薦によるもの。甘い味のミルククッキーとのことだが、これまで購入した菓子がいずれも辛かったりしょっぱかったりだったので、味的にもバランスを取った形になる。
こんな感じで買い物に精を出していたのだが、ふと現実に戻ると、天候悪化の影響が徐々に露呈していた。空港内の放送でも「何時何分発の○○行は何分遅れる予定です」などというアナウンスが何遍も流れている。我々が乗る飛行機も遅延を覚悟せねばなるまい。
「飛行機は飛ぶと思うけど、今日家に帰る? それとも仙台に泊まるという手もあるけど」買い物を済ませた後の喫茶店での休憩中、妻が私に尋ねた。実は私は、明日から普通に仕事。仙台市内にある勤務先に近いホテルに泊まった方がいいのではという計らいだ。
しかし、泊まれたとしても、せいぜいビジネスホテルが関の山。昨晩がサービスの良かった札幌グランドホテルだっただけに、落差は拭えない。というか、ビジネスホテルで7時間ほど眠れたとしても、自宅で5時間しっかり眠ったほうが疲れが取れることを経験上知っている。恐らく着くのは午後11時を過ぎるだろうが、それでも自宅に帰りたいと、私は思った。
懸念は、案の定となった。6時15分発のはずの飛行機は、雪の影響で6時35分に遅延と一旦変更のアナウンスが流れた後、再度6時55分に変更された。しかも、当の時刻になっても、出発ゲートからはなかなか移動できずにいた。子供達の機嫌が悪くならないか心配だったが、とりあえず、落ち着いてはいるようだ。それだけが救いだった。ただ、トイレが若干近くなっているようだ。なかなか出発できない鬱憤が、溜まり始めていたのだろう。
結局、飛行機の中に通され、滑走路を異動し始めたのは、7時半を過ぎた頃だったろうか。その頃にはみんなグッタリ疲れていた。飛んでくれるだけでも一安心とばかりに、子供達は早々と寝入ってしまった。でも、妻と私は、眠ることができなかった。やはり、離れてしまう北海道が名残惜しかったのである。機体が滑走路から離れると、眼下に見える千歳や苫小牧の街並みを、見えなくなるまで眺めていた。
仙台空港に着いたのは、8時半になるかならずかのことであった。昨日の往路の飛行機では上の子が耳を痛くしたが、今度は私の耳がキーンと痛んだ。子供達は機内で寝ていたこともあってか、特段異常なしであった。
仙台空港からは仙台空港アクセス線に乗って一旦仙台まで出、駅構内のレストランで簡単な夕食を摂った後、9時56分発の福島方面への最終電車で、桑折の自宅へと向かった。私にとっては通勤路線でもあるし、妻もまた、あとは自宅に帰るだけという安堵感があったのだろう。飛行機で寝なかった分を取り戻すかのように、電車の中で寝入ってしまった。 
逆に子供達は、起きていた。上の子は仙台駅で買い与えた漫画雑誌を夢中で読みふけっていたものの、下の子はというと、両親が早々と寝てしまったため不安でしょうがなかったらしい。「ねえ、おきてよ。ねちゃったらどこでおりていいのかわからないでしょう!」と隣で寝ていた妻を揺すり起こすそぶりを見せていたという。小学校の時よく言われたっけ。「家に着くまでが遠足です」って。下の子にとっては仙台すらも知らない土地である訳で、家に着くまで気の抜けない旅行であった訳だ。
11時06分に桑折駅に到着し、ここから歩いて帰宅。いやはや、一泊二日にしては長い行程であった。疲れ切っていた我々は、荷物の片付けもそこそこに、風呂に入って就寝した次第である。
 
こんなハードな旅行であったにも関わらず、後日子供達に訊いたら、「また北海道に行きたい!」と間髪入れず返事がに返ってきたのが、とても嬉しかった。
でも、今度北海道に行く機会があるとしたら、せめて二泊三日にしたいな、とは思う。訪れるスポットは少なくても構わないので、もう少しじっくりと、観光気分を味わってみたいものである。