2010年3月31日 ~東邦銀行支店巡礼⑪ 笹谷支店・西福島支店・渡利支店~

先週末の北海道旅行の余韻がまだ残る中、今日の休日を迎えた。
疲労もまだ残っていたので丸一日休養に充てることも考えたのだが、結局散歩に出掛けることにした。
それにしても、3月は散歩に出掛ける機会が少なかった。1日、18日、そして今日31日。でもまあ、初日と末日に出掛けられたのだから、良しとするべきか。
春休み中で夜更かしと朝寝坊を繰り返している子供達がまだ布団の中でモゾモゾやっていた午前8時に家を出て、8時13分発の上り電車に乗車。8時21分着の東福島で下車する。普段は福島学院大学の学生で賑わう朝の東福島駅だが、こちらも春休み中なので、今日は学生の姿は見られない。
駅から200メートルほど南を東西に横切っている北幹線(県道飯坂保原線)で線路の西側に出、1キロほど歩いた先の日通の角の交差点で左折。ここを500メートルほど行くと市道鎌田笹谷線へと突き当たるので、右折して西進し、次の訪問先である笹谷支店(122)方面へと向かう。
この市道、前回の散歩で福島中央市場支店(121)を訪れた際も歩いたし、クルマで福島市中心部方面へ訪れる際も比較的お世話になる回数が多いのであるが、意外なことに、国道13号線以西の区間には縁がない。だからこそ、来訪を心待ちにしていた部分はあった。
国道を渡り、未知の区間に入る。沿道の左側で近年大規模な区画整理が行われたこともあり、歩道もきちんと整備されている。この地域においては幹線道路と位置付けられているようで、ロードサイドショップの進出も著しい。特に目立っていたのはパチンコ屋の存在で、1キロほどの区間に3軒も集中していた。福島市北部におけるパチンコ屋は鎌田から旧伊達町にかけての国道4号線沿いにのみ集中しているとの認識があったのだが、修正せねばなるまい。
それともう一つ、ロードサイドショップではないが、沿道には運送会社の営業所の集中も著しい。福山通運名鉄運送、ヤマト運輸、王急便、近物レックス… そう言えば、北幹線にも日通の営業所があったし、東北自動車道福島飯坂インターチェンジ福島市中央卸売市場にも程近いこの界隈は、福島を代表する流通拠点と呼んでいいのかもしれない。
そんな道路を塞ぐかのように突然現れるのが、福島交通飯坂線の踏切である。踏切の先には飯坂街道(主要地方道福島飯坂線)があるので、特に朝晩は交通上のボトルネックになっているものと思われる。が、予想に反して踏切も飯坂街道との交差点も、あっさりノンストップで通過した。踏切の右手を見ると、桜水駅車両基地がわずかに顔を覗かせていた。
飯坂街道から先も、市道は萬世大路との交差点に差し掛かるまで800メートルほど西へと延びている。飯坂街道との交差点にて門番のように建っているコープマートと福島銀行笹谷支店の建物の脇を通り抜けると、これまでとは打って変わって閑静な住宅街となる。家並みを見渡すと、いずれも築20年から30年は経過しているようだ。こうした「古びた新興住宅地」は総じて貧相な雰囲気になりがちなのであるが、笹谷に関して言えば、ガス灯を思わせる雰囲気の街灯が主要道路に沿って整備されているおかげで、街全体の雰囲気も落ち着いているというか、成熟したものになっているような印象を受ける。街灯も街の個性といったところか。
飯坂街道と萬世大路との中間にある交差点で左折。センターラインも歩道もない細道だったが、こんな細道にも街灯が整備されているのが嬉しい。しばらく歩くと萬世大路に合流。目指す笹谷支店は、萬世大路を少し歩いた先にあるヨークベニマルのすぐ近くにあった。コープマートと福島銀行の組み合わせの至近にヨークベニマル東邦銀行の組み合わせがあるのが面白い。もっともヨークベニマルの至近には東邦銀行の他に大東銀行の笹谷支店もあるのだが。
ATMで1,000円を入金。この入金で、預金通帳の残高が20,000円になった。どこまで貯められるだろうか。通帳を見ながらニンマリする私。なお、通帳末尾の端末記号・店番欄の記載は「3122」であった。端末記号が「3」なのは、なんと桑折支店(108)以来である。
笹谷支店の次は福島駅西口にある西福島支店(123)を訪れる。まずは、大東銀行の脇から延びている細道を南下。さすがにこの道には街灯は整備されていない。というか、ここは笹谷ではなく、北沢又地区。宅地化されたのは笹谷よりも遅かったようで、沿道の家々も比較的新しい。
しばらく歩くと、前方に松川の堤防が現れる。登ってみると、遮るものなく聳え立つ吾妻、安達太良の山々がきれいなこと。一種の感動すら覚えた。ただし、松川の河原に関して言えば、大石小石がゴロゴロしており何の整備も受けることなく放置されているのが気にかかるところだ。
気にかかると言えば、ここまで歩いた細道の延長上にに架かっている阿保原橋という歩行者専用の橋も、関心が湧くところだ。通常この種の橋は川を越えて通学している小中学生のために設置されることが多いのだが、現在の阿保原橋界隈は小中学校とも松川が学区の境目になっている。もしかしたら、宅地化が進んでおらず学校の数も少なかった昔においては、そういった役目を負っていたのかもしれないが、いずれにせよ、推察に任せるしかない。歩いてみると、生活用の橋としてはそれなりの需要があるようで、歩く私の脇を自転車に乗った小父さんがベルを鳴らしながら追い抜いて行った。
松川を渡り福島市街に近づいているはずだが、川の南側は、どちらかといえば農村チックな風景。福島市北西部においては飯坂線や奥羽本線に沿って手指のように市街地が広がりを見せていったようで、その隙間にあたるこの界隈には、結構田畑が残っている。
が、近年福島西道路という「水かき」ができてしまったせいで、大規模な区画整理も行われている。田園風景が広がる傍から始まる真新しいロードサイドショップ街。しかも、しまむらユニクロが向かい合わせ、NTTドコモとauが隣合わせに対峙しており、横綱同士ががっぷり四つに組んでいるかの様相を呈している。また、福島西道路の沿道でも、ヨークベニマルとコープマートが近場で睨み合っていた。
ところが、福島西道路を渡ると、道幅が急に狭くなり、沿道の住宅も笹谷のような多少古びた落ち着きを見せるようになる。この辺りは森合団地と呼ばれる住宅地であるらしい。が、住所的には南沢又、野田町、森合と三つの大字に跨っており、町・字の錯綜が著しい。福島市は中心部を別にすれば住居表示制度が未発達であるが、その状況でよくぞ生活に不便を来さなかったなと感心する次第。
いや、実は不便はあるにはあって、単に福島市が対策を施していなかっただけなのかもしれない。後述するが、この散歩の終盤で、その一端を垣間見ることになる。
広々とした芝生が印象的なふたつやま公園やテニスコートの脇を通り、奥羽本線の踏切を渡ると、いよいよ福島市の中心街。さっそく目に飛び込んできたのは福島製作所とポリテクセンター福島。福島市工業都市というイメージが乏しいだけに、かえって新鮮な風景だ。
意外に敷地面積が広いローンプラザ福島支店(133)の脇を通り抜け、しばらく歩くといよいよ西福島支店。位置的には福島西口支店とした方が良さそうだが、福島市内には南福島(114)、東福島(115)の両支店があるので、名称を揃えたのだろう。この辺り、郡山市内になると郡山南(204)、郡山北(220)、郡山東(222)と方角が市名の下につくから面白い。ATMにて21,000円目となる1,000円札を入金。通帳末尾の端末記号・店番欄の記載は「1123」であった。
福島駅に着いてしまったので散歩も打ち切ろうかと思ったのだが、時計を見ると、スタートからまだ2時間しか経っていない。これでは物足りないので、次の渡利支店(124)まで足を延ばすことにした。
駅の東西を結んでいる地下通路を渡り、駅前通り、平和通りと進んで、国道4号線の舟場町交差点へ。ここから渡利方面へは、国道が通る太い大仏(おさらぎ)橋とそのすぐ脇にある細い松齢橋の二つの橋が架かっている。大仏橋の方は2月12日に川俣までバスで向かう時に通ったし、それより何より松齢橋は1883年に架けられた(ただし、現在の橋は、1925年に再架橋されたもの)歴史の古い橋だから、経緯を評してそちらを渡ることにする。
渡利支店は松齢橋の延長を道なりに歩くと、すぐに見つかった。ATMで本日三度目の入金。通帳末尾の端末記号・店番欄の記載は「1124」。西福島支店に引き続いて端末記号が「1」である。
さて、これで本日3店舗目。さすがにここで散歩は打ち切りとなるが、このまままっすぐ福島駅まで戻るのは味気ないので、これから花見のシーズンを迎える花見山公園の近くまで渡利の街を歩いてみようかと思う。渡利支店を出た私は、県道山口渡利線を東進し、花見山方面へと向かった。
この県道が、実はものすごく狭い。渡利には国道4号線、114号線と4車線の道路が縦貫しているものの、それ以外の道路網が恐ろしく貧弱であり、花見山観光にとっても大きなネックとなっている。こうした道を「花見山号」の表示を付けた臨時バスが先週の土曜日から行き交っているのである。来月初旬に桜が満開になればこれに加えて団体客を満載した観光バスも頻繁に訪れる訳で、明らかにオーバーキャパシティ。
この辺に関しては福島市でも気を配ってはいるのだろうが、都市政策の立ち遅れは火を見るより明らか。花見山を観光地として定着させたいのであれば、渡利全体を対象にした大規模な区画整理事業は不可避と考える。それは観光のみならず、将来の住民生活にとってもプラスをもたらす施策になるはずである。
「花もみもある福島市」。これが現在の福島市におけるキャッチフレーズであり、花見山はその象徴的存在でもあるのだが、そこに是非とも「百年の計」も加えて欲しいものだ。一日も早く、渡利に「第二の後藤新平」が現れることを願いたい。