2010年4月10日 ~東邦銀行支店巡礼⑫ 松山支店・方木田支店・大森支店~

4月に入ってからも間隔が開きがちになっている我が散歩。5日の月曜日が休日だったのだが雨のためあいにくの中止となり、今日まで延びてしまった。3月31日以来中9日の散歩となる。
今日の行先は、松山(125)、方木田(127)、大森(128)の各支店。なお、以前は店舗コード126として泉支店清水出張所があったが、2002年に廃止されている。
面白いのは、前回の終点である福島駅を起点として一旦市街の北東にある松山支店まで行き、再び福島駅付近を通過して市街の南西にある方木田、大森の各支店を回ることである。前回の散歩も東福島駅→笹谷支店(122)→西福島支店(123)→福島駅→渡利支店(124)→福島駅と回ったのだが、前回と今回のルートを地図上でトレースすると、福島駅を中心とした蝶結び状になっている。
ただし、前回の蝶結びの輪っかは、渡利付近にちょこっと張り出したいびつなもの。今回はできる限り丸に近い輪っかが描けるよう心がけたいところだ。
桑折駅発7時45分の上り電車で出発。電車に揺られて福島駅に到着し、8時ちょうどに駅舎を出た。駅前広場では、古関裕而のブロンズ像から、8時を知らせる「さくらんぼ大将」のメロディーが流れていた。
駅前通りのアーケード、そして奥州街道を歩き、国道4号線を横断。そのまま奥州街道を歩くのが松山支店への近道だが、丸に近いルートを心掛けた寄り道をし、上浜町を経由して福島成蹊高校の脇を通り抜ける。近年国公立大学への進学実績が目覚ましい私立の福島成蹊高校は土曜日の今日も授業日であったらしく、校舎内で授業を受ける生徒の姿が道路からもよく見えた。
国道114号線を横断し、更に北上。腰浜町の住宅街を過ぎると左手に福島市児童公園が見えてくる。公園と遊園地の中間のような施設で遊具も総じて古びているが、そのレトロ加減が妙に気持ち安らぐスポットだ。道路沿いには桜並木があり、現時点でようやく蕾が膨らみ始めたところだろうか。あと1週間、来訪を遅らせた方がよかったかもしれない。
児童公園を過ぎたあたりで、20代から40代ぐらいの歩行者と何度かすれ違う。どうやら、福島競馬場への通勤者のようである。また、競馬新聞を小脇に抱えたオヤジ達の姿もチラホラ見えている。どういう訳かあまり報道されないが、東北地方で唯一の中央競馬場である福島競馬場福島市中心部の雇用や賑わいの創出にある程度貢献していると思う。福島市はこの辺、もう少しアピールしても良いのではないだろうか。仙台からも恒常的にお客さんを呼ぶことができる数少ない施設なのだから。
刑務所を思わせる高い塀と見張台、照明塔が印象的な競馬場の東側を過ぎ、しばらく進むと、国道115号線との交差点に差し掛かる。松山支店はこの国道と国道4号線とが合流する岩谷下の交差点のすぐ近くにある。時計を見ると8時50分になるところ。確かATMが開く時刻は8時45分だから、タイミング良く入金ができそうだ。
…と思っていたのだが、今日は土曜日で、ATMは9時ジャストに開く。すっかり抜かっていたというか、1月30日に保原支店(109)を訪れた時も似たようなミスをしていたことを思い出した。10分間、松山支店の前で不毛な休憩タイム。
ただ待っているのも退屈なので、下らないことをいろいろ思い起こしてみる。そんな中で、松山支店という名称は、実は近県の地方銀行にもいくつかみられることに気づく。酒田市には荘内銀行松山支店があるし、大崎市には七十七銀行松山支店があった。七十七銀行の方を過去形で書いたのは、近年出張所に格下げされたからだ。
こんな具合に思い起こしていたムダ知識が切れかかった時、ようやくATMコーナーの自動ドアが開いた。保原支店の時は10人前後のお客さんが列をなしていたが、松山支店は私一人。街中にある支店なのに、利用頻度は高くないようだ。いつものように1,000円を入金。通帳末尾の端末記号・店番欄の表記は「1125」であった。西福島、渡利の両支店に続いて、端末記号欄の表記が「1」である。
松山支店からは岩谷下の交差点まで戻り、前々回の散歩でも歩いた祓川沿いの遊歩道を進む。同じ場所を重複して歩くのは好まないが、ここは何度歩いても楽しい。そう考えている人は少なくないのか、リュックを背負った中高年の姿もチラホラ見える。すぐ北側にそびえている信夫山まで、花見がてらハイキングといったところか。
福島県文化センター福島テレビの前を通過し、宮下町の住宅地へと入る。特段変わったところはないが、唯一、橘高校の裏門があったのが意外な発見。この高校はすぐ東側を縦貫している県庁通り側にしか校門がないものと思っていたのだが。
ここでふと、今日の散歩では、かつて女子高だった男女共学の高校の前を4つも通ることになるのに気がついた。既に通過したのが上浜町の福島成蹊高校と福島県文化センターのすぐ東側にある福島東陵高校、そして今通過したばかりの橘高校に、これから訪れる予定の方木田支店の至近にある福島西高校。意図してそのようなルートにした訳ではないが、高校生の2倍超も年をくっている中年男性としては若干気恥ずかしいものがある。
福島銀行本店の大きなビルの前を通過し、パセオ通りに入る。ここ十数年主要店舗の閉店が相次ぎ活気がすっかり失われた感がある商店街だが、宮下町の凡庸な住宅街から入ってみると街路樹(もっとも、今はまだ葉が繁っていないが)や石畳が妙に眩しく感じられる。意外な視覚効果である。
全長470メートルのパセオ通りを歩き終えた後は平和通りを西へと歩き、あづま陸橋を渡って福島駅の西側へと出る。これで輪っかは完成した。あとは、南福島駅まで紐を伸ばしていくだけである。
陸橋を渡り終えると突き当たる福島民報の本社ビルの前から、県道福島微温湯(ぬるゆ)線に入り、すぐに現れる八木田橋で荒川を渡る。橋を渡ってすぐに分岐する道を左に折れると、福島西高は目の前だ。部活動が盛んなようで、校庭や校地の周囲ではランニングに精を出す生徒の姿が目立っていた。先ほど目にした福島成蹊高校の生徒が勉学に励む姿とは好対照だが、実は福島西高もまた、半数以上の生徒が四年制大学へと進学するという文武両道の進学校である。
福島西高の周囲は、スプロール現象で市街化が進んだと思しき住宅地である。道路も概して狭く、校地の周囲を走る高校生も道幅の半分近いスペースを占領してしまうほどだ。ただし、前回の散歩で訪れた渡利とは異なり、こういった道路を行き交うクルマは多くない。と言うのも、この付近では東西方向に県道福島微温湯線や新旧の国道115号線、南北方向に都市計画道路方木田茶屋下線や福島西道路などよく整備された道路が通っているので、隘路をわざわざ通る必要性が少ないのだ。従って、私も快適に、歩を進めることができる。
しばらく歩くと、旧国道115号線との交差点に差し掛かる。ここを右折して100メートルほど歩くと、方木田支店だ。ATMにて入金。訪れた店舗が24店舗目ということもあり、1ページ目の記帳欄がすべて埋まって2ページ目に更新される。2ページ目の冒頭に記された「繰越」の表示にささやかな喜びを感じる。なお、通帳末尾の端末記号・店番欄の表記は「5127」であった。
再び交差点に戻り、南下。しばらく歩くと、県道水原福島線に合流する。大森街道と通称され昔も今も福島と大森とを結ぶメインルートであるのだが、この道もまた、センターラインすら設けられていない隘路である。ただし、歩道は片側にだけ辛うじて整備されているので、歩き心地は悪くない。
国道115号線を地下道で横断し、いよいよ大森へ。沿道は方木田界隈と同じくスプロール現象で宅地化が進んだと思しき住宅地だが、ところどころに旧家も見られる。庭でこいのぼりを泳がせている旧家もあった。早いもので、こどもの日まであと一月を切っていたのだ。東邦銀行巡りを始めた頃は寒風吹きすさぶ季節であったのに。
福島の外延の住宅地にしか見えない大森だが、歴史をさかのぼれば城山公園を中心とした城下町でもある。その面影がわずかながら感じられる場所もあるので行ってみたいという気持ちはあったのだが、無情にも大森支店は城山公園の北1キロほどの地点に設けられている。元々あった大森の町を意識したのではなく、近年の宅地化に歩調を合わせて開店した店舗なのだろう。ATMで入金。通帳の2ページ目、「繰越」の文字の下に入金記録が記載される。末尾の端末記号・店番欄の表記は「3128」であった。
大森支店を出、南福島駅に向かって歩く。すると、「宅地化が進む大森」をある意味象徴している二つの道路に出っくわす。いずれもこの3月27日に開通したこれらの道路。一つは東北新幹線東北本線をアンダーパスし国道4号線や国道114号線に直結している都市計画道路小倉寺大森線、もう一つは小倉寺大森線との接続地点まで延伸開通した福島西道路である。
次回の散歩では、南福島駅からこれら二つの道路を歩き、福島市北部の平野支店(129)を訪れる予定だ。だから今日は、これらの道路をできるだけ通らないようにし、沖電気防災やNOKなど工場が建ち並ぶ裏道を進むことにする。今裏道と書いてしまったが、考えてみればこの道はかつて南福島駅と大森とを結ぶメインルートの一つだったかもしれない。今でもその雰囲気は幾分か残っているようで、クルマの交通量もそこそこあり、沿道には工場の従業員やこの辺りに多く住んでいる福島大学の学生をターゲットにした飲み屋やカラオケ屋が何軒か見受けられた。