2010年6月4日 ~東邦銀行支店巡礼⑳ 須賀川支店(前半)~

5月26日に雨天のため散歩を断念してから多少間が空いた6月4日。いよいよリベンジに出掛ける時が来た。
まずは、前回散歩を断念した下亀田交差点まで行く。前回の散歩の日記でも記したが、ここは第六中学校のバス停に程近く、電車よりも高速バスを使った方が行きやすい。が、福島と郡山とを結ぶ高速バスが1日8往復しか運行されていない影響で、アプローチは若干間延びしたものになる。
まずは、いつものように桑折駅発5時41分の上り始発電車に乗車し、福島駅に5時54分着。いつもならここで上りの「北斗星」をやり過ごして郡山方面へと南下するのだが、今回はここで下車し、福島駅東口6時45分発の高速バスへと乗ることになる。
時間が1時間近くもあるので、とりあえず待つ場所を探す。駅ビル内のマクドナルドがいいかなと思い行ってみるが、なんと、マクドナルドは先月いっぱいで閉店してしまったという。福島市の衰退も、ついにここまで来てしまったか… 落胆の心境で、仕方なく駅前のコンビニで立ち読みし、時間をつぶす。
かなり長い間立ち読みしたつもりだったがまだまだ時間が余っていたので、外に出て、駅前広場をブラブラ。昨年設置された古関裕而銅像の周囲に書かれた年譜を読んでみたりする。現在の私と同じ38歳の時、古関はラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌「とんがり帽子」を作曲していたという。彼我の著しい差異に、またもや落胆。
そんなこんなで時間が経過し、ようやく郡山行きのバスがやってきた。乗り込んだ客は、私を含めて4人。直前にここを発った若松行きのバスには10人ほど乗っていたはずだが。高速バス以外に乗り換えなしで結ぶ公共交通機関がない若松と、新幹線に在来線と強力なライバルが存在し道路網も充実している郡山との違いなのであろう。
高速バスは福島市内の停留所にこまめに停車した後、福島西インターチェンジより東北自動車道に入る。通るのは昨年10月5日の散歩帰りに郡山から福島まで乗って以来のことだが、つい先月、5月6日と5月13日の散歩でつかず離れずの所を歩き通しているから、風景には特段の目新しさは感じない。しかも、福島西インターチェンジから20分も走らないうちに、もう郡山インターチェンジに着いてしまった。
ここからは国道49号線を南下し、定刻6時33分に第六中学校バス停着。バスの時刻は電車よりも不正確な場合が多いけれど、このバスに限って言えば定刻通りだったので驚く。国道は既に通勤ラッシュの時間帯。それなりに混雑しているにも関わらずだ。
さて、ようやく散歩に入る。自宅を出てからここまで約2時間かかっているので、その倍の4時間は歩きたい。今回訪問する東邦銀行の支店は須賀川支店(206)であるが、ここで散歩を終わらせずに主要地方道須賀川三春線を北上し、沿道に所在する水郡線磐城守山駅まで行くつもりでいる。磐城? そう、磐城なのである。郡山近辺では阿武隈川を境に西側は岩代、東側は磐城と旧国名が分かれるのだ。現在郡山市須賀川市阿武隈川を挟んで市域を形成しているが、阿武隈川以東は郡山市域が田村郡須賀川市域が石川郡であった。阿武隈川以西は郡山市が安積郡、須賀川市岩瀬郡であったから、今回の散歩は実に四つの旧郡域に跨る行程となる。過去の散歩を振り返ってみても、三つは何度かあるが四つは初めての体験だ。
下亀田で、あさか野バイパスに復帰。クルマの通行量は多そうだが、車道は高架橋の上にあり、私が歩いている側道からでは状況が確認できない。ただ、路肩にはどういう訳か自転車通学の高校生の姿がチラホラ。危険だし自転車は側道を走るべきだと思うが、平面交差が殆どない車道の方が確かに目的地までは早く到達できそうだ。
あさか野バイパスの車道は、国道49号線、うねめ通り(県道河内(こうず)郡山線)とはオーバークロス、新さくら通りとはアンダークロス、主要地方道郡山湖南線、静御前通りとは再びオーバークロスと、郡山市街を東西に貫く幹線道路とはことごとく立体交差している。驚くべき徹底ぶりだと思うが、反面、国道沿道にはおなじみの風景であるロードサイドショップは、殆ど張り付いていない。このこともまた、あさか野バイパスを「クルマのための道路」たらしめているのだろう。
静御前通りを過ぎてしばらくすると、久留米に差し掛かる。明治時代の安積開拓に携わった久留米藩士が郷土を偲んでつけた地名だと伝えられている。安積開拓に携わった士族は鳥取藩、土佐藩など全国規模にわたっており喜久田町宇倍神社など彼らにより勧請された神社も現存しているが、地名まで変わったケースは恐らくここだけだろう。なお、郡山近辺で話される方言「~だばい」は久留米藩士をはじめ九州から来た士族が話す言葉の影響で広まったという俗説があるが、真実かどうかはわからない。
久留米以南のあさか野バイパスの沿道は、市街地から多少外れて田んぼや雑木林が広がる風景となる。右手遠方には、郡山カルチャーパークの観覧車。そう言えば、あさか野バイパスの北端に位置する日和田も、田園風景にフェスタの観覧車と、ここと少し似た感じの風景だったのを思い出した。
右側から国道4号線が近付き、あさか野バイパスと合流。ここでも車道は立体交差である。なお、合流地点の直前で、行政区画が郡山市から須賀川市へと変わる。振り返ってみると、須賀川市内を歩くのは2007年9月2日以来のこと。3年近くのご無沙汰だ。
だからであろうか。私は須賀川市に関する情報を殆ど有していない。牡丹園とか、あるいは釈迦堂川の花火大会や松明あかしといったイベントとか、基本的な事柄はもちろん知っている。が、須賀川がどのような性格の街なのかがイマイチわからないのだ。奥州街道の宿場町として栄えた名残が色濃く残っているのか、それとも郡山のベッドタウンとしての色彩が強いのか。
まずは、国道4号線をひたすら南下。変哲のない都市郊外の風景だが、東北新幹線の高架橋が予告なく左手から近づき、4車線の国道を大きく跨いで南西方向に去っていくのに面食らう。地図で確認すると郡山から新白河までの最短経路はその通りであるのだが、歩いているこちらは郡山から白河方向にまっすぐ南下している認識だから、新幹線はそんなルートを通って大丈夫なのかと、一瞬心配になる。
更に南に歩を進めると、須賀川の市街地に入る。国道沿道はロードサイドショップ街。どこでも見られるようなチェーン店ばかりが並んでいるが、その中で異彩を放っているのが、赤トリヰグリーンモール。元々は須賀川市中心部で百貨店を経営していた企業であるが、現在はこの店一本に絞り、地場のスーパーとして頑張っている。経営環境は厳しいだろうが、末永く営業を続けて欲しいなと思う。
そんな訳で須賀川の矜持を垣間見た気分になったのだが、国道118号線との交差点を左折し中心部に入ると、街並みの感想はため息へと変わってしまう。
確かに、牡丹通りと通称されている国道118号線も、メインストリートの奥州街道(こちらも松明通りの通称がある)も、歩道がきれいに整備されていて歩きやすい。しかも奥州街道は、電柱の地下化も行われている。
が、沿道の商店もまた道路に歩調を合わせる形でことごとく構えを新装しているのが、個人的には気に入らないのだ。同様に街並みの大規模な改造が行われた経緯を有する伊達市梁川町を訪れた時にも同じことを思ったが、そこまでやる必要はないのではないか。過去から連綿と続いてきた伝統の蓄積をあたかもちゃぶ台をひっくり返すかのように破壊し、全く新しい街並みを作りだす。これでは「どのような街なのか」なんて確かめようがないではないか。
須賀川支店は、その一角のど真ん中。現在は須賀川市総合福祉センターとなっている赤トリヰ跡地の並びにあった。ATMで1,000円を入金する。前の店舗コードの本宮支店(205)で入金したのが5月18日のことだから、かれこれ半月以上が経過している。結構なブランクだ。