2010年8月11日 ~喜多方ラーメン紀行?~

子供達の夏休みも、半分以上が経過した。
夏休みに入ってからの家族そろっての外出は、7月25日に郡山でグリーンカレーを食べ、8月6日に福島でわらじまつりを見に行っているが、もう一回ぐらい遠出したいと思っていた。
そこで今日の休日は、クルマで外出。行先は、裏磐梯、喜多方方面である。子供達にとっては初来訪、私達夫婦にとっても実に10年以上ご無沙汰の来訪であり、果たしてどんな場所になっているのか想像がつかない。
昼食は喜多方でラーメンと決めていたので、逆算して午前9時に自宅を出発。飯坂に出てからフルーツライン、国道115号線と経由して、10時過ぎには土湯トンネルを抜けて猪苗代町へと入った。
…と書くと、まるで私が運転していたみたいだが、運転していたのは例によって妻である。私は助手席で妻との世間話につきあいながら沿道の景色を堪能し、後部座席の子供達はというと、出発時点ではハイテンションだったものの土湯トンネルに差し掛かるまでに二人とも寝入ってしまった。
国道115号線を名家(みょうが)の交差点まで下り、国道459号線へ。沿道風景は最初のうち森林ばかりであるが、自治体が猪苗代町から北塩原村に変わる辺りから、徐々に宿泊施設や商店が増えてくる。
リゾートホテルや諸橋近代美術館なども現れすっかりリゾート地らしくなったところで左折。五色沼へと立ち寄る。トイレ休憩のはずであったが、綺麗に整備された売店でソフトクリームを買い、荒々しい磐梯山と深緑色に輝く五色沼とのコントラストを眺めながら頬張る。売店でも、ちょっとだけ土産物を購入した。
再び国道459号線に戻る。主要地方道米沢猪苗代線との交差点が、リゾート地・裏磐梯の中心地。ホテルにペンション、レストランと瀟洒な建物が建ち並ぶ。右手に時折チラチラと姿を見せる檜原湖の風景も美しい。いかにも高原リゾート地といった雰囲気だが、映画のセットにも似て生活感に乏しい感がしなくもない。裏磐梯が属する会津地方は良くも悪くもアクの強い地元意識を有する地域だが、裏磐梯からは「会津臭」が全くと言っていいほど漂っていないのだ。
ただ、「裏磐梯」という地名が定着していることについては、非常に珍しいように思う。「裏」という言葉には「後進的」など侮蔑的なイメージがつきまとっているのが現実だし、そのせいで「裏日本」いう表現など現在ではトンとお目にかかれなくなってしまったのだが。
いや、むしろ「裏」だからこそ、俗世間の毒にまみれておらず自然も豊富ですよ、というアピールにはなるのかもしれない。「観光=日常生活からの脱却」と定義するならば、「裏」の響きは非常に魅力的だし、ある種の神秘性すら帯びているように思う。
国道459号線を更に西進。檜原湖畔を離れると周囲の風景は再び森林ばかりとなるが、道の駅裏磐梯やラビスパ裏磐梯など、裏磐梯を冠した観光施設が思い出したように現れる。
そして山を下りきった所にあるのが、大塩裏磐梯温泉。「裏磐梯」の範囲は北塩原村檜原及び隣接する猪苗代町の秋元湖畔や川上温泉付近に限られると思っていたが、北塩原村内においては西へ西へと広がっているかのようだ。なお、大塩からは磐梯山の姿を、拝むことはできない。
こんな具合に観光面では裏磐梯の威光にあやかろうとの意図が見える大塩であるが、実生活面では別の顔も覗かせている。象徴的だったのが、温泉街の外れにあった大塩小学校の旧校舎。この小学校は3年前に、5キロほど西に位置し北塩原村役場の所在する北山地区の小学校と統合され、廃校になってしまったのだ。
観光で地域を盛り立てようと頑張っているのにも関わらず、進行が止まらない過疎化。北塩原にとどまらず、会津地方全体で見られる傾向かもしれない。考えてみると、会津地方には観光と農業以外に、目ぼしい産業が見当たらない。だから人口流出が続いているのかもしれない。
その北山を通過し、12時前には喜多方市に入る。ラーメン屋は市街地に集中しているが、クルマをどこに停めようか、しばし思案。後で調べてみると喜多方市役所付近や喜多方郵便局付近に有料の観光駐車場があるようなのだが、そんなことを知らなかった我々は、目抜き通りに面したリオン・ドールの駐車場にクルマを停めることにした。多少行儀が悪いが我々と同じ行為に及ぶ観光客は少なくないようで、場内には首都圏ナンバーの車両がチラホラ見受けられる。
食べに行くラーメン屋は、喜多方で一番知名度の高いラーメン店・坂内食堂と決めていた。この店はクルマの通行も覚束ないような裏通りにあるのだが、目指す客は数多く、店の前には既に長蛇の列。その最後部に並ぶしか、食事にありつける術はない。どのぐらい待たされるのだろうと心配になったが、案外に客回転が早いようで、20分ぐらいで店内に入ることができた。炎天下で子供達も機嫌が悪くなるかと思ったが、ちゃんとおとなしく待っていた。立派なものである。
それにしても、これだけお客さんが来ているのに、坂内食堂の外観が田舎町の食堂そのままなのが面白いところ。「初心忘るべからず」を地で行くがごとく敢えてそのようなスタイルで営業しているのか、それとも多忙すぎて改築する暇もないのか、それはわからない。注文システムも変わっていて、入店時に注文と会計を共に済ませてから座席に案内される。まるでファストフード店のようだが、そのおかげで、注文後はあまり待たされることなくラーメンをいただくことができる。
ラーメンがやってきた。麺は平太縮れ麺、スープは塩ラーメンかと見まがうほど澄んでおり、具は4枚ほどのチャーシューにメンマとネギという至ってシンプルなもの。これだけで勝負して有名店になったのだから、ある意味すごいと思う。食べてみたら、実際美味かった。冷房がガンガンかかっているものの客の熱気でムンムンしている店内で、汗をかきながらスープまで飲み干す。
向かいの席に座っている子供達もまた、ラーメンを美味そうに食べている。その辺のラーメン屋に連れていくと「食べられない」とか言いながらスープを残すことが少なくないのだが、この店のラーメンはスープまでペロリと平らげた。
お腹いっぱいになって店を出る。次に向かう先は、市街地の北にある道の駅・喜多の郷。ここに蔵の湯という日帰り温泉施設があるので、坂内食堂で流した汗を洗い落そうという魂胆だ。
ただ、せっかく喜多方の市街地に来たのだから、少しは街歩きもしたい。トイレ休憩も兼ねて、リオン・ドールのすぐ近くにある昭和レトロミュージアムへと入ってみる。空き店舗を利用して昭和30年代近辺の生活雑貨や家電を展示しているミニ資料館で、市街地内に3ヶ所もあるという。近年の喜多方市では、レトロミュージアムの他、毎年7月に「喜多方レトロ横丁」なるイベントを開催するなど、「昭和」を、「蔵」、「ラーメン」に次ぐ観光資源として位置付けているようだ。この試みは、少なくともうちの子供達の心を掴んだようだ。店内に展示された旧式の冷蔵庫や洗濯機を指さしては、キャッキャと喜んでいる。
いや、ラーメンについても、最近では「朝ラー」と称し、朝からラーメンが食べられることをPRしている。ただ既存の観光資源があるのではなく、それらを進化、発展させようとする姿勢には、舌を巻く次第だ。
道中多少道に迷ったが、リオン・ドールから30分ほどで、真新しい国道121号線に面した喜多の郷に到着。男性陣、女性陣に別れて蔵の湯の風呂を堪能する。入浴客は結構多い。ただし高齢者の比率が高く子供は殆どいなかったから、観光客より地元の人によく利用される施設なのかもしれない。
風呂から上がってさっぱりし、大広間でしばし休憩。テレビでちょうど、高校野球の1回戦・仙台育英対開星の試合が放映されていた。7回表が終わった時点で3対3の同点。いい試合しているなと思っていたら、7回裏の開星の攻撃で特大のソロホームランが飛びだし、その後もスクイズで1点を追加した。結局8回表終了まで見ていたが、この時点で開星が5-3でリード。宮城県勢は夏の高校野球で2003年から7年連続初戦を突破しているが、今年は敗色濃厚だと、その時は思った。まさかその後逆転劇が起こるとは…
蔵の湯を辞した後は、喜多の郷の売店を覗く。お土産の人気ナンバーワンはやはり喜多方ラーメン、ということになるのだろうが、店内はラーメンの他にも、地酒コーナーの充実ぶりが目立つ。「大和川」「夢心」「会津ほまれ」「蔵粋(くらしっく)」・・・ 福島県にお住まいの方なら一度は耳にしたことがあるこれらの銘柄は、すべて喜多方に蔵元がある。「酒」もまた、喜多方の貴重な観光資源の一つと言えるかもしれない。
喜多の郷を出発。帰りのルートは裏磐梯を経由せず、国道121号線を更に北上し、米沢を経由して福島へと戻る予定だ。ただし、熱塩温泉付近の一部区間が未成のため、そこだけは県道日中喜多方線を通らざるを得ない。
おかげで、熱塩の温泉街を、チラッと見ることができた。喜多方に行く途中で通過した大塩裏磐梯温泉と似通った規模の小さな温泉街で、泉質も大塩、熱塩双方塩分を含んでいるという。余談だが、喜多方の南方には、塩川という所がある。こちらは温泉ではないが、江戸時代阿賀野川の舟運で栄え、塩を多く運搬していたから塩川の名があるという。命名背景は違えども、いずれも、海のない会津地方では塩が貴重品であったことを示す地名のように感じる。
話を熱塩に戻すと、大塩とは一ヶ所、異なる点がある。それは、熱塩にはかつて鉄道が通じていたこと。1984年まで、国鉄日中線が喜多方と熱塩とを結んでいたのだ。確か熱塩の旧駅舎は、日中線記念館として保存されていたはずだ。結局何もせずに通過したのだが、鉄道の現役当時を偲びに日中線記念館を訪れるのも一興かな、と思った。