2010年8月6日 ~東邦銀行支店巡礼(27) 大槻支店・新さくら通り支店・郡山北支店(後半)~

軍都、軍郷としての郡山に思いを致すならば駐屯地からそのままうねめ通りへと進めば良いのだが、あいにく次に訪れる支店は新さくら通り支店(219)。うねめまつりで音楽隊がパレードでも披露するのかラッパの音なども聞こえのどかな雰囲気の駐屯地正門近くにある新さくら通りとの交差点を右折する。
新さくら通りもまた2車線ながら、左右にロードサイドショップが連なり、通行量の多い道であった。車道、歩道、それぞれの道幅に関して言えば、国道49号線以東のさくら通りと殆ど変わらない。統一性の面では、文化通りとは対照的である。
新さくら通り支店は、あさか野バイパスをオーバークロス(と言うか、この辺りのあさか野バイパスは、半地下になっている)した先にあった。ローンプラザ郡山を併設しているので、建物は比較的大きい。なお、新さくら通り支店の名前は、1992年に刊行された「東邦銀行五十年史」には登場しない。同書によると郡山ブロックの支店は希望ヶ丘支店(227)まで掲載されており新さくら通り支店がそれより若い数字の店舗コードを有しているのは不思議に思うのだが、その代わりここから北東に1キロほど離れた国道49号線沿いに亀田支店が存在していることが記載されていたので、恐らく亀田支店が移転の上改称したのであろうと推察される。
入金を済ませ、新さくら通りを更に東進する。次の訪問先は北東の富久山町にある郡山北支店(220)。新さくら通りからの最短ルートはどこだろうかとだいぶ前から地図とニラメッコしていたのだが、中心市街地と冨久山町との境界を流れる逢瀬川の存在が障壁になり、スッキリしたルートがなかなか見つからない。従って、ベタな手段であるが、新さくら通りからさくら通りへと進んで昭和通り(国道4号線)へと出、富久山町に入るルートをチョイスせざるを得なかった。
郡山女子大学の前を通過し、国道49号線との交差点を渡ってさくら通りに入る。前回の散歩で訪れた開成山公園や郡山市役所(支店・214)といった見知った風景が目に入ると何となく安心するが、これが緊張感を欠く原因にもなるのも事実で、影を潜めていた「暑さ」を強く認識するようになる。
木陰が欲しいところだが、さくら通りには小規模な街路樹しか存在しない。あまり大きな木が植わっていると、逆にクルマの通行の邪魔になってしまうからだろうか。そう言えば、郡山には街路樹は多いけれど、福島市の県庁前のような立派なものには出会わずじまいである。これを基準とするならば、前回歩いた内環状線や今朝通過した文化通りの麓山公園以東の区間が、辛うじて及第点と言えるだろうか。
ビルの陰に隠れてなんとかやり過ごしながら、昭和通りへ。ここを北上し、冨久山町を目指す。昭和通りと呼ばれる区間がどこからどこまでなのか私は知らないが、うねめ通り、主要地方道郡山大越線との交差点を通過すると福島方面へ向かう車線が1車線に減少したから、少なくともこの交差点以北は愛称の対象外であろう。
逢瀬川、次いで磐越西線の線路を跨ぎ、富久山町に入る。中心市街地に隣接しているのに、沿道を見渡すと意外に田んぼが点在しており、久しぶりの「田舎」をわずかに感じる。
1キロ弱歩くと、国道288号線が右へと分岐する交差点。郡山北支店はこの交差点から国道288号線に100メートルほど入った所にある。かつては「富久山支店久保田出張所」と呼んでいたそうだが店内は結構広く、ATM機も4台並んでいた。しかも、東邦銀行の一般支店としては唯一、土日も窓口営業を行っているという。この支店にはある程度の基幹性が備わっているようであり、前歴が出張所であったとはとても思えない。
さて、これで本日の訪問予定支店はすべて制覇したので、郡山駅まで戻ることにする。次回の訪問は東北本線の東側を縦貫する東部幹線に面した郡山東支店(222)から始まるので、今回の散歩の締めもまた、東部幹線から郡山駅東口へと至るルートをチョイスする。郡山北支店を出た後も国道288号線を東進。東北新幹線東北本線と相次いで立体交差した先に東部幹線が分岐する交差点が現れるので、そちらへと分け入る。
かつては郡山市地方卸売市場が沿道に所在し関連業者が軒を連ねるイメージがあった東部幹線界隈であるが、2002年に東北自動車道郡山南インターチェンジ近くに郡山市総合地方卸売市場が完成、移転して以降は、これらに代わってロードサイドショップが急激に増えたようである。市場移転の影響を受け2003年に閉店した富久山支店(210)の跡地もまた、カワチ薬品の敷地に転用されていた。
逢瀬川を再渡河。南側もまた、かつてゴルフ練習場だった所にROUND1やドン・キホーテが建っていたりと変貌が著しい。特に美術館通りとの交差点付近に新しい街並みが形成されそうな勢いを感じるが、そんな中でも昔と変わらない姿をとどめているのが、先にも少し触れた保土谷化学工業の郡山工場である。
駅裏に工場という図式はかなりレトロなものであって、現に近県でも山形駅西口の霞城セントラルや盛岡駅西口のマリオスなど行政が主体となって工場を立ち退かせた上で高層ビルを建設するといった再開発がなされているケースが散見される。行政のハコモノについては財政的な不安がつきまとっているのも事実であるが、ここ2、30年ほどの間、地方都市、特に県庁所在地クラスの都市においては、いわゆる「駅裏」が再開発のメインスポットの一つであったことは間違いない。
そのトレンドから考えれば郡山でも保土谷化学工業の工場を移転させて再開発を進めて欲しいなとは思う。地図でざっと調べた感じだと500メートル四方前後の広さはありそうだから、かなり思い切ったことだできそうだ。
でも、敢えて何もしないでいることが、戦前から操業し空襲の憂き目に遭いながらもこの地に根を下ろし続けている保土谷化学工業への郡山市なりのリスペクトなのだろうとも思う。いや、それは私の考えすぎで、郡山市はこの土地の有効利用について全然検討していない可能性もあるのだが、どこもかしこも駅裏の再開発が進む中、意図的に工場、しかも戦前から操業しているものを残しておくというのも、郡山の個性発揮には繋がり得るかもしれない。
工場の敷地を通り過ぎた先の交差点を右折し、郡山駅東口へと歩を進める。沿道の北側は再び工場の敷地、南側にもロードサイドショップは殆どなく東部幹線とは逆に静かな佇まいであったが、驚いたのはここの街路樹の立派さ。枝ぶりの良い木々が道路全体を覆っており、長時間の散歩で陽射しにやられた身体にとってはちょうど良い小休止。もっとも散歩の最終盤にきて小休止も何もないのであるが、この街路樹ならば、福島県庁前と比べても恥ずかしくないように感じた。