2011年1月19日 ~仙台銀行支店巡礼⑬ 上杉支店・台原支店・八幡町支店(後半)~

合唱の歌声が聞こえてくる上杉山中学校の敷地を通り過ぎ、梅田川を渡る。どうやら梅田川を渡る直前で仙台城下町の枠外に出たようで、川の向こう岸は一方通行の細い路地の両側に家屋が肩を寄せ合うようにひしめく風景となる。
ただし、梅田川を渡った先、仙山線をアンダークロスした辺りに限り、杉林が広がっている。ここはもう住所的には台原の一角であるが、かつて杉山台と呼ばれていた頃の名残を、かすかに感じる。
細道を北へと300メートルほど歩くと、2車線の道路とのT字路に突き当たる。バスも行き交うこの道路を西へと進み、仙台泉線へと合流する交差点のすぐそばに、台原支店がある。沿道は意外に商店が多い。先へと進むと、右手に東北労災病院の大きな建物が見えた。この界隈もまた、病院城下町の性格を有しているらしい。
500メートルほど歩いて台原支店に到着。ATMで入金後、仙台泉線を南下する。沿道の風景には取り立てて関心はなかったのだが、右手に「登米(とめ)市立仙台学寮」の看板を掲げた建物があるのが気になった。どうやら、県北部の登米市から仙台市内の大学や専門学校に進学する若者が居住している場所らしい。府県単位で首都圏の大学などに進学する若者が住む寮を提供しているケースは多いが、市単位で仙台に寮というケースは珍しいのではなかろうか。なお、寮に隣接して登米市の物産直売所が営業しており、この一角だけ登米市の飛び地みたいな雰囲気になっている。
仙台泉線を更に南下、北仙台駅の近くを通り、勾当台通へと入る。このまま南下すると北四番丁との角で上杉支店の前にまた戻ってしまうのでどこかで八幡町方面へと曲がりたいところである。北七番丁か北六番丁のいずれかにしようと事前に考えていたのだが、結局前者をチョイス。理由は特にない。その場のノリである。
勾当台通との交差点付近こそマンションが建っていたが、北七番丁は、下町風情が色濃く残る通りであった。仙台では知名度の高い民芸品・松川だるまの工房があるし、奥州街道との交差点はクランク状で、城下町らしさを感じさせた。
北四番丁大衡線との交差点までは一方通行だったが、ここから西側は対面通行。しかも路線バスも通っているという。ちょうど東北大学病院の裏手にあたり、沿道には北四番丁同様に個人病院が点在するようになる。さすがに葬儀屋は見当たらなかったが教会が一軒建っていて、しかも近くには教会前というバス停まであった。田舎に行くと「○○屋前」とか「××医院前」といったバス停にしばしば出くわすが、仙台の街中でこの種の名前のバス停があるとは驚いた。
そんな通りをしばらく歩くと、土橋通とのT字路に突き当たる。ここを左折し南下すると、北四番丁との交差点に面して八幡町支店がある。ここもまた、雑居ビルの1階に店舗がある。本日3回目のATM。用を済ませれば、後は仙台駅まで帰るだけとなる。
八幡町支店を辞した後も土橋通を南下して、1月8日の散歩でも訪れた北三番丁へと出る。ここを少しだけ西へと進むと南へ進む道が分岐しており、曲がってしばらく歩くと広瀬川に架かる澱(よどみ)橋へと差し掛かる。
橋の袂に、中高一貫教育を実施している尚絅学院という学校がある。かつては尚絅女学院と言っていたが、いつの間にやら男女共学化して校名も変わってしまったらしい。宮城県内では昨年までに公立高校の一律共学化が完了したが、私立の高校もまた、別学から共学へと変わっていく学校が跡を絶たない。
澱橋を渡り、仙台市内随一の文教地区である川内へと入る。右手に宮城県美術館、左手に仙台二高というそれらしい雰囲気を通り抜けると、交差点が登場。右手前方には東北大学教養部のキャンパスがありここも歩いてみようかと思いかけるがやめにして、交差点を左折。この道を進むと仲ノ瀬橋で再び広瀬川を渡り、更に広瀬通へと進むことができる。
仲ノ瀬橋は上層が一般道路、下層が仙台西道路という二層構造になっている橋で、上層を走るクルマの通行量が少なくても下層から通過音がひっきりなしに聞こえてくる。音だけ聞こえて姿が見えないというのはちょっと不気味かもしれない。
前方は仙台を代表する都市公園のひとつである西公園の森。ビル街の手前に鬱蒼とした雰囲気で繁っているが、右手の木々は地下鉄東西線の工事に関連して大胆に伐採されてしまった。東西線は、西公園の真下を通、広瀬川を渡る時だけ地上にひょっこり顔を出す。工事中の鉄橋の橋脚が、西公園の手前に見えた。
西公園を通り抜けると、いよいよ広瀬通。このまままっすぐ仙台駅方面へと進む予定でいたのだが、いざ現地に着くと、天邪鬼な考えが頭をもたげてくる。私は広瀬通へは入らずに、その一本南側を通っている肴町(さかなまち)を歩いてみることにした。
現在は大町の一部となっている肴町であるが、城下町時代は大町、南町、立町(たちまち)、柳町、荒町と並んで、伊達政宗に従って米沢→大崎市岩出山→仙台と移転してきた商人が店を構える御譜代町(ごふだいまち)の一つであった。今でこそパッとしない細道であるが、白松がモナカ本舗や井ヶ田製茶など、仙台を代表する老舗が本社を構えているのが特徴だ。
また、肴町には、仙台市戦災復興記念館という施設もある。日本国内の多くの都市と同様に仙台もまた1945年7月10日に空襲の被害に遭っている訳だが、もし空襲がなかったならば仙台は今頃どんな街だったのだろうかと、ちょっとだけ想像を巡らせてみる。青葉通、広瀬通、定禅寺通などの街路樹を配した太い道路は、恐らく敷設されてなかったんだろうな… 
更に歩くと、奥州街道との交差点。ここに面してちょっと古びてモダンな雰囲気を醸し出している宮城県歯科医師会館のビルがあるのだが、実はここ、かつて德陽シティ銀行の本店だった建物。かつて德陽シティ銀行だった3店舗を巡る今日の散歩のフィナーレを飾るに相応しい建物に見送られ、仙台駅へと歩を進める。
結局、仙台駅に着いたのは、11時25分のことであった。これで3回連続して、散歩時間が3時間を超えた。次回の散歩もまた、南小泉(228)、沖野(229)、東部工場団地(230)の3店舗を回る予定。いずれも同じ若林区内にあるが各店舗間の距離がかなり離れているので、4回連続の3時間超えとなるのは必至の情勢かと思われる。