2011年1月19日 ~仙台銀行支店巡礼⑬ 上杉支店・台原支店・八幡町支店(前半)~

3日前の散歩で4時間40分も歩き回ったというのに、今日もまた、散歩に出掛けようかと思う。
訪問先は、上杉(225)、台原(226)、八幡町(227)の3店舗。いずれも、というか、上杉支店から吉岡支店(237)までの13店舗は、かつて德陽シティ銀行の店舗として営業していたのを同行の経営破綻に伴い1998年に経営移管されたものである。従って、今日から7回にわたっては、「旧德陽シティ銀行支店巡礼」ということにもなる。
それにしても、今日訪れる3店舗、仙台城下町の北部に集中して展開しているのは良いが、配列に難がある。東から台原、上杉、八幡町の順に並んでいるので、中央→東→西の順に訪れなければならないのだ。ルートを地図に描いてみると、まるで勝ち名乗りを受けた力士が手刀を切るような形になってしまった。
いつものように桑折駅発6時29分の下り始発電車に乗車。定刻7時39分に仙台駅に到着し、地下鉄に乗り換え。泉中央駅の改札を出、外へと出たのは8時07分のことであった。
駅前からしばらくは、泉ヶ岳通り(主要地方道泉塩釜線)を西進する。泉中央駅へと向かう通勤客と何度もすれ違うが、私と同様に泉中央駅から西へと歩く女子高生が結構多い。この辺りに女子高なんてあったっけ? 10秒ほど考えて、あ、彼女たちは仙台商業高校の生徒だったんだ、と気がつく。仙台商業高校はかつて青葉区川内に校舎を有する男子校だったのだが、1999年に泉中央副都心の西側への校舎移転、更に2009年に青葉区国見ヶ丘に校舎を有していた仙台女子商業高校を統合して、現在の形になった経緯を有している。だから、女子高生が泉中央駅周辺を歩く姿は、一昨年から見られるようになった泉中央の新たな風物詩ということになるのかもしれない。
商店街が続く泉中央通りを左折し、脇道へと入る。しばらく歩くと七北田川北岸に広がる七北田公園の敷地の縁に差し掛かり、赤生津(あこうづ)大橋で七北田川を渡河。この辺りになると商業施設は殆ど見られなくなり閑静な住宅街となるが、仙台北環状線への交差点へと差し掛かると、ロードサイドショップが見られるようになる。
交差点を左折し、仙台北環状線を西進。右手に見える丘陵上に加茂団地の住宅群が見えてきたところで更に左折し、南へと進路をとる。私の歩いている道路は登り坂となっているが加茂団地は更にその上に展開しており、生活道路が大跨ぎで頭上を越えていたりする。結局住宅群には接することなく下り坂に差し掛かり、高柳川を渡る。
高柳川から先は、再び登り坂。登りきったら今度は住宅地が展開。虹の丘という。開発されたのは1980年代だろうか。新築とも古びているとも表現しがたい一戸建住宅が多い。虹の丘…直訳すればレインボーヒルか。富谷町にレインボーヒルゴルフクラブというゴルフ場があるけれどここと資本関係があるのかな? とかバカなことを考えながら更に南下すると、青葉区へと入る。左手が双葉ヶ丘、右手が東勝山で、いずれも開発したディベロッパーの企業名が、そのまま町名となっている。
青葉区入りして最初の交差点で右折し、東勝山の街並みを歩く。開発年代は虹の丘より古そうだ。しばらく歩くと、小学校に突き当たる。校名を見ると、北仙台小学校とある。この界隈は北仙台駅から北へ更に2キロほどの地点になるのだが、前述のように企業名がダイレクトに町名となっているので、無難な名称にしたものと推察される。なお、北仙台駅近辺の所属する小学校区は、上杉山通小学校である。
その北仙台小学校の敷地の北側から、西側へと回り込むように歩く。敷地を出外れると都市計画道路鶴ヶ谷国見線を跨ぐ陸橋があるのだが、ここからの眺めが絶景。左が旭ヶ丘、南光台、右が中山、桜ヶ丘と、これまでの散歩で歩いてきた住宅地が、丘陵いっぱいに広がっているのだ。仙台銀行支店巡礼も後半戦に入っており、これらの住宅地を歩く機会ももうない。そう考えると急に名残惜しくなる。目障りな存在のはずの仙台大観音ですら、いとおしく感じてしまうから不思議なものだ。
陸橋の先は、クルマのすれ違いも難しそうな細道。道なりに進み坂を下ると、12月8日に中山支店(213)を訪れた際に通過した荒巻へと出る。既に通勤時間帯のピークは過ぎていたから、先月歩いた時に比べてクルマの通行量は少ない。梅田川の谷底に展開している商店街を行くと、都市計画道路北四番丁大衡線(県道大衡仙台線)へと出る。北山丘陵をくぐるトンネルの工事が現在進行中であるが、現時点では丘陵を越えなければ先へは行けない。工事現場を管理する警備員に誘導されながら、歩道や路側帯を南下。丘陵の鞍部から先は、仙台城下町の枠内となる。
左手に輪王寺の墓地を見ながら坂を下りきると、12月26日に北山支店(219)を訪れた時に通った北山町との交差点。一見T字路に見えるが、よく見ると南へとまっすぐ延びる一方通行の細道が接続している。新坂通と言う名のこの細道に、分け入ってみることにする。
新坂通の沿道は、左右とも閑静な住宅街であった。ただし、右手には時折寺院への参道が見られるのが特徴で、通りの片側のみに寺院が展開する点は北山町に共通するものがある。いずれも仙台城下町の外側に向かって寺院が配置されているのは、城下防衛を目的としてのものと推察される。
そんな閑静な街並みも、北七番丁との交差点を渡ると一変。東北大学医学部の構内へと入ってしまう。東北大学病院が同居していることもあり、1月12日に訪れた東北大学本部同様、ここでも一般の人が構内を自由に行き交っている。街と大学とが溶けあっている姿を見ると、何だか嬉しくなる。瀬名秀明伊坂幸太郎といった他県出身で東北大学を卒業した文人が今なお仙台を拠点に活動している背景には、街との物理的、精神的な距離感が近いという東北大学特有のロケーションによる部分も大きいのではないかと感じる。福島県でも同様の風景が見られると嬉しいのだが。
医学部及び東北大学病院の玄関は、北四番丁に面している。1月8日に歩いた八幡町の延長路で、かつての市電通りであり現在も国道48号線に指定されているから、交通量はかなり多い。ただし沿道は、門前町の雰囲気が濃厚に残る八幡町に対し、医学部の周囲には調剤薬局、個人病院といった医療関係の施設や花屋、果物屋、パン屋といった見舞品需要を見込んで出店したとおぼしき商店が目立つ。「病院城下町」と呼んでもいいだろう。何故か葬儀屋もある。これはいただけない。みんなここのお世話になりたくなくて闘病生活を送っているのだから、場所柄をわきまえて出店して欲しいものである。
北四番丁を東進すると、旧国道4号線でもある勾当台通との交差点に差し掛かる。勾当台通の真下には地下鉄が通っており北四番丁駅が設けられているから、人通りが多い一角でもある。上杉支店は、この交差点に面した雑居ビルの1階にあった。だからロケーションは良好のはずなのだが、店内には一人も客がいなかった。ちょっと淋しく思う。
ATMで1,000円を入金。記帳に要する時間がいつもより長い。そう言えば、私が持っている通帳は1ページで12回、2ページで24回の取引が記帳できるから、24店舗目の訪問となる今回でページの繰越が行われるのだった。返却された通帳を見ると、最初の見開きページの各行が1,000円の入金でびっしりと埋まり、新しいページの1行目に24,000円と今時点の残高と「繰越」の二文字が記載されていた。
上杉支店を出た後も、北四番丁を東進する。国道48号線には指定されていない区間(国道は勾当台通を南下して国道4号線(東二番丁)に合流する)ということもあり、クルマも人も、通行量がグッと減る。沿道の風景も、商店街から住宅地へと変わる。
愛宕上杉通との交差点を左折し、今度は北へと進路を取る。このまま700メートルほど歩けば勾当台通同様旧国道4号線である主要地方道仙台泉線に合流し、この道路を更に500メートルほど北上すれば次の訪問先である台原支店へと着くのだが、私はこれらの道路の合流地点の直前、上杉山中学校の敷地北側で右折し、裏道へと入った。仙台泉線は、台原支店からの帰途に通りたいと思う。