2011年3月9日 ~仙台銀行支店巡礼⑳ 白石支店(後半)~

さて、蔵王町との境界であるが、ただの町境にとどまらない。
柴田郡刈田郡との郡境であるばかりか、陸前国磐城国との国境でもあるのだ。ただし、境界線からは、それらしい重厚さは感じられない。そもそも、陸前といい磐城といい、1868年暮に陸奥国の分割によって成立した区画に過ぎず、直後に施行された廃藩置県によって有名無実化された経緯を有しているから、歴史的、文化的な境界として形成される暇もなかったと言えよう。
頭上高く通過する東北新幹線の高架橋を仰ぎ見て、更に1キロちょっと歩くと、再び幅員が4車線へと復す。沿道には工場が建ち並び、前方には奥州街道宮宿へと通じる旧道が分岐している。大河原、金ヶ瀬に引き続き、宮も訪れてみようかと思う。
宮は、街並みの規模こそ金ヶ瀬よりも小さいものの、格子戸や蔵造りの商店は比較的多く、宿場町の景観をある程度留めているように感じられた。その一方で、周囲に工場があるロケーションからか、アパートや集合住宅も結構多い。新旧建築物の混在ぶりを見せている町並みとも言えようか。
集落を通り過ぎると、奥州街道は再び国道に合流する。ただし、この先の国道は東北自動車道白石インターチェンジ付近に歩道が整備されていない区間が存在するので、これを避けて北側を並行する細道を歩くことにした。なお、境界を示す標識はないが、集落から出外れると白石市域へと入る。
インターチェンジ付近の工場群を遠巻きに眺め、宮の北側からやってきた東北自動車道をアンダークロスしつつ、南下。児捨(こすて)川という曰くありげな川を渡る手前で、ようやく国道と合流。が、渡河直後に奥州街道(この区間では主要地方道白石上山線を兼ねる)が分岐してしまう。結局、国道との付き合いは、ごくごく短いもので終わった次第。なお、奥州街道に入る手前で距離表示を見ると、東京から308キロとあった。白石の街はもうすぐだ。
奥州街道へと分け入ると、沿道は住宅地となっていた。白石の街に近いロケーションもあろうが、奥州街道が長らく国道としても利用されていた背景もあるだろう。いよいよ白石へのプロローグが始まったかと思うと、緊張が高まってくる。
郊外と城下町との境界は、白石川。川に架かる白石大橋の袂に差し掛かると、右手遠くに片倉小十郎の居城であった白石城天守閣が見えた。そう言えば、ここ数年の白石では、小十郎を軸とした観光戦略を進めているように感じる。小十郎自体も武将として知名度を増しつつあるのも追い風になっているかと思いきや、白石の中心街は思いっきり閑古鳥が鳴いていた。通行人は数人のお年寄りのみ。平日ということもあるが観光客らしい姿も全く見えず、非常に淋しい風景であった。個人的な印象を言えば、長町、中町と奥州街道沿いに続いているアーケードが薄暗すぎる。撤去の上イメージ一新を図るのも、一つの手かもしれない。
このアーケードを通り抜け、白石駅前から延びる通りを渡った先に、白石支店がある。商店がひしめく中の狭い敷地に建っており、駐車場も整備されていない。もっとも、隣の店舗は空き店舗でシャッターが閉まっている。ある意味白石の景気の悪さ具合を象徴する風景のように思えた。
ATMで1,000円を入金し、駅前通りを白石駅へと進む。時計を見ると、既に11時を過ぎており、槻木駅を出てから丸4時間が経過していた。
さて、次の散歩ではいよいよ福島県入り。5か月ぶりに自宅へ帰ることになる。