2011年3月12日 ~震災翌日 仙台から桑折まで歩く④~

国道113号線をしばらく西進すると白石の市街地へと入る。が、私はそちらへ入るつもりはなかった。
単純に遠回りになってしまうのもあったが、市街地内には古い木造家屋が多く、ブロック塀の倒壊や瓦屋根の崩落などの被害が出ているのではないかと思ったのだ。従って、ここは市街の東南端に位置する東北新幹線白石蔵王駅付近の新興住宅地を通るのが安全と考えた。町名で言うと、鷹巣東や旭町といった地域である。
国道から白石蔵王駅方面へは、歩道が整備された2車線の道が延びている。カーブこそ少ないがであるからこそ下り勾配が急激に感じられる道であった。北白川からここまでずいぶん登ったのだなと改めて気付かされた。
坂を下りると、鷹巣東の住宅街。2000年代に入ってから開発された地域ということもあり、真新しい家屋には殆ど被害がなく、家々の境界は大半が生垣でブロック塀も見当たらない。
ところが、歩道の状況がかなり悪かった。液状化現象が起こっているのか、歩道のタイルは盛り上がったりはがれたり。挙句の果てにはマンホールとこれに繋がる下水管が歩道上30センチぐらいまで突き出ている始末。歩くのがちょっと怖かった。
住宅街を過ぎると、白石市はもちろんのこと宮城県南部を代表する文化施設でもあるホワイトキューブの前を通過。確か今日はさかなクンの講演会が開催される予定だったと聞いていたが、当然中止だろう。照明もついておらず、ひっそりと静まり返っている。
照明… 白石市内もまた、停電である。今日は幸いにも晴天に恵まれておりお陰でここまで歩くことができたのだが、日没という逃れることができないタイムリミットを、そろそろ迎えようとしている。西の丘陵に目をやると、山の端に夕日が迫りつつある。とっぷり日が暮れるまでにせめて県境は越えたいと思うが、果たしてできるかどうか。
そんな私の切羽詰まった思いをよそに、白石の街は、外で子供が遊んでいたり愛犬の散歩させている中年男性がいたりと、意外にのんびりとしたものであった。震災がなければ普通の土曜日といった雰囲気すら醸し出している。ただし、犬については、平素鎖で繋がれているから、地震が発生した時は相当に驚いたことかと思う。散歩などの精神的ケアは間違いなく必要だ。
白石蔵王駅やNECインフロンティアの工場などが見える一画を通り過ぎた後は、白石川支流の斎川に沿って南へと進む。前方に奥州街道の斎川宿が見えてきたところで、とうとう夕日が山の向こうへと姿を消してしまった。先を急がねばなるまい。仙台から既に50キロは歩いておりさすがに疲労感があるが、ここから先は県境へと至る峠道。ひと踏ん張りが必要だ。
斎川の集落を通り抜けると、再び国道4号線に合流。東京からの距離表示は298キロと、ついに300キロの大台を割った。軽くガッツポーズ。ところが日没とともに周囲は徐々に暗くなっていくし、気温も下がってきている。今日購入した飲み物は冷たいものばかりであり、水分補給のため飲まなければならないとわかっていても、いざ口に含むと非常に冷たく、却って体力が奪われるような感覚があった。
馬牛沼のほとりを通り抜け、白石市最南端の集落である越河へと入る。周囲は小盆地であり、勾配は多少落ち着く。右手には東北本線、左手には東北自動車道が見えているが、いずれも通るべきものが通っておらず、静まり返っている。私が歩いている国道だけがひっきりなしにクルマが行き交っている状況だ。普通の乗用車に混じって、トラックなどの大型車も多い。これはいつものことであるが、どういう訳か観光バスの姿も目立つ。何の目的でここを走っているのかわからないが、旅先で震災に遭遇したり、逆に旅行中に自宅が被災した人も、決して少なくはないだろうと思う。
盆地が尽き、再び登り坂。周囲はすっかり暗くなってしまった。街灯も全く機能しないので、クルマの灯を頼りにしながら前進する。
離れていた東北本線東北自動車道がこちらに近づいてくると、県境の分水嶺。やっと福島県に入った! 再び軽くガッツポーズ。しかも、東京からの距離表示は293キロとなっている。桑折まであと10キロを切った。
前方遠くには、平時であれば福島盆地の夜景が見える。驚いたことに、多少薄暗くはあったものの夜景は健在であった。この辺りは電気が復旧したのかと喜びかけるが、県境近辺に関しては未だ停電中の模様。県境のすぐそば、国道から少し入った位置にある貝田駅の待合室もまた、真っ暗であった。
休憩も兼ねて、待合室の中へと入る。貝田は無人駅であるが、ベンチに座布団が設けられるなど、地元の人たちの努力によって清潔感が保たれているのが特徴だ。暖房など期待できないが、座布団の上に座れば、昨晩の五橋中学校とは大違い。十分すぎるほどの「ぬくもり」を感じた。
そんな待合室で、船岡のコンビニで買った缶チューハイを取り出し、一人で乾杯。仙台から58キロほどになるだろうか。一日でよくぞここまで歩いたものだと、自己満足に浸る。
しかし、「百里を行く者は九十を半ばとす」とも言う。行程はまだ10%以上残っているし、しかも暗闇の中。路面の陥没や沿道の建物の崩落といった危険性も察知しにくいまさに手探りの前進となる。また、歩行距離相応の疲労が蓄積している点も気がかりだ。
ここまでは勢いで歩けたけれど、この先どうしようか… しばし思い悩む私なのであった。