2011年8月11日 ~天童へ行ってきた~

福島県民にとって、今年の夏休みほど「過ごし方」が問われる時期もなかろうかと思う。
プチ避難、長期旅行、サマーキャンプ… 誰も彼もこぞって県から大脱出。確かに、地元で悶々と過ごしていたら、子供達にとっては楽しくないのは間違いない。ストレス解消のための遠出は必要不可欠のアイテムだと思う。
その方法は十人十色だろうが、我が家においては、一週間に一度程度の間隔で日帰り遠出を繰り返すという形で、やってみることにした。7月27日にはリステル猪苗代、8月4日には東京ディズニーランド。子供達も十二分に楽しんできたようだ。
ただし、これらの遠出には、私は随行していない。いずれも妻と子供達のみ。私の仕事のスケジュールが日程と一致しなかったせいなのだが、妻に任せきりで多少申し訳なく思う面もある。
そして迎えた次の週。8月11日に、ようやく家族全員揃って外出できる機会がやってきた。
行先は、将棋駒の生産で有名な、山形県の天童温泉。「温泉に行きたい!」との下の子のたっての希望と、 今年に入って将棋を覚えた上の子の現況に鑑みて、ベターな選択じゃないかと考えた次第。ちなみに、クルマは利用せず、小さな旅ホリデー・パス(南東北フリーエリア)を活用しての鈍行列車乗り継ぎ旅行である。時刻表を繰ってみたところ、片道3時間近くはかかるとのこと。新幹線を使って東京ディズニーランドに行くのと時間的に大差ないのがちと笑える。
桑折駅発7時45分の上り電車で出発。その後福島駅発8時10分の奥羽本線の電車に乗り継ぐ算段を立てていたのだが、あろうことか電車が遅れ、危うく乗り換えができないところであった。こういったスリルは一人旅ならば受忍できるが、子連れだと厳しいところ。いきなりプラットホームをダッシュさせる羽目になり、子供達には申し訳なく思う。
その反動か、板谷峠越えの区間では、上の子など寝入ってしまった。先が思いやられるが、米沢駅で再び電車を乗り換える頃には完全復活。田畑や果樹園が展開する沿線風景に見とれていた。特に赤湯駅付近の丘陵の斜面に広がるブドウ畑のスケール感には驚いていたようだった。
山形駅でも乗り換えがあり、天童駅に着いたのは10時41分のこと。山形新幹線も停車するあって、ずいぶん立派な橋上駅舎であった。しかも駅舎に隣接して、パルテという駅ビル的なビルまで建っている。このビル、かつては長崎屋だったように記憶しているのだが、現在は天童市の観光センターが入居するなど、行政色が前面に出た内容になっている。
その観光センターで、「女将おススメぐるっとマップ」を入手する。天童温泉の一部の宿泊施設でこれを持参すると、なんと一人500円で日帰り入浴が可能とのこと。どこの宿に立ち寄ろうか… 妻は目星をつけているようだが、入浴の前に天童の街を探検といこう。
まず立ち寄ったのは、駅舎の一階にある将棋資料館。天童=将棋駒のイメージは多くの人が抱いていると思うが、その始まりが江戸時代末期にこの地に入封していた織田氏(信長の次男・信雄(のぶかつ)の系統にあたる)の影響が大きかったこと、また、将棋やチェスといった東西のボードゲームが古代インドのチャトランガというゲームを発祥としていること、また、将棋駒に使われる木や駒の字体、彫り方など、いろんなことを知ることができた。スペースはさほど広くはないが、一見の価値はある施設だと思う。
資料館を出た後、駅前の食堂で早めの昼食を摂り、天童温泉を目指す。先ほどもらったマップで確認すると、天童温泉は駅の真東2キロほどの所にあり、織田家の城下町かつ羽州街道の宿場町でもあった旧市街は駅の真南にあるとのこと。両者の間には毎年4月に人間将棋が催される舞鶴公園の丘陵が横たわっている。さすがに両方を訪れるのは難しそうだ。
そこで温泉街の南東端、国道13号線に面したわくわくランドを目指して歩くことにしたのだが、歩き慣れている私はともかく、子供達が飽きないかどうか少々心配になる。そこで一系を案じ、市街地の北部を東西に流れている倉津川の北岸に沿って歩いてみることにした。この川に架かる橋には「王将橋」「金将橋」など、将棋駒の名前が付けられているのが特徴。上の子はもちろんのこと下の子も駒の名前は知っているので、興味関心を持続させるにはちょうど良いアイテムかなと思ったのだ。
結論から言うと、目論見は当たった。王将橋の袂では将棋駒の形をした欄干をバックに記念撮影をせがんだりと、やる気満々の様子。ちなみに、この橋を渡る辺りから、川の南岸に大きなホテルが展開するようになる。
ところが、川の北岸は、何の変哲もない住宅地。しかも、東西方向に直線的に流れる倉津川に対して何本も道路が直交し橋が架かっているから、碁盤の目、いや将棋盤の目のような様相を呈している。温泉街のホテル群は、そんな風景の中場違いのように建っている風に見えた。
もっとも、それも仕方ない面がある。そもそも天童温泉は、今からちょうど100年前の1911年、井戸の掘削をしていたら温泉が湧出したという経緯を有しており、意外に新しい温泉なのだ。だからこそ、他の温泉街のように小旅館や飲食店がゴチャゴチャとひしめいている風景とは無縁だし、廃業し破棄されたホテル跡も見当たらない。確かに風情には欠けるかもしれないが、景気や活気はさほど悪くないように感じられた。
飛車橋を渡り、駐車場が完備されたホテルが沿道に点在する整備された道路を南下。この道路を1キロほど歩くと、わくわくランドに到着だ。道の駅を兼ねている施設であり、構内は多くのお客さん、特に子供連れで賑わっていた。子供連れが多いのは、構内に芝生が広がり滑り台などの遊具が設けられたスペースや噴水広場があるからと思われる。この5ヶ月間、外遊びとは無縁の生活を余儀なくされている子供達も遊びたそうな表情で遊具を眺めていた。
でもその前に、長い距離を歩いて汗をかいたので、構内のアイス屋さんでジェラートを買って一服。驚いたのは、種類が豊富なこと。ラ・フランス、サクランボ、尾花沢スイカだだちゃ豆はえぬき(山形県産米)と、地元食材をふんだんに使ったものばかりだ。改めて見ると、山形県は食材にあふれた県だな、と感じる。福島県も負けていられないぞ! と思う。
一服終了。アイス屋さんの隣には足湯があったが、子供達はそれには目もくれず、先ほど目にした遊具へと一目散に駆けて行く。日頃の鬱憤を晴らすかのように、地元の子供達に混じって遊ぶ。その様子を見ているだけで、こちらまで楽しくなってくる。
一所懸命遊んで再び汗をかいたところで、いよいよホテルへ。妻がチョイスしたのは、温泉街の西端にある「ほほえみの宿 滝の湯」。露天風呂に入れるのが決め手になったようだ。ホテルへの道すがら、温泉街の様子を観察。意外にも開湯100周年を記念する幟やフラッグの類は見られない。東日本大震災の影響で自粛したのかなと推察するが、天童自体は大きな被害を受けた訳ではないから、震災、復興関連のPRもまた一部の商店で「がんばろう東北 元気でいこう天童」と書かれたポスターが貼られている程度で、あまり積極的に行われているとは言えない。
その代わりと言っては何だが、温泉街の街灯には、プロ野球イーグルス二軍、Jリーグのモンテディオ、女子Vリーグのレッドウィングスを応援するフラッグが、密集して掲げられていた。考えてみれば、これらの3チームは、天童市南部に所在する山形県総合運動公園内に本拠地がある。天童市はスポーツの街でもあるのだ。
ホテルに到着。早速風呂へと入る。高い天井が印象的な大風呂やこれに隣接する露天風呂が、ほぼ貸切の状態。 これで一人500円なのだから、相当な役得だ。一緒に入った上の子も楽しそう。すると、壁を挟んだ女湯から、下の子のはしゃぐ声が聞こえてきた。連れてきて良かったな、と思う。
温泉を堪能し、天童駅へと戻る。駅へと一直線に延びている県道天童停車場若松線を歩いたのだが、歩道のタイルや電柱に詰将棋が描かれているなど、将棋の街・天童らしい個性的なデザインだ。観光案内用の地図や一部の商店の看板にも、将棋駒の五角形が使われている。この手のデザインがいくつ使われているか、親子して数えながら歩く。
駅のすぐそばで、羽州街道との交差点を渡る。現在は主要地方道山形天童線となっている。駅から温泉方面に向かう際にも渡ったはずだが、その時はここが旧街道とはわからなかった。「ほら、羽州街道だって。桑折から続いているんだよ」と、妻が子供達に教える。興味深い様子で街道を見る子供達。
そう言えば、天童駅の南側に展開する旧城下町のエリアには、旧伊達郡役所と同様に擬洋風建築の旧東村山郡役所の建物が残っているという。訪れてみたい気持ちがふとよぎったが、残念なことに帰りの電車の時刻が迫っている。再訪の口実ができたと潔く諦め、駅へと歩を進めることにした。