2013年7月31日 ~日吉帰省(?)記 その2~

日吉七丁目から日吉の北東端に位置する矢上小学校までは、1キロちょっとはあるだろうか。通学路を思い出しながら、歩いてみる。道はほぼそっくり残っているものの、沿道の建物は全く記憶にないものばかり。昔はもう少し畑が残っていたように記憶していたのだが、それも殆ど消え失せていた。
公園もない。マクドナルドで買ったハンバーガーは、未だ右手に提げたまま。そう言えば、昔もこの界隈には公園らしきものがなかったように思う。ただし、空き地は点在していて、そこでキャッチボールをしたり、あるいは夏休み中にラジオ体操を実施したりと活用していた記憶が甦る。今はそれすらもない。子供達はどこで遊んでいるのだろう。日吉駅から結構歩いているにも関わらず、小学生の姿は殆ど見かけない。少々気に架かる。
そんなことを考えながら進んでいると、やっと畑を発見。そうそう、昔はこんな風景が結構見られたんだっけ。なお、下の写真の後方に広がる丘陵は、慶應義塾大学日吉キャンパスの森。ここでも遊んだことがあったなぁ…
 
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更に先へ進むと、矢上小学校に到着。横浜市川崎市との境を流れる矢上川にほど近い丘陵の上にあり、校歌にも「日吉の丘の上」というフレーズが登場する(校歌の歌詞は  http://www.edu.city.yokohama.jp/sch/es/yagami/txt/songs.htm を参照のこと)。
一応"母校"でもあるし校舎を撮影したいと思うが、校内には用務員とおぼしき人が何やら作業をしており、あまり近づくことができない。丘陵の真下からでも校舎を視界に収めることができず、200メートルほど南に架かる矢上橋を一旦渡って川崎市側に出、ようやく撮影することができた。
とは言うものの、この校舎もまた、私の記憶に残っているものとは若干違っているような気がしなくもない。私が転校した後に児童数が増え、増床したものと思われる。
 
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上小学校の近くまで戻り、 矢上川と矢上橋を撮影。矢上川は川崎市宮前区内を源流とし日吉の南端で鶴見川に合流する全長7キロ弱の短い河川。流域が都市部で保水機能に乏しいこともあり、大雨が降ると洪水の危険が高まるらしい。従って、堤防には厳重な柵が設けられており、川岸へと降りることはできない。何だか殺風景だな…と思う。
それでも地域住民が遊歩道を整備し、草花を植えるなど、河畔の環境をそれなりに整備しようという心意気は伺えた。矢上小学校の北側に設けられていた花壇の隅っこに座ってしばし休憩。懸案だったマクドナルドのハンバーガーを、ここで頬張ることにする。食べている途中、自転車が何台か通り過ぎていき、私に冷たい視線を向けていった。でも構うものか。こちとら長旅(?)で腹が減ってるんだ。
 
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遊歩道を少し歩いてみる。 矢上小学校のやや西側では、東海道新幹線の高架橋が大きく矢上川を跨いで、トンネルの中へと入っていく。実はここ、東京駅を発った新幹線が初めて入るトンネルでもある。いささか鉄道マニア向けの小ネタではあるが、日吉のちょっとした自慢となるスポットではある。
 
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再び矢上橋を渡って、川崎市へと出る。そのまま道路を1キロ半ほど直進すると、横須賀線新川崎駅へとたどり着く。 新川崎駅は、私がちょうど日吉に住んでいた1980年の開業。だからこの駅を利用するチャンスはあったはずだが、結局その機会が訪れることのないまま今に至ってしまった。
周囲の風景も、全く記憶にない。唯一、夢見ヶ崎動物公園へと至る案内標識が見られるばかり。ここには自転車を漕いで2、3度訪れたことがある。規模の小さな動物園だが、日吉周辺には子供が気軽に立ち寄れるスポットが少ないので、それなりに楽しんだ記憶が残っている。動物園は地元で加瀬山と通称される丘陵に所在しており、私の歩いた道路からもその末端がチラッと見えた。
なお、矢上川の対岸にあたる川崎市幸区矢上、北加瀬、南加瀬、小倉、鹿島田といった地域は、実は1937年まで現在の日吉(日吉、日吉本町、下田町、箕輪町)と一緒に橘樹(たちばな)郡日吉村という自治体を形成していた。現在でも幸区役所日吉支所や日吉小学校、日吉中学校といった施設が存在しておりその名残は見られるものの、目抜き通りを通るバスは横浜市側の東急バスに対して川崎市側は京浜急行系列の川崎鶴見臨港バス、しかも商店街には川崎フロンターレを応援するフラッグが掲げられるなど、川崎市への同化が著しい。
新川崎駅の周囲にもまた武蔵小杉駅周辺と同様にタワーマンションが何棟か建っており、高層建築物が殆どない日吉と好対照をなしていた。
 
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