2014年5月26日 ~東北六魂祭直後の山形市①~

今年も、5月24、25の両日に、東北六魂祭が開催された。
開催場所は山形市。被災三県以外の都市では初めての開催で、連日10万人を超える人出でたいへん賑わったとのこと。
そこで、私も東北六魂祭の余韻を味わいたく、5月26日、山形市を訪れてみた。いつも通勤で使っている桑折駅6時29分発の電車で仙台駅へと向かい、仙台駅でWきっぷを購入した後、8時15分発の仙山線の快速でいざ出発。混雑気味の車内は女子大生の比率が高く場違いな場所に紛れこんじゃったな…と少々後悔するも、彼女達は東北福祉大前や国見といった途中駅で残らず下車し、愛子(あやし)駅を過ぎるとボックス席を一人で独占できるほどの閑散とした状況に。やはり、仙台~山形間の交通機関仙山線よりも高速バスの方がメインなのだろう。
今回は、山形駅の一つ手前、9時25分着の北山形駅で下車。東北六魂祭でパレード会場となった通りや繁華街の七日町は、山形駅よりもこの駅からの方が近い。仙山線の他、奥羽本線や左沢(あてらざわ)線の列車も停まるため、ホームが6番線まである規模の大きな駅だ。
 
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北山形駅から東へ500メートル進むと、パレード会場となった通りへと差し掛かる。南北に続く4車線の太い道路だが、愛称は特にないようだ。つい最近拡張が行われたようで、アスファルトが黒々としているのが印象的だ。沿道の商店もまた、道路のリニューアルにあわせて玄関に改装を施した所が多い。
 
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通りを1キロほど南下すると、市役所を中心とした山形市の官庁・ビジネス街に入る。この界隈の中核をなす建物は、何と言っても、旧山形県庁の文翔館。県庁こそ5キロほど東に離れた松波地区に移転してしまったものの、今なお街の中核をなす風格を漂わせている。県庁ほどの建物はやはりこのぐらいの威厳がなくては…と襟を正させる佇まいだ。
なお、文翔館の構内や市役所周辺も東北六魂祭の会場となっていた模様で、周囲ではステージや幟などの後片付けが慌ただしく行われていた。
 
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文翔館の正面からまっすぐ南下する道路を500メートルほど南下すると、繁華街の七日町。この道路は現在は国道112号線となっているがかつては羽州街道であり、七日町は江戸時代においても山形の繁華街であったのだろうと想像を巡らせてみる。
時計の針は10時を指しており、多くの店が開店となる頃。人通りも地方都市にしては多め(少なくとも福島市郡山市よりは多い)だが、旅行者らしい姿が結構目立ったので、東北六魂祭目当ての観光客も相当数いるものと思われる。
七日町の道路の面白い点は、北行の一方通行であること。東北地方の都市ではあまりお目にかかれないシステムだ。かつては3車線だったように記憶しているのだが、現在は2車線に減少させた上で、1車線分を自転車の通行スペースとして活用している。全蓋アーケードの商店街を自転車が我が物顔で通り抜ける新潟市とは対照的に、歩車分離がきちんと行き届いた繁華街と言えよう。
 
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さて、せっかく羽州街道に入ったのだから、もう少し街道を堪能してみようか。七日町の後は本町(ほんちょう)、十日町と南進し、十日町の南端で右折。国道112号線は直進しているものの、どうやら右折した先の主要地方道山形白鷹線が羽州街道だったようだ。繁華街から離れているだけに街道筋らしい風景が残っているかなと期待していたのだが、八日町にある男山酒造の建物の他にはそれらしい雰囲気が感じられず、ごくごく普通の商店街であった。
八日町の西端でいかにも城下町らしいクランク(桝形と書いた方が雰囲気が出るか?)を経、奥羽本線の踏切を渡ると、その先は五日町。さっきから、七日町、十日町、八日町、五日町と、市場町起源とおぼしき町ばかり通っているような気がする。ついでに言うと、文翔館の北側には六日町、十日町の南東には三日町という町もあるから、その徹底ぶりには恐れ入る。
ただし、五日町は、商店街というよりも住宅街の雰囲気。長年駅の裏口というポジションに追いやられていたから致し方ない部分はあるのだが、対照的に、その北側、山形駅の西口にあたる双葉町は、2000年代に入ってから霞城セントラルや山形テルサといった施設が行政主導で建設された他、ビジネスホテルや高層マンションが進出する一帯と化している。
もっとも、ビジネスホテルが目立つのは東京から新幹線で2時間40分ほど、仙台から高速バスや電車で1時間少々という環境の山形市が常設の営業拠点を設けるに値しないと判断された結果という側面があるし、空き地もそこかしこにあって有効に活用されているとは言い難い。一見近未来的だが、よく見ると山形市の置かれた状況を残酷なまでに表している風景と言えなくもないだろう。
 
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