2014年5月26日 ~東北六魂祭直後の山形市②~

双葉町の一帯を過ぎ、城南町の住宅街を通り抜けると、山形城址霞城公園へと入る。
立派な堀に囲まれた城内には体育館や博物館が整備されている他、広々とした芝生もあって、就学前の子供が母親や保育士に連れられて遊んでいたりしていた。あと、東北六魂祭帰りとおぼしき観光客の姿も、数組見掛けた。
山形城の城主は過去何度か交替しているが、やはり最も目立つのは最上義光(よしあき)関連の遺構であり、山形市民の彼へのリスペクトぶりが強く伝わってくる。なお、天守閣は復元されていないものの、本丸一文字門(大手門)の復元工事が行われている。
 
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こちらは、山形城の東大手門。山形駅や七日町から近いため、山形城を訪れる観光客にとっては表玄関でもあり、それに相応しい美観が復元されている。奥羽本線がすぐ近くを通っており、桜の時期は電車に乗りながら城内に咲く桜を花見というオツな風景も堪能できる。
なお、この門の東側にふれあい広場というスペースがあるのだが、ここも東北六魂祭の会場のひとつとなっており、忙しそうに撤収作業が行われていた。
 
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ふれあい広場や最上義光歴史館の前を通り抜け、交差点を右折し、山形駅へと向かう。この時点で、北山形駅を出発してから1時間半以上が経過している。久しぶりの街歩きも、最後のひと踏ん張り。
ところで、今歩いている通りは「すずらん通り」だったと認識していたのだが、それらしい愛称はなかなか道路標示に出てこない。山形城寄りの一角には「公園通り」の表示が見られたものの、どこの公園のことを指すのか部外者にはさっぱりわからない。この通りといい、東北六魂祭のパレードが行われた通りといい、山形市内の道路は愛称に関してやや頓着を欠くようだ。市民の方々にはちょっと考えて欲しいところである。
なお、この通り、山形城寄りは病院の建物が目立ち、山形駅寄りは飲み屋街となっている。七日町を歩いた際繁華街にしては飲食店が少ないなと感じたのだが、なるほど、山形市内の歓楽街はここなんだと納得した次第。
 
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今や全国で唯一残っている十字屋(ただし、運営している会社は福島市中合)前の交差点を右折すると、山形駅はもう目の前。1992年の山形新幹線開通を機にステーションホテル併設の立派な駅舎にリニューアルされている。
駅前広場には、規模的には郡山と五十歩百歩ではあるが、ペデストリアンデッキが整備されていた。以前は地下歩道があった気がするのだが、リニューアルに伴い山形駅の改札口が2階に移り、駅前広場に面して建っていた(写真右側に写っている駐車場の位置にあった)ビブレが2000年頃に閉店して駅前に地下売場を有する店舗がなくなった影響もあるのだろうか。駅ビルのエスパル(この名称も、旧称のメトロプラザの方が良かったのだが…)にも、地下売場はない。
 
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最後に、東北六魂祭の幟が立ち並ぶペデストリアンデッキから、駅前の通り(主要地方道山形停車場線。この通りにも愛称が欲しいところだ)を撮影。駅と県庁を直結し交通量が多い道路でもあるが、駅から離れるにつれて緩やかな上り坂となっているため、沿道の建物が実際よりも高く感じられるのが面白い。
時間に余裕があったならば県庁まで往復してみたかったのだが、それは今後の楽しみにとっておこうと思う。
エスパルなどで時間を潰した後、山形駅11時59分発の電車で、仙台へと戻ることにする。
 
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