2015年3月25日 ~福島市・伊達市の高校めぐり⑤ 保原高校、梁川高校~

福島市伊達市の高校訪問シリーズ最終回となる今日の散歩は、伊達市内にある保原、梁川の二つの県立高校を訪れようと思う。小雪舞い散る朝だったが、天気予報は晴れ。だから年度末を迎える前に歩き切ろうという気持ちで、午前7時過ぎに自宅を出発した。
奥州街道に沿った桑折町の商店街を南下。旧伊達郡役所脇の坂を下って国道4号線に出、伊達市に入ってすぐの交差点を左折して県道保原桑折線へと入り、まずは保原高校方面へと歩を進める。旧制保原中学校として1922年に設立された同校は伊達市伊達郡の基幹高校として長年機能しており、現在も普通科、商業科の全日制2過程と定時制課程を擁する規模の大きい学校である。が、1980年代に福島東、福島南の両校が開校してからは進学校としては位置付けられなくなり、更にここ数年は毎年のように募集定員割れを起こしている。桑折町からも以前は多くの生徒が進学していたが、直通する公共交通機関がない事情などもあり、同校への進学人数は漸減傾向にあるようだ。
阿武隈川に架かる大正橋を渡ると、伏黒の集落へと入る。県道沿いに住宅や商店が立ち並んでいる一方で肝心の歩道が整備されておらず、通勤時間帯に歩くのは少々危険かと思われた。この県道は桑折町や旧伊達町方面から保原高校に自転車通学する際の通学路にもなるため、歩道の整備や道幅の拡張が求められるところ。一応、一部では歩道整備の工事が進んでいる箇所もあるので、今後に期待したいものだ。
自宅から大正橋まで30分、大正橋から保原の街に入るまで30分と、順調な行程。伊達市伊達郡(川俣町を除く)を管轄するJA伊達みらいの本店など伊達市伊達郡の中核をなす施設が立ち並ぶ保原の街だが、現在最も目を引く建物は、そのJA伊達みらい本店の真正面に2012年竣工した保原小学校の立派な校舎。白亜の建物は、小学校というよりどこかの文化会館を想起させる。なお、保原小学校の児童数は700人を超え、伊達市伊達郡では他校を大きく引き離して最大規模を誇っている。
一方、保原高校はというと、街の中心を通る南北筋の国道349号線や東西筋の陣屋通りからやや北東に離れた場所に位置している。大ぶりな校舎ではあるものの老朽化が進んでおり、壁面が一部剥落しているのが悲しく目を射る。小学校の立派な校舎を目の当たりにした直後なだけに、高校の校舎のボロさが余計に気になって仕方がない。かつての旧制中学であり優秀な人材も多数輩出した実績があるとはいえ、今は保原でも優秀な生徒は福島市内の高校に進学してしまうから、保原高校は多分住民に愛されていないのだろう。少々かわいそうに思う。
高校の外周をぐるりと回り、住宅街を通り抜けて国道349号線へと出る。次に目指すのは保原から6キロほど国道を北東に進んだ先に位置する梁川高校。この学校もまた、保原高校と同様に毎年のように募集定員割れに悩まされている。しかも、全日制普通科1学年80人の定員しかいないにも関わらず。また、こういうことを書くのは関係する方に申し訳ないのだが、梁川高校は福島市を中心とした中通り北部ではいわゆる底辺校として認識されており、偏差値も同地区では断トツで低い30台。「ちゃんと勉強しないと梁高にしか行けないぞ!」などと激を飛ばす中学校の教師も普通にいるほどだ。
だから、下手すると数年後には、梁川高校は分校化、あるいは廃校への道をたどってしまうのかもしれない。個人的には、保原高校と梁川高校が統合し「伊達○○高校」的な名前の個性的な学科を擁した新しい県立高校として生まれ変われば生徒のためにも地元のためにも良いのにな…と思う。そんなことを歩きながら考えているうちに、福島県の高校教育の都市部偏重、郊外軽視傾向に怒りが向いてしまう。これが「選択と集中」の結果なのか!と。
国道を1時間ほど歩くと、梁川の街へと入る。1986年夏に発生した水害を契機としてリニューアルされた街並みも30年近い年月を経ていくぶんくたびれた感があるのだが、ここでもまた、今月初めに引っ越しを終えたばかりという梁川小学校の真新しい校舎が目を引いている。住民の保原小学校への対抗心がなせる業かなと思うのだが、梁川小学校の児童数は保原小学校の6割程度、400人強にとどまっているため、立派な校舎に見合った児童数を確保していくためには周辺の小学校との統合が不可避という状況にある。旧梁川町にある八つの小学校(梁川、粟野、堰本、白根、山舟生、富野、五十沢、大枝)のうち梁川小学校以外の小学校はすべて1学年1クラスかそれ以下(複式学級)の小規模校なので、最悪そのすべてが近い将来統合される可能性も否定できない。町場への「選択と集中」は、梁川というミクロな範囲内でも容赦なく押し寄せているように感じられた。
梁川小学校の旧校舎は、街の東部の高台、戦国時代に伊達氏が本拠としていた梁川城址にある。城址には小学校のみならず、梁川幼稚園と梁川高校も所在する。2000年までは梁川中学校も校舎を構えていたから、同じスペースに幼・小・中・高が一同に集まるという全国でも珍しい光景が見られていた訳だ。
坂を登って城址に入る。梁川高校はその西側の一角にあったが、保原高校と同様校舎は古びていた。加えて、校舎が移転した梁川中学校のグラウンドが今も城址内のかなりのスペースを占めているため、高校よりも中学校の方が「城址の主」という雰囲気。今は春休みだが中高共に部活動に励んでいる生徒がおり、明らかに中学校の方が人数、勢い共に高校を凌駕していた。背中に「YANAGAWA J・H・S」と書かれたウインドブレーカーを羽織ったランニング中の生徒から「おはようございます!」と元気に挨拶を受けつつ、城址内を歩く。城址から東に少し離れた所には、梁川中学校の校舎が見える。梁川小学校と同じく、梁川高校よりも新しくかつ立派。高校だけが古いまま取り残されている現状に、愕然としてしまった。