2016年9月28日 ~上の子の合格祈願?~

上の子の合格祈願に、妻と二人で行ってきました。
祈願先は、なんと東京の湯島天満宮。単純に、私達が都内散策を楽しみたかっただけだったりして(苦笑)
福島駅8時14分発のやまびこ・つばさ122号に乗って、9時35分東京駅着。この列車は福島駅を発つと大宮駅にしか停まらないので、本当に速いです。
東京駅からは東京メトロ丸ノ内線に乗り換え、本郷三丁目駅にて下車。そこから多少歩いたものの、10時台前半にはもう湯島天満宮の前に到着していました。

イメージ 1

下の写真が、湯島天満宮の本殿。境内はさほど広くはなかったものの参拝客は結構いました。また、今日が大安ということもあり結婚式も執り行われていて、白打掛を着た花嫁がしずしずと歩いていく様子もチラッと見えました。
知名度の高い神社なので合格祈願も順番待ちかな…と思っていたのですが意外にあっさりと祈願に臨むことができ、10分ほどであっさりと終了。神社の方の話によると、11月以降に祈願する人が多い模様。ただ、早めに祈願を済ませる分には、一向に構わないとのことでした。

イメージ 2

祈願を終えてもまだ11時前。ということで、湯島、本郷界隈を散歩することにします。一旦本郷三丁目駅付近に戻った後、向かった先は東大の赤門。ここからも、湯島天満宮に勝るとも劣らないパワーを戴いたような気がしました。同じことを考えている人も少なくないのか、記念撮影をしている観光客(?)もチラホラ見掛けました。

イメージ 3

再び本郷三丁目駅に戻り、丸ノ内線に一駅だけ乗車し後楽園駅で下車。目の前には東京ドーム。実は間近に行ったことがなかったので、その大きさには驚きました。
撮影を試みたものの、後楽園駅付近からでは大きすぎて収まりきらず、仕方なく、東京ドームの端っこ+隣接する東京ドームシティのジェットコースターという、ちょっと半端な形での撮影に。

イメージ 4

東京ドーム周辺をしばらく歩いた後、向かったのは水道橋駅。駅近くにある「中華そば 勝本」にて昼食。事前知識なしの行き当たりばったりで入った店でしたが、煮干しの出汁が良くきいたラーメンで、夫婦してスープまで完食。その様子を見ていた店員さんに「完食ありがとうございます」と喜ばれてしまいました(笑)
12時少し前に水道橋駅を出、総武線⇒山手線と乗り継いで、東京駅に到着。丸の内口北側に建つ丸の内オアゾ内にある丸善丸の内本店に入り、時間潰し。本屋好きの妻は嬉しそうな表情で、各フロアを回っていました。

イメージ 5

丸の内からちょっと足を伸ばして、皇居にも行ってきました。お約束の(笑)二重橋撮影。皇居周辺は日本人よりも外国人観光客の姿が目立ち、日本の正に中心であるにも関わらず日本じゃないような雰囲気。唯一、各所で警護にあたっている警官の姿が、とても頼もしく感じられました。
皇居から再び東京駅前に戻り、KITTE内にある「BEER&SPICE SUPER”DRY”」でビール片手に1時間ほどおしゃべりしながら過ごします。もはや合格祈願のことなどどこかに吹き飛んでしまい、飲み会でもしているかのような感覚です。せっかくのご利益もチャラにならなければ良いのですが(おいおい)

イメージ 6




2016年5月18日 ~仙台うみの杜水族館と地下鉄東西線

今日は、仙台うみの杜水族館に、妻と二人で行ってきました。

イメージ 1

桑折駅から東北本線仙石線を乗り継いで2時間弱で最寄の中野栄駅着。そこからは水族館のシャトルバスを利用しました。平日とはいえ、カップルやお年寄り、あと幼稚園の遠足などもいて、結構賑わってました。
館内もちょこっと撮影。

イメージ 2

展示スペースに入ってすぐの所にある大水槽。泳いでいるのは、地元に近い三陸沖に生息する魚たちです。

イメージ 3

こちらは屋外にあるイルカの水槽。残念ながらショーの時刻とはタイミングが合いませんでしたが、イルカの姿をしっかりと見ることができました。
この水族館は昨年惜しまれつつ閉館したマリンピア松島水族館の実質的な後継施設としてオープンした訳ですが、とかく施設の老朽化が目立っていた松島に比べると白と青を基調とした明るめの色調で、綺麗さ、見やすさの点ではかなり向上している一方で、水族館としての「売り」が何なのかいまいちぼやけている印象が残りました。今後はいかにして個性を出して地元に根付いていくかが課題と言えるのではないでしょうか。

水族館見物を終えた後は、路線バスで仙台市地下鉄東西線の東のターミナル・荒井駅まで移動し、西のターミナル・八木山動物公園駅まで一気に移動。さすがに動物園見物はしませんでしたけど、荒井から八木山まで30分ほどしかかからず、ずいぶん移動が楽になったなと感じました。
また、仙台駅以西は私にとっても初めて乗車する区間だったのですが、トンネルの暗闇の中からでも車両が青葉山の勾配を喘ぎながら登っている様子がうかがえたり、突然トンネルを出て緑のただ中にある竜の口渓谷の鉄橋を渡ったりするなど、登山鉄道に乗っているような感覚になりました。そう言えば、八木山動物公園駅は、日本の地下鉄で最も標高が高い場所になるんだそうですね。
車内の様子ですが、仙台駅を挟んで、東西で乗客層もだいぶ異なるように思います。東側は卸町や六丁の目といった卸売業や製造業が多い地域を通ることもあり圧倒的に勤め人が多い一方、西側は東北大、宮城教育大、東北工業大といった大学の近くを通っているため教官や学生らしい姿が目立ちます。就職活動中なのでしょうか、リクルートスーツ姿の学生も何人か見かけました。その中間の仙台市中心部、特に藤崎デパートと直結している青葉通一番町駅では買い物に来たとおぼしき中高年の方が結構利用していたかもしれません。
東西線に乗った証拠という訳ではありませんが、八木山動物公園駅の駅舎を撮影。写真の左側は立体駐車場となっていて、その屋上は八木山動物公園の入口に通じているそうです。

イメージ 4

2016年3月27日 ~家族旅行2日目~

宿に着いたのは午後6時過ぎのことであった。
妻と下の子は既に到着していて、浅草の街をあれこれ見て回って楽しんでいたとのこと。お祭り好きの下の子は、原宿や表参道よりも浅草の方が気に入った様子。ただ、原宿にせよ浅草にせよ、どこもかしこも人混みだったのには少々ウンザリしていたようでもあった。
宿そのものは風呂がぬるいことを除けば申し分のないロケーションであった。我が家の家族は枕が変わると眠れなくなる傾向があるのだが、和室に直に敷かれた布団で皆グッスリと眠っていた。もっとも、日中から夕方にかけていろいろ動き回って疲れたせいもあるのかもしれないが。

翌朝、午前7時に起床。
子供達はまだ寝ているが、その間に妻と私とでちょっと散歩に出掛けてみた。宿から吾妻橋を渡って桜が咲き始めっている隅田川の東岸を北上し、言問橋を渡って浅草寺に立ち寄ってお参りしてから宿に戻るコース。30分ほど、下町の朝を堪能した。

イメージ 1
吾妻橋

イメージ 2
浅草寺

散歩を終えて部屋に戻ると、子供達も起きだした。朝食を済ませ、身支度をして、9時にチェックアウト。東武鉄道浅草駅から東武スカイツリーラインに乗車し、東京スカイツリーを目指す。
早めに訪れたつもりだったが、スカイツリーの周辺は既に凄い混雑。そりゃ、日本一の高さを誇る建造物だから当たり前か。スカイツリーの根元から撮影してみたのだが、そのスケールが伝わるだろうか。

イメージ 3

チケット入手で並び、エレベーターでも並び、ようやく展望台へ。眺望はすこぶる良い。並んだ甲斐があったというもの。なお、展望台は、高さ350メートルの天望デッキと高さ450メートルの天望回廊の2ヶ所あり、一応両方からの景色を堪能した。

イメージ 4
【天望デッキから江東区方面を撮影】

イメージ 5
【天望回廊から荒川区方面を撮影】

それにしても驚かされるのは、どこまでも広がっている東京の市街地。どこもかしこも人だかりになるのは当然と言えるだろう。我々家族が住む福島県との差を見せつけられたような気がしなくもなかった。

2016年3月26日 ~家族旅行1日目~

今月下の子が小学校を卒業したので、子供運賃が有効な3月のうちに家族旅行に行こうと、昨秋より計画を立てていた。行先は、東京。一昨年に上の子が小学校を卒業した際も出掛けたのだが、今回はまた違ったスポットを訪れようかを考えていた。
ただ、あろうことか来月に実施される上の子の修学旅行の行先もまた都内となってしまったため、旅行直前に方針変更。妻と下の子は原宿、表参道など都内を見て回り、私と上の子は修学旅行では訪れない横浜、鎌倉方面へと足を運ぶことになった。
そんな訳で、我が家の男性陣が訪れたスポットを、写真でご紹介。

イメージ 1

【横浜中華街】
まず訪れたのは、横浜中華街。正午少し過ぎに根岸線石川町駅で下車し、元町経由で中華街入り。元町は宝石、服飾関係の店がズラリと並び「将来彼女とここを歩くと喜ばれるかもよ」と上の子に説明するも、薄い反応。むしろ商店街に設置されているパーキングメーターに興味を示す有様であった。
「ここは日本か?」と一瞬疑問に思うほど中華料理の店舗が軒を連ねる中華街は、今日も黒山の人だかり、その中で空いていそうな店に入ったものの店員のサービスはあまり良くなく、空いているのには理由があるんだなと妙に納得した次第。

イメージ 2

中華街からちょっと足を伸ばして山下公園へ。やはり港町・横浜に来たからには海を見なければ済まない。
家族連れが結構多かった中華街に比べ、カップルの割合が高かったような気がする。
前方に見えているみなとみらいまで更に歩くことも考えたが、横浜で長居すると鎌倉を堪能できなくなる恐れがあるので、ここで踵を返し、神奈川県庁、横浜スタジアムを経由で根岸線関内駅へ。

イメージ 3

関内駅から横浜駅東海道線に乗換え、大船駅で下車。ここから江の島までは湘南モノレールを利用する。これは私の趣味。実はモノレール自体乗ったことがなかったので、抜け目なく(?)コースに加えておいた。でも、上の子は興味がない様子。
車両の外観はは一見新し目に見えるものの、内装は地方ローカル線を彷彿とさせていて、座席もなんとボックスシート。急勾配や急カーブも多く、結構揺れが激しかった。上の子は乗り始めこそモノレールの雰囲気を堪能していたものの、途中からは居眠り…

イメージ 4

【江の島】
場末の雑居ビルを彷彿とさせる湘南モノレールの終点・湘南江の島駅を出、江の島へ。海岸にはサーフィンやヨットを楽しむ人が多く、上の子も「あの人たち、寒くないのかな?」と珍しく興味を抱いた様子。
遠くから眺めるだけではなく、橋を渡って江の島の中もちょっと探索してみた。観光客でごった返す島内は、中国系の外国人が結構な割合を占めていた模様。土産物屋のイチオシは「しらす」なのだが、中国人の口に合うのだろうかと、ちょいと気になった。

イメージ 5

江の島見物を終えた後は江ノ電江ノ島駅まで歩き、江ノ電に乗って長谷駅に行き。先日改修工事を終えたばかりの大仏まで参拝に。江ノ電の車内も長谷駅から大仏までの道のりも観光客でごった返しており、上の子も私も少々グロッキー気味。しかも江の島同様中国人の割合が多いようだ。
とりあえず大仏は拝めたものの、体力的にはもう限界。当初の予定では鎌倉駅でも下車して鶴岡八幡宮参拝なども考えていたのだが、諦めて宿へ急ぐことにする。
なお、宿はなんと浅草の和風旅館。「スカイツリーが見える宿」という条件で調べていたらこの宿にたどりついた次第だが、大仏からの移動は少々過酷で、長谷駅~(江ノ電)~鎌倉駅~(横須賀線)~戸塚駅~(上野東京ライン)~上野駅~(東京メトロ銀座線)~浅草駅と三度の乗り換えを要した。特に戸塚駅での乗り換えは私が急に思い立って実行したものであり、座席で寝ていた上の子を無理やり起こす強行軍。上の子は「何でこんな所で起こすんだ」とばかりに怪訝そうな表情を見せていた。

2015年8月26日 ~酒田に行くつもりが新庄へ~

ここ数ヶ月サボっていた早朝散歩。今回は鉄道で遠出して、私の地元の福島県を脱出して観光気分で歩こうかと考えている。予定している行先は、山形県酒田市。天気予報を確認すると、福島県中通りは雨模様なものの、酒田市近辺は降らずに済むようだ。
時刻表で調べてみると、桑折駅6時29分発の下り始発電車に乗れば、東北本線陸羽東線陸羽西線経由で酒田駅に12時18分に着くとのこと。帰りのダイヤも考慮すると酒田市内に滞在可能な時間は2時間弱といったところだが、それだけあれば結構歩けるのではないかと思う。
雨が降ったり止んだりと不安定な天候の桑折駅を出発し、小牛田駅陸羽東線に乗換え、山形県へと入る。ところが、新庄駅から30キロほど手前にある最上駅で、なんと列車がストップ。運転士のアナウンスによると、強風のため陸羽西線の列車が遅れている影響が陸羽東線のダイヤにも波及しており、最上駅で交換する予定の列車がまだ新庄駅で足止めを食らっているとのこと。結局、交換列車待機のために最上駅でなんと1時間も待たされることに。
それにしても、強風で列車が止まるとは全く想定外。この先も陸羽西線のダイヤの乱れは続くものと想定されるので、この時点で酒田行きは断念せざるを得なかった。

イメージ 1

ようやく最上駅を発車した時、列車の中には甚平と浴衣の折衷スタイルというか、お祭りに行くような格好をした若い男女が相当数乗車していた。今日は平日だが、学校は休みなのだろうか。気になってスマホで調べてみると、一昨日から今日までの三日間、新庄市中心部で新庄まつりが開催されているとのこと。まつりのサイト(http://shinjo-matsuri.jp/)によると今年はなんと260回目となる節目。しかもまつり自体がユネスコ無形文化遺産の候補に提案される予定というから驚きだ。酒田は断念したが怪我の功名か、新庄で面白いものが見られそうだ。
列車は結局遅れを取り戻すことなく、12時過ぎに新庄駅に到着。

イメージ 2

普段は人影が少なく淋しい新庄の街だが、今日は駅構内も商店街も物凄い人だかりで驚かされる。手許に駅前通りの画像が二枚あるので見比べてみよう。上が今日、下が昨年7月23日に新庄市に立ち寄った時の様子である。

イメージ 3

イメージ 4

人だかりの凄さ、商店街の別地点からも撮影してみた。とにもかくにも、新庄市でこれだけの人混みに遭遇したのは初めての経験で、面食らう。

イメージ 5

行き交う人々を見ていて思ったのは、小中高校生に加えて家族連れの姿も結構あったこと。学校が休みなのはまだ理解できるとしても、ひょっとしたら企業も相当数が休みなのであろうか。昼食に立ち寄った蕎麦屋では関西弁の会話も聞かれたので、祭りにあわせて遠方から帰省している人もいるのかもしれない。
新庄市では来月に市長選挙が控えているとのことだが、ポスター、看板といった選挙グッズの姿も全く見られない。祭りの最中では選挙も休戦せざるを得ないのだろう。
祭りのメインを飾るのは、市内の各町内会が繰り出し市街地を練り歩く20台ほどの山車。ただし、山車パレードは昨日で終わってしまったとのことなので、残念ながら生では見れず… それでも、人混みと露店で祭りの雰囲気は十二分に味わえたし、新庄の街に対するイメージもだいぶ変わった。来年以降も盛り上がって欲しいと願いつつ、滞在2時間ほどで新庄駅を後にした。

2015年3月25日 ~福島市・伊達市の高校めぐり⑤ 保原高校、梁川高校~

福島市伊達市の高校訪問シリーズ最終回となる今日の散歩は、伊達市内にある保原、梁川の二つの県立高校を訪れようと思う。小雪舞い散る朝だったが、天気予報は晴れ。だから年度末を迎える前に歩き切ろうという気持ちで、午前7時過ぎに自宅を出発した。
奥州街道に沿った桑折町の商店街を南下。旧伊達郡役所脇の坂を下って国道4号線に出、伊達市に入ってすぐの交差点を左折して県道保原桑折線へと入り、まずは保原高校方面へと歩を進める。旧制保原中学校として1922年に設立された同校は伊達市伊達郡の基幹高校として長年機能しており、現在も普通科、商業科の全日制2過程と定時制課程を擁する規模の大きい学校である。が、1980年代に福島東、福島南の両校が開校してからは進学校としては位置付けられなくなり、更にここ数年は毎年のように募集定員割れを起こしている。桑折町からも以前は多くの生徒が進学していたが、直通する公共交通機関がない事情などもあり、同校への進学人数は漸減傾向にあるようだ。
阿武隈川に架かる大正橋を渡ると、伏黒の集落へと入る。県道沿いに住宅や商店が立ち並んでいる一方で肝心の歩道が整備されておらず、通勤時間帯に歩くのは少々危険かと思われた。この県道は桑折町や旧伊達町方面から保原高校に自転車通学する際の通学路にもなるため、歩道の整備や道幅の拡張が求められるところ。一応、一部では歩道整備の工事が進んでいる箇所もあるので、今後に期待したいものだ。
自宅から大正橋まで30分、大正橋から保原の街に入るまで30分と、順調な行程。伊達市伊達郡(川俣町を除く)を管轄するJA伊達みらいの本店など伊達市伊達郡の中核をなす施設が立ち並ぶ保原の街だが、現在最も目を引く建物は、そのJA伊達みらい本店の真正面に2012年竣工した保原小学校の立派な校舎。白亜の建物は、小学校というよりどこかの文化会館を想起させる。なお、保原小学校の児童数は700人を超え、伊達市伊達郡では他校を大きく引き離して最大規模を誇っている。
一方、保原高校はというと、街の中心を通る南北筋の国道349号線や東西筋の陣屋通りからやや北東に離れた場所に位置している。大ぶりな校舎ではあるものの老朽化が進んでおり、壁面が一部剥落しているのが悲しく目を射る。小学校の立派な校舎を目の当たりにした直後なだけに、高校の校舎のボロさが余計に気になって仕方がない。かつての旧制中学であり優秀な人材も多数輩出した実績があるとはいえ、今は保原でも優秀な生徒は福島市内の高校に進学してしまうから、保原高校は多分住民に愛されていないのだろう。少々かわいそうに思う。
高校の外周をぐるりと回り、住宅街を通り抜けて国道349号線へと出る。次に目指すのは保原から6キロほど国道を北東に進んだ先に位置する梁川高校。この学校もまた、保原高校と同様に毎年のように募集定員割れに悩まされている。しかも、全日制普通科1学年80人の定員しかいないにも関わらず。また、こういうことを書くのは関係する方に申し訳ないのだが、梁川高校は福島市を中心とした中通り北部ではいわゆる底辺校として認識されており、偏差値も同地区では断トツで低い30台。「ちゃんと勉強しないと梁高にしか行けないぞ!」などと激を飛ばす中学校の教師も普通にいるほどだ。
だから、下手すると数年後には、梁川高校は分校化、あるいは廃校への道をたどってしまうのかもしれない。個人的には、保原高校と梁川高校が統合し「伊達○○高校」的な名前の個性的な学科を擁した新しい県立高校として生まれ変われば生徒のためにも地元のためにも良いのにな…と思う。そんなことを歩きながら考えているうちに、福島県の高校教育の都市部偏重、郊外軽視傾向に怒りが向いてしまう。これが「選択と集中」の結果なのか!と。
国道を1時間ほど歩くと、梁川の街へと入る。1986年夏に発生した水害を契機としてリニューアルされた街並みも30年近い年月を経ていくぶんくたびれた感があるのだが、ここでもまた、今月初めに引っ越しを終えたばかりという梁川小学校の真新しい校舎が目を引いている。住民の保原小学校への対抗心がなせる業かなと思うのだが、梁川小学校の児童数は保原小学校の6割程度、400人強にとどまっているため、立派な校舎に見合った児童数を確保していくためには周辺の小学校との統合が不可避という状況にある。旧梁川町にある八つの小学校(梁川、粟野、堰本、白根、山舟生、富野、五十沢、大枝)のうち梁川小学校以外の小学校はすべて1学年1クラスかそれ以下(複式学級)の小規模校なので、最悪そのすべてが近い将来統合される可能性も否定できない。町場への「選択と集中」は、梁川というミクロな範囲内でも容赦なく押し寄せているように感じられた。
梁川小学校の旧校舎は、街の東部の高台、戦国時代に伊達氏が本拠としていた梁川城址にある。城址には小学校のみならず、梁川幼稚園と梁川高校も所在する。2000年までは梁川中学校も校舎を構えていたから、同じスペースに幼・小・中・高が一同に集まるという全国でも珍しい光景が見られていた訳だ。
坂を登って城址に入る。梁川高校はその西側の一角にあったが、保原高校と同様校舎は古びていた。加えて、校舎が移転した梁川中学校のグラウンドが今も城址内のかなりのスペースを占めているため、高校よりも中学校の方が「城址の主」という雰囲気。今は春休みだが中高共に部活動に励んでいる生徒がおり、明らかに中学校の方が人数、勢い共に高校を凌駕していた。背中に「YANAGAWA J・H・S」と書かれたウインドブレーカーを羽織ったランニング中の生徒から「おはようございます!」と元気に挨拶を受けつつ、城址内を歩く。城址から東に少し離れた所には、梁川中学校の校舎が見える。梁川小学校と同じく、梁川高校よりも新しくかつ立派。高校だけが古いまま取り残されている現状に、愕然としてしまった。

2015年3月18日 ~福島市・伊達市の高校めぐり④ 福島北高校、聖光学院高校~

高校訪問シリーズも今回で4回目。福島市内の高校で唯一未訪問となった飯坂町にある福島北高校伊達市内の高校を巡る予定でいたのだが、いろいろ検討した結果、旧伊達町にある聖光学院高校を訪れ、そこから桑折町の自宅に帰るルートに落ち着いた。今回の散歩の起点は東福島駅だから、そこから福島北高校(福島市飯坂町)⇒聖光学院高校(伊達市伊達町)⇒自宅とジグザグルートをたどることになる。
まずは、桑折駅7時46分発の上り電車に乗車。以前この電車は7時44分発だったのだが、つい先日、3月14日にダイヤ改正が実施され、2分繰り下げられた。東福島駅には7時53分に到着。跨線橋を渡り、線路の東側にある駅舎を出る。
が、散歩開始早々、駅の北側にあるアンダーパスを通り、線路の西側へと出る。福島北高校東福島駅の北西に位置しているから当然そのようなルートになるのだが、駅の表玄関で住宅や福島学院大学の学生アパートなどが立ち並んでいる東側に比べると、西側は住宅の張り付きも少なく、果樹園が目立つ。そんな風景を40分ほど歩きあと少しで飯坂の温泉街へと入るという所で、福島北高校の校舎が見えてくる。3階建ての、ごくごく平凡な校舎だ。
こんなことを言っては生徒やOB・OGの方々に失礼かと思うが、福島北高校自体も、福島市中心部からかなり外れた場所に立地しているせいか、これと言って目立つ所のない学校だ。現在は総合学科のみの設置となっているが、生徒の選択によって進学、農業、工業、商業、介護などの各学科のようなカリキュラムが学べる一方、福島北高校といえばコレ!という売りもないような気がする。部活動面でもあまり目立った実績がないようで、他校であれば正門前に誇らしく掲げられている活躍した生徒の名前も2、3掲げられているのみ。ただし、かつて硬式野球部が1988年のセンバツに出場し、1勝を挙げた実績がある。
ここからは東へと向きを変えて聖光学院高校へと急ぐべきだろうが、せっかく飯坂まで足を運んだのだから、飯坂の温泉街の現状視察といきたい。そのまま北へと進み、飯坂温泉駅や鯖湖湯などを見て回る。かつては廃墟のような建物があちこちにあった温泉街だったが、ここ数年で和風の外観をした建物があちこちにでき、落ち着いた雰囲気を取り戻しているように感じる。
十綱橋を渡って摺上川の対岸に出、国道399号線を東進。実は、この道路を歩くのは、かなり久しぶりのこと。自宅から飯坂まで歩く際は県道飯坂桑折線を使うことが多いし、歩道が完備された同線に比べると国道399号線は歩道が未整備の箇所が多く、非常に歩きづらいのだ。更に言うと、特に飯坂寄りでは沿道の田んぼよりも1メートルほど高い位置に道路があるため、クルマが近づいてきても退避するスペースにも乏しい。この道路を利用して福島北高校まで自転車通学している生徒もいるだろうに、危険極まりないロケーションだと思う。
飯坂町の東端に位置する東湯野の集落からは歩道がきちんと整備され、そのまま伊達市へと続く。伊達駅のやや南側で東北本線の陸橋を渡り、更に東進すると沿道に「聖光学院前」のバス停が。この近くから左へと分岐している脇道に入って5分ほど進むと、右手に聖光学院高校の校舎が見えてくる。
聖光学院高校といえば、福島県内ではほぼ敵なし、昨年まで8年連続で夏の甲子園に出場しているという高校野球の強豪校。いつもだと校門前には野球部員が立っていて通行人に「おはようございます!」と大きな声であいさつしてくれるのだが、今日はその姿はない。同校で二次募集の入試が行われているためだ。10日に県立高校Ⅱ期選抜の筆記試験が行われたことは前の日記に書いたが、その結果が16日に発表され、不合格で進路が決まらない生徒を対象に今日の試験が行われている次第。二次試験のスケジュールは超タイトで、17日に願書受付、そして今試験が行われ、なんと今日の夕方4時には合格発表があるという。
聖光学院高校のような私立高校に留まらず、Ⅱ期選抜までに定員を満たすだけの合格者がいなかった県立高校でもまた、追加募集(Ⅲ期選抜)が23日に実施される。福島市内の県立高校では実施校がないものの、伊達市内に二つある保原、梁川の両校では実施予定だという。願書受付は今日までとのこと。Ⅲ期選抜の前になるのか後になるのかはわからないが、次回の散歩ではこの両校を訪問したいと考えている。
聖光学院高校を出た後は奥州街道に出て北上し、10時52分、自宅に帰還。