2006年8月27日 ~福島から松川まで~

昨日は結局、いつもよりかなり早めの午後9時に就寝した。
おかげで休養バッチリ、目覚まし通り、4時40分には起床。
今日の散歩は前々回の続きで、福島市中心部をスタートして福島市南部の金谷川を目指す予定だ。冒頭にも記したが、福島から金谷川までは、学生の時に一度だけ、歩いたことがある。確かその時は南福島の南にある伏拝交差点から金谷川奥州街道北側入口(NECワイヤレスネットワーク工場近辺)までは国道4号線を歩いたと記憶しているが、今回はあくまで奥州街道を歩く予定。決して勝手知ったる道ではないので、道中が楽しみであり、またそれなりの注意が必要だ。
桑折発5時42分の上り始発電車に乗り、5時56分福島着。ここから早朝散歩を再開。
駅東口から300メートルほど東に歩き、駅前通りとパセオ通りとの交差点へ。ここを右折すると奥州街道で、あとはまっすぐに南へと歩く。平坦な上歩道も整備され、歩きやすい道だ。福島の旧市街の南端、荒川に架かる信夫橋を渡ると、左手前方に日東紡の工場が見えてくる。現在は本社機能を東京に移しているが、登記上は今もこの工場が本社所在地となっている。
国道115号線を地下道で渡り、更に南の南福島へ。この界隈は学生が多く住んでおり15年程前学生だった頃は当地にあるボウリング場をはじめよく遊びに出たものだが、街並みは意外なほど以前と変わっていない。学生街なら新しいアパートやお店ができているものだと思ったのだが、最近の学生は、ひょっとしてここを避けて住んでいるのだろうか。少し淋しさを覚える。
南福島の駅前を通過すると、登り勾配となる。ここから金谷川、いやその南の松川までは、アップダウンの連続になる。歩く脚にも自ずと力が入る。
その勾配を登りはじめて3分ぐらい経った地点でだろうか。沿道に妙な看板がある。看板には左右に二つの矢印が描かれており、右へ行くと旧奥州街道、左へ行くと旧国道4号線との表示が。それは知らなかった。このあたりの奥州街道は伏拝の交差点で国道4号線と交差した後はその南の蓬莱ニュータウン入口を経由して清水町宿へ… というルートだとばかり思っていたのだが、どうやら違うようだ。ちなみに矢印で示された奥州街道はクルマ1台がやっと通れるぐらいの細道で、しかも急勾配。散歩どころかトレッキングの様相すら呈している。一瞬躊躇するが、あくまで奥州街道へこだわり、急坂を登ってみることにした。
奥州街道は、予想以上の急坂。それでも沿道には住宅が張り付いている。何もこんな所に家を建てなくてもいいのに、と余計な思いを巡らせる。それでも一歩一歩登るごとに北側にある福島市街の眺望がきいてきて、その点ではいい気分だった。この辺りはきっと夜景もきれいなのだろう。
しばらく歩くと住宅は一件残らず姿を消し、何時の間にやら公園に突入していた。名前を見ると「共楽公園」とある。こんな所に公園があることもまた、まったく知らなかった。遊具も一通り揃っており、結構大きい公園だ。公園からチラチラと見える福島の街の景色もまた、なかなか雄大で見応えがあった。
しかし公園を過ぎると、道の周囲は雑木林に竹林、そして時々畑という景観になる。時折下界が見えるが共楽公園ほど眺めは良くなく、新旧国道4号の路面ばかりが目立つ。ただ、このあたりは丘陵の尾根であるらしく、福島市街や国道4号線が見える方向とは反対側も、少しではあるが眺望がきく。見えるのは東北新幹線東北自動車道、そして雄大な吾妻山。特に東北新幹線はこのあたりからトンネルに入ってしまいこの先なんと郡山市内までは奥州街道と離れた所を通ることになるので、当分お別れだ。
そんなところを10分近く歩いただろうか。ようやく人家が見えてきた。山中を歩いていて人家を見つけると嬉しくなるものだが、そんな私のささやかな喜びをブチ壊すように人家に続いて突然眼前に現れたのは、大きなラブホテル。こんなところにラブホテルがあっただろうか、と怒り半分に考え込むが、伏拝交差点の少し南に、そんなのがあったのを思い出す。そして、ホテルのすぐ近くを通る国道4号線には、小さな陸橋が架かっていたはずだ。あの陸橋は国道4号線からラブホテルへの連絡橋だとばかり思っていたが、そうか、あれが奥州街道だったのかと一人納得。
しばらく歩くと、件の陸橋が登場。私の推察が間違っていなかったことが証明される。渡ろうとすると、橋の向こう側から1台の軽自動車が接近し、なんとラブホテルに入っていくではないか。時計を見るとまだ6時55分。早朝から元気だこと、と半ば感心しながらクルマを見ると、運転席の男性、そして助手席の女性と、思いきり目が合ってしまった。3人に流れる気まずい瞬間。
陸橋の先は、雑木林が消え、田畑と人家ボチボチといった農村っぽい風情になる。そんな景観で唯一異彩を放っているのが、杉妻(すぎつま)自動車学校の建物。私の通っていた大学の指定校で友人も何人かここのお世話になっていたはずだが、実物は初めて目にした。
それにしても、この自動車学校を目にしてついつい思ってしまうのが、「杉妻」という漢字の訓み方。南福島からこのあたり一帯はかつて信夫郡杉妻村と呼ばれていたのでその名がついたのだろうが、杉妻村の訓みは「すぎのめ」で、南福島にある同名の小学校も「すぎのめ小学校」なのだ。どうしてまた自動車学校だけが「すぎつま」なのだろう。
自動車学校から先は人家が徐々に増え、蓬莱から来た旧4号線とも合流。ここが清水町宿である。とは言うものの、宿場町にしては少し淋しい印象は拭えない。「町」と名のつく地名だが街村と呼ぶのが相応しいぐらいだ。清水町宿から1.5キロほど南にある浅川新町(若宮)宿も、また同じ。ふたつを合わせてようやく一人前の宿場町という規模に見える。後で調べてみると、浅川新町(若宮)宿は清水町宿を補完する役割の間宿(あいのしゅく)で、やはりこの2宿はペアでひとつの宿場ということになる。
浅川新町宿を過ぎると、福島大学の正面入口に差し掛かる。福島大学の入口というとキャンパスを挟んで西側に位置する東北本線金谷川駅から入るのが一般的で利用者数も恐らくそちらの方が多いと思うのだが、正面はあくまでここ。今歩いている奥州街道は1979年に大学が移転した当時はまだ現役の国道だったから、こういう措置が取られたのだろう。たった30年ほど前の事とはいえ、それなりの歴史を感じる。
ところで、今日の散歩は、当初金谷川を終点にするつもりでいた。ところが時計を見ると、7時半。まだ出発してから1時間半しか経っていない。もう少し先まで歩こうと、気持ちを切り替える。新たな目標は、金谷川から3キロほど南にある松川の町だ。
相変わらず起伏の多い道をテクテク歩き、松川に入ったのは、8時ちょうどのことだった。これで徒歩2時間。そろそろ散歩を切り上げようかと思う。でもここで気になるのは、帰りの足。東北本線の松川駅は町から2キロほど東に離れており、ここまで散々歩いてきたのに変な話だが、駅まで歩くのも正直億劫。そこで、町中にある松川町バス停の時刻表を覗いてみると、なんと8時13分発の福島駅東口行という好便があるではないか。迷わずこれに乗ることに決めた。
ちなみに、この便は松川のすぐ北にある新興住宅地・美郷ガーデンシティ、そして蓬莱ニュータウンを経由する。美郷を通るのは初めて、蓬莱もかれこれ10年ぶりぐらいだろうか。街道歩きとは違ったワクワク感がある。このあたりまで来ると、帰りの行程も「小さな旅行」である。