2006年9月5日 ~日サロに行ってきた?~

8月の第3週、第4週と連続して土日に行ってきた早朝散歩。その次の9月第1週は休日が日曜だけの上その日はフルキャストスタジアム宮城まで家族で野球観戦に行ってきたため、結局歩くことはできなかった。
中2週間も開いてしまうと、次回の散歩が待ち遠しくて仕方がない。ちなみに次回は、9月10日の日曜日に前々回の散歩の終点・白石から白石市東端の北白川までを歩く予定である。事前の予定では大河原まで行く予定だったが、この日は家族で出掛ける所用が入ったため10時までに帰宅しなければならず、やむを得ず短縮となってしまった。
散歩までの日々、沿道の地図を見ながら、今度歩く地域はどんな所だろう、と軽く調べもの。私は桑折から仙台まで電車通勤しているのでこの区間は通勤経路にはなるのだが、白石川を挟んで東北本線は南岸、奥州街道は北岸を通っているので、この区間奥州街道は実のところあまり馴染みがないのである。
調べていて驚いたのは、白石から6キロほど歩いたところにある刈田郡蔵王町の宮という宿場町について。ここは、笹谷街道の起点だという。笹谷街道といえば仙台市太白区長町から柴田郡川崎町、県境の笹谷峠を経て山形市へと至る、現在の国道286号線にほぼ相当するルート~言い換えれば仙台と山形とを結ぶルート~という認識なのだが、元々の笹谷街道はこの宮が起点で、蔵王町役場のある永野を経て川崎、笹谷峠、山形へと至るルートだったという。つまり、仙台と山形とを結ぶのではなく、羽州街道と同じく山形から江戸へと至るルートの一端を担っていた訳で、事実、天災などの事情で羽州街道が不通になった時は、山形、秋田の大名は笹谷街道を通って参勤交代をしたこともあるということだ。
それは全然知らなかった。宮については白石市の越河や斎川同様「小さな宿場町」的なイメージしかなかったのだが、分岐点の町とあれば、ひょっとしたら往時をしのばせるものもいろいろあるのかもしれない。
更にその次の回のルートについても、ちょっと気になっている。前回の続きとなる、福島市松川から二本松市中心部までのルートだ。実行日は、9月16日の土曜日の予定。10日以上も先の話だが、地図を見ながら歩くのを楽しみにしている。
奥州街道上を歩くのは10キロほどと推察されるが、松川駅から松川の町まで2キロほど歩かなければならないから、正味の歩行距離は12キロほど。2時間少々の歩行時間を予定している。
このルートで非常に興味深いのは「旧道の旧道」があること。バイパスの国道があってかつて街道だった旧国道がある… 奥州街道ではこれが標準的な道路形態なのだが、松川から二本松にかけては、東側に高速道路と見まがうような立派な国道4号線があり、更に西に向かって旧国道、奥州街道が通るという3層構造になっているのだ。例えば松川は旧国道を通ると「これが旧宿場町なのか?」と思ってしまうぐらいあっという間に町を過ぎてしまうのだが、実は松川の旧宿場町はその西側の奥州街道沿いに広がっている。この辺の奥州街道は徒歩ではもちろんクルマでも通ったことがないので、来訪が非常に楽しみである。
あと、二本松の街並みもまた、とても気になる。白石の中心部を歩いた時に予想していたよりも規模の大きい街だなと思ったのだが、片倉家1万8千石の白石よりも石高の大きい丹羽家10万石の城下町だった二本松も、それに見合ったタウンウォッチングが期待できそうだ。特に、二本松駅周辺に広がる現在の中心街から丘を挟んで北側にある根崎や竹田の街並み。あまり通ったことがないだけに、どんな所だか訪れるのが楽しみである。

そんな感じで夢想を広げてしまうほど私の生活に散歩が染み付いてしまった訳だが、染み付いたのは意識だけではなかった。実は私の顔は、今日の時点で真っ黒に日焼けしているのだ。なので、会社の役員や同僚から「どうしたの、その顔?」と訊かれる機会が、だいぶ増えている。
休日に散歩をしているのだ返答すると大抵の人は納得してくれるが、休日に10キロ前後歩いていることに関しては、興味を抱く人は少ないようである。2時間とまでは言わないまでも30分~1時間程度の散歩ならば、無理しない範囲で体を動かせて結構いい運動になると思うのだが。
そう言えば、今日は、日焼けについて、こんなことを訊かれた。
「ずいぶん顔が黒くなったけど、日サロ(日焼けサロン)にでも行ったの?」
行ってないですよ。行くお金もないし、自宅近辺に日サロなんてないし。そもそも私には日サロに行く目的が存在しない。別に今更誰かにモテようだなんて下心もないし。
それにしても日サロと言われたのには、笑ってしまった。私は事務系のサラリーマン。日がな一日机に向かっているので運動とは無縁だと思っている人が多いのだろう。