2006年9月10日 ~白石から北白川まで~

ようやく、待ちに待った2週間ぶりの散歩の日が訪れた。
前々回と同様、いつも出勤に利用している桑折発6時30分の電車に乗り、白石着6時51分。ここから歩き始めるが、白石駅から白石の街の北端にある白石川の河畔までは前々回に歩いたので、実質的な起点は、白石川に架かる白石大橋ということになる。
先にも述べたように、奥州街道白石市内で白石川を渡り柴田町槻木までその北岸を20キロばかり東進するのだが、東北本線は槻木の手前まで白石川の南岸を通る。従って、今回のルートは確かに通勤経路に沿うものではあるが、沿道の景色はいつも見ているのとはまったく違うもの。その意味では、新鮮さ満点の行程だ。
白石大橋を渡ると、福岡の集落に入る。まだ白石の街の外延であり、沿道には住宅が建ち並んでいる。このあたり、国道4号線は奥州街道の北側を東北自動車道と並行して走っており、地方の小都市では極めて珍しい4車線の道路同士の並走・共演がみられるのだが、奥州街道は我関せずといった風情でクネクネと細かいカーブを描きながら北東に進んでいく。
30分ほど歩いて、ようやく国道4号線と合流。久しぶりに4号線を歩く。前々回も越河~白石間でところどころ4号線を歩いたが、その時は2車線。今回は4車線とあって、側を通るクルマのスピードも、若干速いように感じる。
この辺に、旧道はないだろうか。左右を見渡してみると、児捨川(こすてがわ)という曰くありげな名前の川を渡った先に、気になる脇道を発見。しかも、道路の先の方向表示を見ると「白石市深谷小学校」の表示があるではないか。ひょっとして、この道奥州街道かも。というのも、奥州街道沿道の地域では、小学校や郵便局、JAなどの地域を代表する施設は街道沿いにあるケースが多いことを、これまで歩いた経験で知っていたからだ。その道が本当に奥州街道なのかどうかはともかくとして、「その先を見たく」なり、脇へと入ってみることにした。
ちょうど国道4号線との分岐点に馬鹿でかい駐車場を誇るパチンコ屋・ダイナムがありその敷地脇を通過するのにずいぶん時間がかかったが、あとは田んぼの只中の一本道。ひなびた風景をテクテク進む。5、6分歩いた先だろうか。沿道に公民館があり、その前にはバス停があった。しかも宮城交通(厳密には系列の宮交仙南バス)の停留所。白石市を走るバスは地元の公共交通機関である宮城交通の経営合理化のあおりを受けてその多くが白石市民バスへと移管されてしまったのだが、ここを通るのはまがりなりとも宮城交通のバス。しかも行先を見ると、白石駅前から奥州街道の宿駅である蔵王町宮、蔵王町の役場がある永野を経て東北自動車道インターチェンジがある蔵の町・村田まで行く路線ではないか。やはりこの道路が奥州街道なのではないかとの感を強くする。
公民館を過ぎるとほどなく東北自動車道の真下をくぐる。くぐった先には深谷小学校の校舎。小さな小学校だった。小学校の前からは道路に歩道が登場し、歩きやすくなる。
このあたり、右手には相変わらず東北自動車道や国道4号線。そしてその周辺に広がる工業団地が見えていて俗っぽいのだが、道の周囲、特に左手には田んぼが広がっている。しかも平地ばかりでなく、山の麓の斜面いっぱい、田んぼが造れそうなところはすべて田んぼが広がっているのだ。その向こうに見えるはずの不忘山が霧に隠れて見えないのが残念だが、広々とした風景には圧倒される。
禮讃寺(らいさんじ)という山の斜面に墓地が建ち並ぶ風情ありげな寺院の前を過ぎ、家老内という所でT字路を右に折れる。気のせいなのか、今来た方向を逆に戻っているような錯覚を受ける。案の定、東北自動車道の下を再びくぐったのでやはりここは奥州街道じゃないのかなと疑問を蒸し返していると、後から村田行のバスがやってきた。奥州街道かどうかはともかく、ここはバスが通るそれなりに重要な道なのだと自信を回復して歩を進めると、前方に蔵王町宮の集落が見えてきた。広い広い白石市からよやく脱出である。
宮は蔵王町の役場所在地ではないのだが、先にも述べたように山形に通じる笹谷街道との分岐点という歴史的経緯もあってか、集落の中に入ってみると結構規模が大きい。街灯に「宮商店街」の表示があったが商店街と呼ぶまで栄えてはいないにせよ、日用品ならここで揃うぐらいに商店が充実しており、信用金庫の支店まである。分岐点という以外にも、実際訪れてみた雰囲気から推察すると、集落の近くの国道4号線沿いに工業団地があること、また集落付近に比較的大きな病院があり「病院城下町」の側面を持っていることが、宮を衰退から救っているのだろう。
宮といえば、語らなければならない人物がいる。かつて宮小学校の訓導(教師)を務めていた小野さつきが、それ。師範学校を卒業し1922年に宮小学校に赴任した彼女は、野外学習のため訪れた集落近くを流れる白石川で、3人の児童が川で溺れているのを発見。とっさに川に飛び込んで2人の児童は救出したものの最後の1人を助ける前に力尽きてしまい、殉職したとのこと。まだ21歳の若さだったそうだ。その史実を記す石碑が宮小学校の正門前に今も残り、集落内の寺院には「小野訓導墓所」を示す看板が建っていた。深谷に入る前の児捨川といい、宮の小野訓導といい、このあたりは子供と川との関わりが何かと強い地域のようだ。
宮から真東へ1キロ少し歩くと、久々に国道4号線と合流。相変わらず4車線の広い道で、右手には工業団地が広がっている。が、それもほどなく終了。工業団地が尽きると、国道4号線は2車線に車線減少する。周囲の風景も、右手には白石川、左手には山が迫り、峻険とまではいかないまでも人気の薄い寂しいものに。東北新幹線が真上からこれらをまとめて横切るのを見上げ、更にしばらく歩くと、北白川駅までの道が分岐する篭石交差点。目の前には一目千本桜で知られる隣の大河原町に入る標識が見え「もう少し歩きたい!」との衝動に駆られるが、歩きはじめてもう2時間。今日は昼前に家族で出掛ける所用が入っており、これ以上歩くと約束の時間に間に合わなくなるので、今回はここで散歩を終えることにする。
北白川の駅は、篭石の交差点から白石川を渡った先にあった。篭石は蔵王町だが北白川は白石市。せっかく一生懸命歩いて白石市を脱出したと思ったら、あっけなく逆戻り。お釈迦様の掌の中で飛び回る孫悟空のような心境になる。
北白川駅までの道は歩道もない狭い道なのに結構クルマの通行量が多く、歩くのはちょっと危険かもしれない。白石市中心部の東側からだと国道113号線白石市白川犬卒塔婆~北白川駅前を経由した方が国道4号線を通るよりも大河原方面に早く到達できるので、抜け道として利用されているようだ。