2007年02月17日 ~桑折から掛田まで~

という訳で、今年前半の方針は決まったが、今年の歩き初めは全駅制覇とは全然関係のない所だったりする。まあ、何事にもウォーニングアップが必要ということで、ご容赦願いたい。
行き先は、伊達市霊山町の中心地・掛田。自宅からの約13キロの距離を歩くことにした。
夜明け前の午前5時に、桑折町の自宅を出発。奥州街道に沿って細長く続く桑折の町を、まずは歩く。町の南端にある旧伊達郡役所前で奥州街道と分かれて坂道を下り、国道4号線へ。未明にも関らずトラックやトレーラーがひっきりなしに走っていて、歩道を歩いていても肝を冷やす。
でも、そんな国道4号線とはすぐにお別れ。桑折町伊達市との境界を過ぎたすぐ先の交差点で左に分かれる県道保原桑折線に入り、阿武隈川に架かる大正橋を渡る。道路名が示すようにこの道が桑折伊達市役所の所在地である保原とを結ぶ最短ルートなのだが、それもそのはず。というのも、大正橋はその名の通り大正時代初期に、伊達郡全体を挙げてスッタモンダした挙句に当時郡役所所在地だった桑折に有利なルートで架けられたもの。今でこそ日中でさえクルマの通行が少なくひっそりとしているが、かつては郡のメインルートのひとつだったのだ。
大正橋を渡ると、伏黒の集落に入る。阿武隈川の対岸に位置する伊達町の一部だった地域だがかつては独立意識の強く、当時伏黒村だった戦後の町村合併においても東隣の保原町との合併を推奨されながらこれを拒否。同様に旧信夫郡飯坂町との合併問題で揉めていた旧・伊達町を編入(合体ではない!)する形で新・伊達町を成立させたという経緯を持っている。
そんな伏黒の集落は、今歩いている道路に沿って細長く続いている。この道路の500メートルほど南には国道399号線が走っているが、そちらに比べても家々の密度が高い。この点からも、この道路がかつて重要視されていたことがわかる。
伏黒の集落を通り抜けると、保原の町に入る。町の入口に位置する交差点で、国道399号線と合流。ここで自動車は国道にシフトしてしまうが、よく見ると交差点から先も県道からの延長線と思われる細長い道がまっすぐに伸びているので、徒歩の私はそちらを行く。このあたりで、ようやく空が明るくなり出した。東側に霊山の稜線がきれいに見えている。
細い道は現状では単なる裏道で特段のものはなかったが、唯一目を引いたものに、厳島神社がある。来月の第一日曜日に保原で開催される奇祭・つつこ引きはこの神社の例祭。日が昇ったばかりの今は静かだけれど、祭りの時期には神社近辺が賑わうのだろう。細道はこの神社のまん前でかつては参道だったと思われる道路と合流するそして。少し歩いた先で、保原のメインストリートである国道349号線と直交する。
いや、この表現は正しくなかった。地図で見ると、国道349号線は保原の町を南北に縦貫するメインストリートからこの道路にシフトしているのだ。クルマのすれ違いすら厳しい細道だが一応いっぱしの国道であり、沿道には国道を示すおにぎりマークもある。
古い地図を持っていないので断定はできないのだが、この道路は、1971年まで保原とこれから目指す霊山町掛田とを結んでいた福島交通軌道線のルートでもあったのだろう。沿道には商店も結構あり、伏黒の道と同様に、この道がかつて重要視されていたことが伺える。
町はずれで南東に進路をとった国道349号線は、いかにも軌道跡だったという雰囲気を携えながら、まっすぐに進んでいる。阿武隈急行のガードを過ぎると市街地は消えうせ一面の水田となる。稲刈りが終わった後の水田は、ある意味荒れ地と同じ。土地に保温力がないので寒さが肌身に染みる。そんな風景が、2キロ先にある柱田の集落まで続いている。
柱田から先は、緩やかな登り勾配となる。峠越えと呼ぶほどの厳しさはないが、3キロ近い長距離にわたってダラダラと続くので、軌道にとっては結構きつい坂道だったものと思われる。
かつての保原町霊山町との境界が分水嶺で、ここを越えるとかなり急な下り坂になる。軌道もかなり苦労したことだろう。下り坂の勢いそのままに、国道は霊山町の中心・掛田の町へと入っていく。
掛田の白眉は、今も残っている軌道線時代の駅舎である。町の北端にある駅舎は、今でこそバスターミナルとなっているが、当時の面影が十分に残っている。周辺にも運送会社やタクシーの営業所、食堂が揃っており、いかにも「駅前」といった風情である。
ところで、ここで懐かしんでばかりもいられない。帰りのバスの時刻を確認しなくては。駅舎内に貼られた時刻表を見ると、次のバスは7時15分発の宮下町経由福島駅東口行。掛田から福島方面へと出るバスはこの保原経由と宮下町経由とに分かれる。前者は駅から今歩いてきた国道を戻るだけだが後者は掛田の町を南北に通りぬけてから国道115号線に入って福島に向かう。今は午前7時。残り時間は少ないが掛田の町をじっくり見てみたいので、少し南のバス停まで歩いてみることにする。
霊山町伊達市に合併した時点で人口9,000人ほどだったが、掛田の町は、商店の充実度の面では人口で上回る桑折国見町藤田と遜色のないものだった。各種のお店が揃っているし、なんと結婚式場まである。惜しむらくは、新しい家屋や商店が妙に目立つこと。部外者の勝手な言い分だが、これさえなければ、街並み自体が観光資源になったのに、と思ったりする。
結局、町の南端にある伊達市役所の総合支所の前まで歩いた。この支所、一昨年の大晦日までは霊山町役場だった建物なのだが、壁面には未だに霊山町の町章が貼られている。これが地元住民の意志によるものなのか単なる外し忘れなのかはよくわからないけれど、今の世の地方自治の急激な変動を思わずにはいられなかった。