2007年2月25日 ~東白石から村田まで~

前日の掛田行に引き続き翌2月18日も早朝散歩に出かける予定を組んでいて朝6時前に起床もしたのだが、天候が悪かったため結局中止にした。午後になって晴れ間が覗いていたので、ちょっと悔しい中止である。
なお、今回の散歩予定は、福島~仙台間で唯一乗降経験がなかった東白石駅を出発し、蔵王町の宮~永野~円田と経由して、村田町まで行くというもの。片道15キロの長丁場でしかも丘陵地帯を行くので、やはり天候には気を遣わざるを得ないのだ。
ところでこの村田町は、人口1万2千と小さい町ながら、観光資源の発掘には見習うべき部分が大きい所。モータースポーツファンにはSUGOの所在地として以前から知られていたが、この他にも、最近では蔵造りの建物が多い中心部の町並みを「仙南の小京都」としてクローズアップさせたり、また町の特産品としてそらまめをアピールしたりといった動きが目立っている。
元々柴田郡という地域を考えた場合その地理的中心に位置しているし、人口だって終戦直後までは大河原と郡内一、二を争っていた村田町。加えて宮城県人唯一の夏季五輪金メダリスト(64年東京及び68年メキシコの男子重量挙げ・三宅義信)を輩出した町でもあるから、何かと目立ちたい! という気持ちが強いところなのかもしれない。散歩では、村田町のそんな元気な部分を覗けたらいいなと思っている。
ただ、村田町まで行くのはいいとして、帰りの足には、若干の不安があるのも事実。到着が予想される午前9時台にあるバスの便は、30分台に大河原行きの便と、50分台になんと遠刈田温泉始発仙台行きの高速バスがあるのみ。なるべくなら前者に乗りたいものである。後者に乗ってしまうと、帰宅が正午を過ぎてしまうからだ。

散歩当日。
いつものように桑折発6時30分の小牛田行普通列車に乗り、6時55分に、白石川の河畔に位置する東白石着。先述した通り福島~仙台間で唯一乗降経験がなかった駅だが、東白石は駅周辺に集落がない上に10年ほど前までは普通列車の約半数が停車しないという継子扱いを受けていたので、使う機会がなかなかなかったのだ。
そんな東白石駅のホームに降り立ち、今時珍しい構内踏切を渡って、いよいよ散歩のスタート。まずは、白鳥の来訪で賑やかな白石川に沿って歩く。駅から500メートルほど下流にある橋を渡ると、そこは白石市ではなく蔵王町。今回の散歩の目的地は村田であるが、ルートの大半はこの蔵王町となる。
橋を渡ったすぐ先にあるのが、昨年9月10日に歩いた宮の集落。約半年ぶりの来訪なのであれから特に変わった様子はないが、残暑が厳しくTシャツと短パン姿だった前回の来訪に対し、今回はジャージの上にジャンパーを羽織りしかも手袋まではめるという重装備。改めて、我が国の季節の移り変わりの激しさを実感する。
宮の集落を南北に貫く奥州街道を、まずは北へと直進。集落の中心にあるT字路で奥州街道は右に折れ大河原方面へと進むのだが、今回は更に直進し、蔵王町役場がある永野へと向かう。集落が尽きると、右手に松川が寄り添ってくる。宮、永野、そして宮城蔵王の玄関口となる遠刈田温泉と、蔵王町内の主要集落の多くは、この松川の沿岸にある。
川沿いということもありアップダウンの少ない道路を、しばらく北上。沿道には田んぼが多いが、不思議なことにこれまで田んぼの散歩で何度か体験した寒気を、今回は感じない。時計を見ると、もう8時近く。陽が昇って2時間は経過しているから、地表からの放射冷却も殆どなくなっているのだろう。
ずっと右手にあった松川が左にカーブを描き、私が歩いている道と交差、つまり渡河した先が、永野の集落。町役場所在地とあって、宮と同じぐらいの規模に見える。この永野でようやく、蔵王町の町名の由来となっている蔵王の山容が姿を現す。道路標識には、遠刈田温泉まで7キロの表示。蔵王見たさに一瞬心が揺らぐが、あくまで初志貫徹。名残惜しさはあるけれど、蔵王を背に東に位置する村田へと向かう。
永野から村田への道筋にも、円田、平沢など、小学校を有する比較的規模の大きい集落が点在している。蔵王町は、田舎の町村には珍しく多核分散型の集落構成。少し歩くと集落に遭遇するので、淋しさはあまり感じない。
ただ、道路自体は歩道が整備されておらず、かなり歩きにくいものだった。路肩の狭いスペースを右に左にタイトロープのように移動しながら歩かざるを得ない。この道路は宮城蔵王から東北自動車道村田ICまでのアクセス道路としても機能しているので、大型車の通行も結構多く、歩くのはやや危険かもしれない。
平沢の集落を通り抜けて低い丘陵を越えると、いよいよ村田町。分水嶺の近くに蔵王を望む展望ポイントがあり、山容をかなりハッキリと確認することができる。もうひとつハッキリ確認できるのが、東北自動車道。村田ICのすぐ近くを道路が通っていて、ICに出入りする車両の様子を、目の前で眺めることができるのだ。
そのICの前から物産館や公園が整備されたある意味小京都らしからぬ区域を通り抜けると、いよいよ村田の町。蔵造りの旧い建物は中心部の一角の狭いスペースに集中していて小京都と呼ぶには若干の無理があるような気もしたが、嬉しかったのは蔵の町を意識してか敢えて蔵っぽい外観にする新しい建物が目立っていたこと。地域住民のベクトルがハッキリしているので、数十年後の村田の町並みがどのように変貌していくのか、逆に楽しみになる。
なお、町の中心部にある宮城交通の村田中央バス停に到着したのは、9時30分。わずか2分後の9時32分に、大河原行のバスがやってきた。