2007年4月15日 ~船岡から角田まで~

4月1週目は悪天候、2週目は仕事の都合で行くことができなかった早朝散歩、結局3週間ぶりの実行となってしまった。
今日の起点は、船岡駅。こちらもダイヤ改正で1分早まって桑折発6時29分となった仙台方面への始発列車に乗り、船岡に7時06分着。白石川河畔の一目千本桜が見頃を迎えているということもあり。早朝だというのに散策に訪れた年配の夫婦連れや三脚を担いだカメラ小僧など、駅周辺は賑やかだ。
しかし、さすがに船岡から角田まで歩き通そうという物好きは、私一人であろう。船岡で降りた客は10人以上いたけれど、駅前から延びる太い道を真っ直ぐ歩き続けたのは私一人だけだった。
ちなみに、歩いている道は、県道角田柴田線。数年前に廃止されてしまったが、かつては船岡と角田、丸森、更には相馬とを結ぶJRの路線バスが走っていた道路である。そのせいだろうか。駅からしばらく歩いても、なかなか家並みが途切れない。右側の景色は何故か船岡にある仙台大学、続いて宮城県立船岡養護学校、そして陸上自衛隊の船岡駐屯地と続くのだが、左側は延々と住宅地。駐屯地の先でやっと田畑が現れたなと思ったら、もう角田市との境界である。境界のすぐ先を阿武隈急行の線路が横切っており、県道はその上を跨ぐ。
こんな感じで町から市に移り変わった訳だが、景色の方はまるで反対。角田市に入ったとたんに人家は激減し、左右を丘陵に挟まれた谷底のようなところを延々と歩くことになる。ある意味それもそのはずで、船岡のある柴田町は人口3万9千人で、角田市は人口3万3千人。町の方が人口が多いのだから、逆転現象も起こる訳だ。
しばらく歩くと、柴田角田線は主要地方道亘理大河原川崎線に合流し、更に少し行くと、今度は国道349号線と直交する。国道との交差点のすぐ近くには阿武隈川が流れていて、川の様子をちょっとだけ眺めることができる。
このあたりまで来ると左右の丘陵は姿を消し、広々とした田園風景が展開する。右も左も、かなり遠くまで田んぼが広がっている。角田といえば内陸の盆地というイメージしか湧かないが、実は宮城県南部ではナンバーワンの穀倉地帯なのだ。
国道349号線もまた、定規で引いたように一直線に角田の街を目指している。普通地方の国道といえば平坦な地域においてもあちらこちらの集落に立ち寄るためにカーブを描いたりするものなのだが、ここは迷いのない直線が4キロほど続いている。ただ、沿道は水田に人家がチョボチョボ。普段は目障りに感じるロードサイドショップがまったく見られず、逆に淋しさを覚える。
市街地に入る少し手前の梶賀地区で、国道はようやく右にカーブを切る。この辺まで来ると、沿道にも人家やロードサイドショップが増えてようやく街らしくなる。また前方には、妙な物体が。市街地の南西にある台山公園に設けられたH2ロケットの実物大の模型である。角田市北部の君萱地区に宇宙開発事業団のロケット開発センターがあることから設けられたようだが、明らかに周囲の景観とは不釣り合い。チグハグさに苦笑してしまう。
角田の街の中心は1968年に街の北部に国鉄丸森線(現・阿武隈急行)の角田駅が開業して以降北の方にシフトしているようで、市街地に入ってほどなくすると、他の街でも見られるようなロードサイドショップや、これまた街の景観に似つかわしくない高層建築のビジネスホテルが建っていたりする。角田市の人口は漸減傾向にあるし商圏もまた船岡や大河原の侵食を受けつつあるが、発展しているところは発展しているようだ。
しかし、今回の散歩で私が本当に見たかったのは、角田の古くからの市街地。これは、今歩いている国道349号線や西方の白石から通じる国道113号線(旧道とバイパスの双方とも)をクルマで走っていただけでは、なかなか堪能できないものだ。
角田の街に入って旧国道113号線をしばらく歩くと、前方に市役所が見え、その手前がY字路になっている。旧国道はY字路を左に進んでいるが、市街地へは逆に右に進むことになる。道なりに歩くと再び旧国道と交わる交差点に差し掛かるので、これを左折。するとその先には商店街が展開している。天神社という神社を中心に展開するこの通りは、天神町通りという名前がついている。旧国道はすぐ次の角で左折してしまうが商店街は更に次の角まで続いており、そこを折れると、その名も中央通り。七十七銀行仙台銀行、郵便局などがあり、極端な表現をすれば角田のウォール街といったところだろうか。中央通りをしばらく歩くと、先ほど別れた旧国道との交差点に再び差し掛かるので、ここを右折。すぐ先にかつてJRバスのターミナルだった旧磐城角田駅があり、ここを中心に本町(もとまち)通りという商店街が展開している。三つの商店街で、総延長は1キロを少し超えるぐらいだろうか。クルマで通る限りでは角田の街は貧相で規模としては同じ阿武隈急行沿線の伊達市保原町梁川町と五十歩百歩のイメージがあったのだが、多少は軌道修正せねばならないなと感じた次第だ。
ただ、商店街のウリが存在しないのが、決定的なマイナス。角田は石川氏2万1千石の城下町だが街並みには歴史を感じさせる建造物が本町通りの郷土資料館ぐらいしか現存せず同じく片倉氏1万8千石の城下町だった白石に大きな遅れをとっているし、今更歴史的な街並みと言っても街のどこからでも見えてしまうあのH2ロケットが非常に目障り。かといって幹線交通網から外れているから商業都市としての発展も望めまい。せめて、船岡や大河原の桜に匹敵するような名産、名勝の類がこれから出て来てくれることを期待する他はなさそうな気がした。