2007年4月28日 ~安達から針道まで~

帰宅が遅かったのに加えネットサーフィンなぞしてたりして前日の晩は2時過ぎに就寝したというのに、今朝は5時きっかりに目覚めた。やっぱり散歩の時は、寝不足云々は関係ないようだ。
さて、今日のコースは3月11日に雨天のため断念したコースそのままで、旧安達町の安達駅から旧東和町の中心地・針道を目指す二本松市北部横断。クルマでも通ったことがないので、歩くのを楽しみにしていた。
5時41分桑折発の始発電車に乗って、南へ。適度に暖かい車内環境に甘えてしまい、しばし夢の中へと入ってしまう。気がついたら、もう安達の二つ手前の金谷川。この電車の金谷川発は6時15分だから、30分以上は寝ていたことになる。
6時24分、安達に到着。跨線橋を渡った先の小さな駅舎を通り抜け、いよいよ散歩のスタートだ。駅のすぐ南側にある踏切を渡り、東へと向かう。安達の町は高村智恵子の生家付近など二本松の市街地に接している部分を除いては特に大きな集落を持たず焦点のない町というイメージが強かったのだが、駅周辺は意外に住宅が建て込んでいて、意外に思う。
が、500メートルほど歩き国道4号線のバイパスをアンダークロスすると、景観は一変する。低い丘陵が周囲に展開し、谷底には田んぼ。細かい起伏が多い地形は福島県中通りでは典型的にみられる風景だ。田んぼの多くには水が張られており、田植えが近いことを教えてくれている。水とともに堆肥も田んぼに供給されているのか、ちょいと臭ったりもするのだが。
細かいアップダウンが続く道を、和紙製造で知られる上川崎地区、その北にあり50年前の大合併で地域が旧安達町福島市とに分裂してしまった経緯を持つ下川崎地区と通り抜けると、現前に大きな橋が現れる。新舟橋という名のこの橋で、阿武隈川を渡る。川の周囲は丘陵だが、この橋の10キロほど下流にあり昨年12月3日に渡った新蓬莱橋ほどの険しさはなく、川自体も新蓬莱橋付近のように渓谷をなしていない。また、3キロほど下流にダムがある影響か、川は深く、また流れも澱んでいる。この環境を利用して河畔には漕艇場が設けられているが、まだ朝早いからか、船の姿は見られなかった。
川を渡った先は、旧東和町。かつては町境を示す標識があったのだが、今は川の両岸とも二本松市自治体の境界は散歩をする上で区切りになるスポットなので、それがなくなるのはちょっと淋しい。
東和町で最初に歩く地区は、木幡(こわだ)。一見何の変哲もない農村だが、毎年12月に色とりどりの幟を掲げて地区中を練り歩く「小幡の幡祭り」で、福島県内では知られている。今は4月なので祭りの面影はもちろん見られないが、その代わりに、今の時期に多くの家で掲げられているこいのぼりの姿に、祭りの片鱗らしきものを見ることができる。こいのぼりと言えば立てかけた棹やポールに国旗よろしく掲揚するのが普通だが、木幡では、棹やポールを2本立てて(あるいは庭木で代用して)その間にこいのぼりをつけた綱を渡しているパターンが多いのだ。この方式はあるいは他の地域でも行なわれているのだろうが、今回の散歩で訪れた限りでは旧安達町では見られなかったので、木幡のこいのぼりの豪勢ぶりが目立つ形になっている。
木幡の集落を過ぎ、今度は旧東和町の中心集落・針道を目指す。木幡と針道との間は比較的幅の広い県道で結ばれている。面白いのは、沿道のバス停が福島交通とJRバス東北の2社併存していること。前者は二本松駅前から針道へ、後者は福島駅前から田村市船引町への路線であり一時的に路線が重なるだけなのだが、こんな山の中でと言っては失礼だがバス会社の呉越同舟が見られるとは思わなかった。また、この辺りのバス停には、公衆便所が備わっているケースが多い。鉄道の通わぬこの地域では、バスが地域交通の中心だった時代が長かったのだろう。
木幡から丘陵をひとつ越え、30分ほど歩くと、針道の集落に入る。町役場所在地だっただけあって、結構大きな集落だ。木幡が幡祭りで知られるならばこの針道もまた毎年10月に開催されるあばれ山車祭りで地元では知られており、目抜き通りの電柱には祭りの様子を写した写真が掲げられていた。
誇張ではなく福島市役所より立派な旧町役場(現支所)の脇を通り抜け、集落の南はずれにある宮の平というバス停前で、散歩を打ち切ることにする。時計を見ると、8時45分。土日祝日のみに運行される旧東和町の南端にある下田を発ち福島駅東口まで行くJRバスが、間もなく訪れるはずだ。