2007年4月28日 ~(バス乗車記)針道から福島まで~

前の日記に書いた通り、今日の散歩の帰りは、二本松市針道から福島駅東口までバスを利用した。片道の行程が約1時間になるちょっとした旅行である。
しかも、通ったルートも、私にはあまり馴染みのない地域ばかりで結構新鮮であった。という訳で、この場を借りて、軽く乗車記など書いてみようかと思った次第。

針道の南はずれにある宮の平にバスがやって来た。このバスを逃すと大幅に帰りが遅れてしまうので、迷わず乗車。車内には年配の先客が二人いた。
JRのバスに乗った経験はあまりなかったので、車内を見回す。民間のバスに比べて広告がかなり少なく、質素なイメージがする。そんな感じで隅々を見回し、ついでに車両の後ろも見てみたら、ちょっと驚き。なんとすぐ後ろに、二本松行の福島交通のバスがくっついて走っているではないか。会社の違うバス停同士の呉越同舟すらこんな田舎では珍しいというのに、バスの車両自体も続行運転しているとは… かなり貴重なものを見させてもらった。
我がJRバスは針道の町中で先客を全員下ろしてしまい、車内は私一人ぼっちに。バス停に停まっている間に福島交通のバスが抜いていく。針道の道路は狭く大型車のすれ違いも厳しそうな感じなのに、器用に抜いていくものだと思う。今度は追う立場となった我がJRバス。二本松方面への道が分岐する競石(くらべいし)までこの状況が続く。
福島交通のバスとようやく別れると、さっき私が歩いた道を溯るように木幡まで走る。木幡の集落内の道は大型車がやっと通行できるかどうかの狭さだが、バスはスイスイと走っていく。集落を抜けると、私が歩いた安達方面ではなく、真北に位置する飯野町方面へと向かう。相変わらず客は私一人だけ。貸し切りバスの状態で行程を淡々とこなしていく。
飯野町は人口約6,000人の小さな町だが、農村地帯ばかりを走ってきた目から見ると、かなり大きな町に感じる。中心部にある飯野町バス停は1972年に廃止された旧国鉄川俣線の駅跡で、かなり広い構内。物産館を兼ねた道の駅や静態保存されたSLがあった。また、飯野町でようやくお客さんが乗車。一人ぼっちの淋しさからも解き放たれる。
飯野の町を過ぎてしばらく走ると、福島市の立子山地区。郡部から県庁所在都市に入ったので道路状況もさぞ良くなったのかと思いきや、完全に真逆。どうしてこんなところを走るのかというぐらい狭い道を走っていくのだ。幅員はせいぜい3~4メートル、すれ違いどころかバスの通行すらギリギリの状態で、時折やってくる対向車はかなり長い距離をバックしてバスをやり過ごさなければならないくらいだった。
バス停の位置にもかなり変わっているのがあった。御代手(みよて)というバス停はなんと個人宅の玄関前。ちなみに玄関をバス停に供出したお宅はその昔立子山の村長を代々勤めた家柄のようだ。
御代手の先からは幅員の広い道路を走り、国道114号線へ。ただし昨年12月3日に歩いた渡利バイパスではなく阿武隈川に沿う旧道を経由する。この辺りになると福島駅に結構近づいているはずなのだが渓谷の面影がまだ残っていて、ある意味福島市の自然の豊かさを感じる。開設されてから80余年を経ているという浄水場の前を通り抜けると、国道4号線に合流。あとは見慣れた道を福島駅まで走った。
ちなみに、宮の平から福島駅までの運賃は、1,130円。路線バスに乗っただけで1,000円以上出費するのはかなり久しぶりのことだが、その出費を補って余るほど、充実した小旅行であった。