2007年6月9日 ~東北福祉大前から太子堂まで~

先述の通り5月にスケジュールが立て込んでしまったのに加え、6月の第1週も家族で野球観戦に出掛けたため、結局早朝散歩の再開は、今日までずれ込んでしまった。実に1ヶ月以上のご無沙汰になる。
今日の行先は、当初は杉田駅岳温泉間を予定していた。が、思いっきり寝過ごしてしまった。目が覚めたら5時40分。これでは桑折発5時41分の杉田方面への始発電車には間に合う訳がない。
空模様は相変わらず「曇り時々雨」だが、散歩にはどうしても出かけたいので、次善の策として、6時29分発の仙台方面への電車に乗車し、杉田とはまったく逆方向の館腰~長町間を歩くことにした。
ところがここでまたまたミステイク。よりによって、電車の中でも熟睡してしまい、館腰駅を乗り過ごしてしまったのだ。二重の寝過ごしとはこれまた恥ずかしい… 結局、3月18日に家族のダウンで一度断念した東北福祉大前駅太子堂駅間への再変更を余儀なくされた次第。仙台着7時39分。7時57分発の仙山線の列車に乗り換え、東北福祉大前着8時09分。6時台にスタートすることの多い我が早朝散歩だが、8時過ぎにスタートするのは初めてかつ異例のことである。
駅を降り、まずは仙台市中心部へと向かう。仙台出身の私だが、東部の宮城野区育ちで市街の北西部はあまり縁がない地域なだけに、見る景色は新鮮そのもの。また、ちょうど駅付近が仙台の城下町の北辺であり、沿道の建物にそれなりに歴史を感じさせるものがチラホラ見られるのも、個人的には面白いところ。
江戸時代の政治学者・林子平の墓がある子平町から、北八番丁通へ。仙台の「○番丁」というと一番町(東一番丁)をはじめとした「東○番丁」が知られているが、宮城県庁・仙台市役所以北の街並みを東西に横切る「北○番丁」もまた、城下町を形成する重要な街路であった。今は都市化の影響か武家屋敷こそ消え失せてしまったが、寺社が混じる閑静な住宅街になっている。
拡幅されてすっかり様変わりした木町通(県道大衡仙台線)を横断、通町小学校の前を通過し、奥州街道へ。結局のところ、私の早朝散歩の原点は奥州街道。久々に「故郷」に戻ってしまった。仙台市街の真ん中にあるにも関わらずどこか垢抜けない古びた街並みを、南へと進む。
仙台の奥州街道といえば、メインスポットは何といっても国分町。500メートルほどの区間に所狭しと飲み屋が密集する東北一の歓楽街である。でも、私が足を踏みいれた時間帯は、ポン引きもピンクチラシも一掃されていて、逆に淋しいぐらいにきれいさっぱりの状態。わずかに朝帰りのホステスを何人か見かけたが、歓楽街にしては昼夜のメリハリがずいぶんついているなという印象である。
国分町以南も奥州街道を南下し、突き当たりにある東北大学片平キャンパスの中を歩く。構内は洋館が多く、古い建築物が少ない仙台市中心部においては異彩を放っている。近い将来青葉山への完全移転が予定されている東北大学だが、その時にはこれらの洋館はどうなってしまうのだろう。行く末が心配になる。
仙台市街に背を向けて位置している東北大学の正門を出、学生アパートが目立つ米ヶ袋へと入り、更には広瀬川にかかる霊屋橋(おたまやばし)を渡る。この霊屋橋から南の向山へと至る鹿落坂(ししおちざか)は、広瀬川越しに仙台の市街地を一望できるちょっとしたビュースポット。市街地は歩いている方向とは逆に見えるので、ちょくちょく後ろを振り返りつつ歩く。
向山からやや雑然とした雰囲気の住宅街を抜け、広瀬河畔通へ。宮沢橋の交差点から脇道に入り、長町の裏通りを南下する。何の変哲もない住宅街だが、こういったところを歩くのもまた、散歩の醍醐味。自分がこの辺に住んでいたらどんな暮らしをしていただろうと想像するのも、面白いものである。
もうすぐ終点の太子堂駅というところで、携帯に電話がかかってきた。電話の主は、上の子。
「いまどこにいるの?」
「仙台の長町だよ」
私がどこを歩いたのか毎回興味津々の上の子だが、放蕩を繰り返す父親を心配している模様だ。早く帰らなければ。結局太子堂には10時少し過ぎに到着。程なくやってきた10時10分発の白石行普通電車に乗り、帰宅の途についた。白石で福島行の電車に乗り換えれば、桑折着は11時15分。昼食前には子供に会えるはずである。