2007年7月1日 ~松川から川俣まで~

前の日記に書いた通り、今日7月1日は川俣町までの散歩である。朝4時40分に目覚め、桑折発5時41分の上り始発電車で松川へ。今日はここを起点としたいと思う。
そもそも松川と川俣の間は川俣線という鉄道路線が1972年まで通っていたから、起点には相応しい地点。廃止後もJRのバスがかつての沿線を結びバス転換の優等生的な取り上げられ方をしたこともあった。ただし、そのJRのバスも2005年に廃止、福島市飯野町・川俣町の共同出資による自治体バス・川俣松川線へと転換されてしまった。松川が川俣の玄関口というのも、だんだん過去の話になりつつあるようだ。
6時20分、松川着。まずは、駅のすぐ近くを通っている主要地方道霊山松川線を、東へと進む。針道へ行った時の起点だった安達駅付近に似ていて、駅から国道4号までは住宅地、国道から先は丘陵と田園が続く風景だ。
ただし、その時に歩いた県道二本松川俣線に比べると、交通量がやや多い。しかも、一部区間を除いて歩道が整備されておらず、クルマが通る度に肝を冷やす。主要地方道というのであれば歩行者にも優しい道路であって欲しいもの、福島県には何とかしてもらいたいものだ。
肝を冷やすといえば、阿武隈川に架かる逢隈橋もまた、渡るのに冷や汗モノであった。クルマがギリギリすれ違えるぐらいの狭い幅員で、当然歩道無し。しかも欄干の高さが低く、眼下には一昨日の雨の影響で増水した阿武隈川の流れが岩を食んでいるというシチュエーション。クルマが通らないことを祈りながらの渡河だった。
橋を渡ると、飯野町に入る。針道へ行った帰りにバスで通ったが、歩くのは初めての経験。また、飯野町の土を踏んだことによって、これまで早朝散歩で訪れた市町村の数が20の大台に乗った。川俣線の駅もあった町の中心部を目指したいので、橋のたもとにある交差点を右に折れて県道福島飯野線に入り、更に500メートルほど歩いた先の水穴という所で更に右折して比較的新しい道に入る。福島市内とは打って変わって歩道が整備されていたが結構アップダウンが多く、玉のように汗が噴き出る。今日は晴天でしかも蒸し暑い。この先どれだけ汗をかくのだろうか。
何度目かのアップダウンを終えて女神川という曰くありげな川を渡ると、飯野町の中心商店街に入る。飯野は人口6,000人ほどの小さな町だが、商店街は意外にも充実していた。ある程度以上の町場でないと設置されないはずの東邦銀行(福島の地銀)の支店まである。
商店街の街灯を見ると、「UFOの町」の看板が並んでいる。町の北端にある千貫森という円錐形の山にUFOが飛来するという噂があり、山の近辺にはUFOふれあい館やUFOの里なる名前のバス停まであるというから、ある意味すごいことだ。ただし、当の千貫森は町の中心部からだと頂上付近が辛うじて見える程度であった。UFOも当然見えやしない。
飯野町の中心部を通り抜け、主要地方道川俣安達線へ。周囲は丘陵なのだが、この道路は女神川に沿っているせいかアップダウンがなく、しかもカーブが緩やかなので非常に歩きやすい。ある意味それもそのはずで、この道路は川俣線の跡地に作られたもの。廃線跡が道路になってしまったのには一抹の淋しさを覚えるが、乗ることがかなわなかった川俣線の乗客になったつもりで、沿道の景色を堪能する。
飯野町から川俣町に入るとすぐに、川俣安達線は国道114号線に合流。さすが国道だけあって交通量が多いが、多い理由は単に国道だからだけではない。この界隈の114号線は、ロードサイドショップが非常に多いのだ。まず福島を地盤とするホームセンターのダイユーエイトとスーパーのいちいが姿を現すと、カインズホームコメリツルハドラッグ等などと全国的に知られたロードサイドショップが次々登場する。50年前には27,000人ほどいた川俣町の人口は現在17,000人を切るところまで落ち込んでいるが、国道を見る限りではそんな感じには見えない。
ただ、コメリの向かい側にある道の駅川俣(シルクプラザ)の脇を通った時、残酷な現実を感じずにはいられなかった。この施設、1989年に廃校になった小学校の敷地跡に作られていたのだ。そう言えば、さっき通った飯野町でも廃校になった小学校の跡の近くを通ったし、少子化はこの地域においては否応無しに進んでいるようだ。ちなみに川俣町内では、来春にも二つの小学校が廃校になる予定と聞く。
リオンドールの前で川俣町の中心街へと続く114号線の旧道が分岐するので、そちらへ進む。沿道は住宅が多いものの先ほど通ったロードサイドショップ街とは違って、ややくすんだ印象。シャッターを下ろしたままの商店もチラホラ見られる。
やっぱり川俣は落ちぶれつつあるのかなと思った矢先、目の前で奇妙な光景が展開。なんと、満載のお客さんを載せた福島行のバスとすれ違ったのだ。そうそう、すっかり忘れていた。今日はバス料金が100円均一だったのだ。普段はバスに乗らない人達も、今日は記念にと乗ってきたのだろう。車内をチラッと見た感じ、中高生や家族連れが多いようであった。
意外なところで見られた川俣の賑わいだったが、この様子を目の当たりにして、ちょっと不安になってしまう。川俣の中心街からバスに乗ったのでは、長時間立ちんぼが確実だと思ったのだ、散歩の後の立ちんぼは体力的にきついので、なるべく起点に近いバス停まで急がねば、という気分にさせられてしまう。
瀟洒な外観の川俣ホテルの前を通り、河川敷が小公園のようになっている広瀬川を渡って、その先のT字路を左折。町中心部で唯一の大型店となるコープマートの脇を通り、商店街が尽きると現れるのが我が散歩でもちょくちょく世話になっている国道349号線。ここを右折し、南へと進む。
国道でも軽いアップダウンがあり坂を下りる途中の沿道、大清水というバス停の近くにあったのが「コスキンの町 川俣」の看板。川俣では我が国最大のフォルクローレ(中南米民族音楽)の祭典であるコスキン・エン・ハポンが毎年10月に開催されるのだ。町民が中南米の民族衣装を着て町を練り歩くコスキンパレードは、福島県内では広く知られている。が、コスキン関係の看板や案内表示版は、私が歩いた範囲ではここだけでしか見ることができなかった。年に一度のお祭りばかりでなく、コスキン・エン・ハポンはもっと町おこしに利用されてもいいんじゃないかと思ってしまう。
町内の二つの小学校が統合して1985年に開校した川俣南小学校の前を通り過ぎると、国道114号線と合流。その後もしばらく南へと歩き、114号線と349号線とが再び分岐する交差点に程近い仁井町というバス停の前まで行く。次のバスまであと8分。ここらで散歩を終わりにし、バスで帰りたいと思う。
驚いたのが、バス停に先客がいたこと。年配の女性が一人で立っていて、私がバス停に近づくと「あんだもバスかい?」と訊いてくる。しばらく待っていると、お祖母さんと孫とおぼしき二人連れもやってきた。みんな100円バスに乗りたいようである。
福島行のバスがやってきたのは、定刻より2、3分遅れであった。起点からここまで山間部しか走っていないはずなのに座席が既に半分埋まった状況。やっぱりここまで歩いて正解だった。その後も停留所にこまめに停車しては乗客を積み続けたバスは、川俣町の中心街を走っている間に通勤時間帯かと見まがうばかりの混雑ぶりと相成ってしまった。