2007年7月13日 ~福島から月舘まで~

今日は平日だが、上の子の幼稚園の夏祭りに参加するため、会社はお休み。
我が家では非常に珍しい風景となる家族揃っての朝ごはんを済ませ、上の子を幼稚園まで送り届けるという妙に家庭的な一日の始まりだ。
が、こんな日でも、散歩に出掛けるという放蕩親父だったりする私。幼稚園から帰ると身支度をし、桑折発8時12分の電車で福島駅へと向かう。車内は通勤客が多く、これまた場違いな服装での闖入となってしまった。
上り下りの電車が同時に到着しお客さんでごった返す福島駅に8時27分に到着。今日の散歩は、ここを起点とする。
行き先は、伊達市月舘町。福島からの直線距離は近いのだが訪れるには北の伊達市霊山町か南の川俣町を迂回しなければならず、しかも福島とを直通するバスも1日3往復しかないという、ある意味秘境に近い場所。それゆえなかなか来訪できずにいたのだが、今日は時間がかかっても歩ききってみたいと思っている。心配された天気は朝から曇天ではあるものの雨の心配はなさそうだ。
福島から大仏橋を渡って渡利へ。センターラインすらないけど一応県道の山口渡利線に入り、まずは福島市東端の集落・大波を目指す。この道路は今年4月22日に花見山公園を訪れた時に歩いているが、その時とは一変している風景がひとつ。選挙のポスターがやたらと多いのだ。そう言えば、参議院議員の選挙が昨日公示されたばかりだった。しかも、共産党の候補者が渡利在住ということもあり、共産党のポスターが非常に多い。
花見山公園への道が分岐すると人家が極端に減り、登り勾配となる。ちょっとしたトレッキング気分である。1キロほど歩くと茶屋沼公園。花見の名所でもあるが、今の時期はアジサイが見頃。薄紫色の花が園内いっぱいに咲き誇っていてとてもきれいである。
その後も細い県道を歩き、低い分水嶺を越えると、住所的には福島市山口となる集落。ただし、この付近は文知摺(もちずり)観音のある山口の中心集落からは3キロほど離れており、当地にある小学校へ通うのも難儀しそうだ。
集落を過ぎると再び登り勾配となり、登り切ったところで国道115号線に合流し、大波へと入る。今度はこの国道をしばらく東進し、伊達市霊山町、更には月舘町を目指す。この辺りの115号線は今年2月17日にバスで通ったが、歩いてみるとまた違った印象。大波は山また山のイメージがあるのだが、渡利からのアップダウンを経た後で訪れてみると意外に田畑が多く開放的な雰囲気すら感じる。
大波をしばらく歩いていると、「霊山○○」などと書かれた企業や事業所の名前がたまに目につく。短期間ではあるが大波は伊達郡霊山町の一部だったことがあるので、霊山への帰属意識も多少は残っているのかもしれない。ただし、肝心の霊山の山容は10キロ以上も東にあり、見ることはできなかった。
その「霊山○○」の筆頭格とも言える福島りょうぜん漬で地元ではお馴染みの森藤食品工業の本社工場の前を過ぎると、福島市から伊達市へと入る。入ってすぐの所にある下小国の集落は大波に比べると田畑が少なく、やや寂れた印象。廃屋もチラホラ登場する。
それでも霊山町の中心地・掛田が近づくにつれ工場なども登場しだんだん町場らしくなっていくのだが、薄情にも私は掛田の町には立ち寄らず、右折して国道349号線を南進する。沿道にはパーシモンカントリークラブという伊達市内唯一のゴルフ場がある。ゴルフ場の先にある緩い分水嶺を越えると、ようやく月舘町。この時点で歩行時間が2時間40分ほど。いつもの散歩だったらもう終わる頃合だが、今回はもう少し先にある月舘町の中心部まで歩いてみたいので、更に先へと歩を進める。
川は交通路の母とよく言われるが、月舘町内もまた、伊達地方を南北に流れる広瀬川に沿って国道が走り、集落が展開している。月舘町の人口は伊達市に合併する直前の2005年に行なわれた国勢調査時点で確か4,300人ほどだったと思うが、国道から見る限りは、もっと住んでいるように感じられる。でも家々をつぶさに見ていくと何軒かに一軒の割合で廃屋があり、過疎の残酷な実態を目の当たりにする。
もちろん、月舘町(伊達市)当局も、この状況に手をこまねいている訳ではない。夢見の郷というニュータウンを造成、分譲をしているのだ。国道の左手遠方の丘陵を注意深く見ると、林の影から新しい住宅がチラホラ見えている。
ニュータウンが後方に去ると、今度は前方に月舘の町が現れる。が、町が近いという状況とは裏腹に、丘陵が国道に迫ってくるためここまで2車線を確保していた国道は急激に狭くなり、大型車のすれ違いが厳しい状況になる。どうしてこのような地形的に厳しい場所に町が形成されたのだろう。今年6月17日に訪れた小浜に雰囲気が似ているが小浜の町の成り立ちは戦国時代という背景によるもの。月舘が城下町だったという話は聞かないし、その成り立ちにはちょっと興味が湧く。
月舘の町はそれほど大きくはないが、「小手(おで)姫の里」と書かれた幟が目につく。「小手姫うどん」を供する食堂もあり、ちょうど昼時だし入ろうかなと誘惑されかける。磐梯熱海温泉の萩姫、大塩裏磐梯温泉の塩姫など、福島県には実在が疑わしい姫にまつわる伝説がいくつか見られるが、この小手姫は今から1,500年ほど前に実在した人物で、崇峻(すしゅん)天皇(在位587年~592年)の妃であったとのことであり、東国へ旅立った息子の蜂子皇子を探して故郷の大和に似た雰囲気が残っているこの地を訪れ、そして亡くなったとの伝説が残っている。また、この地に養蚕の技術を伝えたのも、小手姫とのこと。現時点では小手姫伝説は伝承の域をでないだろうが、坂上田村麻呂蝦夷征伐(9世紀初頭)以前の皇族にまつわる伝説が東北地方に残っているのは非常に珍しい事例であり、歴史的検証の余地があると思われる。
結局、月舘の南の町はずれにある清水ヶ丘というバス停まで歩いた。歩行時間は3時間18分で、これまで最長だった今年5月3日の散歩を上回り、自己最長記録を更新した。