2007年8月5日 ~仙台から塩竈まで~

ここ数日、見事なまでに暑い日が続いている。猛暑日にはならないまでも熱帯夜は当り前。だから散歩に出掛けるのも、ちょっと億劫になりかける。道楽で熱射病にでもなったら洒落にならないからだ。
でも、やはり出掛けたいという気持ちの方が強いので、予定通りに発つことにする。今日の行き先は、塩竈市。昨年10月8日以来の東北本線沿線散歩の再開だ。桑折発6時29分の始発電車に乗り、7時39分仙台着。明日から始まる七夕祭りの飾りが揺れる駅構内を出、ペデストリアンデッキを歩き、10月8日の終点となった石巻街道(名掛丁)に出る。仙台有数ののっぽビル・アエルと現在建設中のパルコに挟まれた裏道で往年のメインストリートに似つかわしくない扱いを受けている街道を歩き、小汚い地下歩道で東北本線をくぐる。
地下歩道から出た時、私はかなり驚いた。かつてこの辺りは木造住宅がぎっしり建っていたはずなのに、すっかりなくなっているのだ。この辺りは現在仙台駅東第二区画整理と称する事業の真っ最中。一部には真新しいビルが建っているものの、大半は更地。震災か大火でもあったのかと勘違いしてしまいそうな光景だ。
そんな風景を1キロほど歩き花見の名所で知られる榴ヶ岡公園の北端をかすめると、次に現れるのは仙台市宮城野区の中心地である原町(はらのまち)の街並み。仙台城下に隣接している石巻街道の宿場町だ。現在原町のメインストリートは国道45号線に移ってしまったが、国道と並行する街道は原町本通りと呼ばれ、現在も1キロほどの長きにわたり商店街が残っている。
面白いなと思ったのは、商店街の街灯。七夕に使うと思しき竹が架かっているのだ。仙台の七夕祭りというと一番町あたりのアーケードを彩る巨大な七夕飾りが印象に残るけれど、原町本通りのような近郊の商店街でも小規模ながら七夕の習慣が残っているのが嬉しい。明日からの原町本通りが楽しみだ。
原町本通りから外れた石巻街道は東北本線東北新幹線の下をくぐり、主要地方道仙台松島線に合流する。この道路は利府街道と通称されているが、元々利府街道とは石巻街道の一部を指す通称だ。近年になって仙台と利府との間が整備、拡幅されたので、利府街道の呼称が広まったのだろう。
石巻街道は、東北本線東仙台駅のほど近くにある住宅街を通っている。東仙台は昭和初期から終戦直後にかけて宅地開発が進められた仙台近郊の住宅街のはしりとも言える地域だが、見た限り古い家はさほどなく、代替わりが進んでいるのか比較的新しい家屋やアパートが多い。
東仙台駅の少し東側、仙台市交通局東仙台営業所の近くで、石巻街道は仙台松島線と別れる。歩道もセンターラインもない細道だ。別れて程なく勾配に差し掛かり、つづら折りの坂道を登っていく。が、沿道に住宅が建て込んでいるため、眺望が一向にきいてこない。ちょっとだけ右手が開ける所があり、小鶴新田の新興マンション群が見渡せる程度だ。そんな住宅地の中を通ると突然陸橋が現れる。渡ってみると、真下には国道4号線仙台バイパス。ここから先は、岩切は今市の町へと入る。
宮城野区役所の支所や小中学校が所在し岩切地区の中心となっている今市は、石巻街道の宿場町でもあった。現在でも、仙台近郊とは思えないほど、古い家々が残っている。ただし、今市は商業の町ではなく仙台藩足軽が多く住んだ地域であったため、半農半武の屋敷が多く残っているのが特徴だ。昨年9月17日に訪れた大河原町の金ヶ瀬に雰囲気が似ている。金ヶ瀬と言えば、思い出すのが家々の玄関。白石の片倉家によって形作られた西部では白石の方を向き、仙台の伊達家によって形作られた東部では仙台の方を向いているのが非常に特徴的なのだが、では、今市ではどうだろう。いくつかの旧家を見てみると、ほぼ100パーセント仙台の方を向いていた。
七北田(ななきた)川に架かる今市橋を渡ると、T字路に差し掛かる。仙台市泉区塩竈市とを結ぶ主要地方道泉塩釜線で、石巻街道はこの道路を塩竃方面へと進む。今市橋付近の泉塩釜線は拡幅されているが、東北本線岩切駅に程近い洞ノ口地区近くになると、狭い旧道が分岐する。岩切駅付近でも現在土地区画整理事業が進められているが、この辺りだけ時代から取り残されたような光景だ。なお、洞ノ口にあるT字路で石巻街道は北へと向かい、東へ直進すると塩竈へ達する塩竈街道となる。今日の目的地は塩竈なので、そのまま直進する。
土地区画整理事業の影響で駅前広場が広く、また真新しくなっている岩切駅の脇を過ぎ、東北本線のガードをくぐると、いよいよ多賀城市に入る。これで我が早朝散歩における訪問自治体数は23となった。この辺りで時計を見ると、出発から1時間40分が経過している。にもかかわらず、沿道はいまだ住宅が建ち並び、仙台の街の大きさを窺い知ることができる。が、さすがに多賀城市に入ると、沿道のみが住宅地で少し外れると田んぼが広がるようになっており、時折青々と繁った田んぼが、住宅と住宅の間から顔を覗かせている。
仙台臨海鉄道が分岐しJR貨物が管理するという珍しい形態の東北本線陸前山王駅の前を過ぎると、ようやく住宅が途切れる。左手は田んぼと丘陵が広がっているが、右側の遠景は仙台のベッドタウンとして発展を遂げた仙石線多賀城駅付近の住宅街となっている。
多賀城市を南北に縦貫して流れている砂押川を渡ると、三叉路に差し掛かる。旧主要地方道は右へと分かれているが、塩竃街道は左。私は迷わず左を選ぶ。入るなり雑木林の中の急勾配で仙台駅から歩行2時間を超えた身にはきついが、初めての雑木林は路面に木陰を作ってくれるので、その面では心地よい。なお、この辺りは奈良時代から平安時代にかけて東北地方一円を治めていた多賀城に関連した遺跡が多い。政庁や神社の跡、また現役の神社である陸奥総社宮など、歴史好きには垂涎のルートでもある。
陸奥総社宮の前を通過してしばらくすると、沿道に急に宅地が増えてくる。どうやら塩竈市に入ったようだ。これで訪問自治体数は24個目。塩竈市は人口6万弱ながら人口密度は東北地方ナンバーワンの都市だが、それにしても入ったとたんに宅地になるとは恐れ入る。塩竈は平地が少なく、丘陵いっぱいに住宅が建て込んでいる。規模こそ違えど横須賀や長崎を彷彿とさせる風景だ。
その後も丘陵に面した住宅地の中を20分ほど歩くと、前方左手に緑深い丘陵が現れる。鹽竈神社の鎮座する一森山だ。周囲の丘陵がどこもかしこも宅地化されてしまっているので、却って異彩を放っている。なお、この辺りから、塩竈街道は主要地方道塩釜吉岡線となる。神社へと至る石段の付近は車道も歩道もきちんと整備されており、街中に入った雰囲気を感じる。
その後も歩くごとに商店の比率が増していき塩竈の中心街へと入っていくのだが、残念なことに道路を歩く人は少ない。塩竃市民の多くは隣接する多賀城市利府町にあるショッピングセンターまでクルマで買い物に出てしまうのだ。ただし、塩竈は鹽竃神社や松島への観光拠点であるので、観光客らしい姿は何人か見掛けた。
そんな不思議な雰囲気を漂わせている中心街を通り抜け、10時22分、仙石線本塩釜駅着。駅構内では松島湾遊覧の観光船の切符を販売しており、障害者や外国人を含めた観光客で賑わっていた。やはり塩竃は、観光に生きる街なのであろうか。

※「塩竈」「塩釜」「鹽竈」の表記について
本文中、「塩竈」「塩釜」「鹽竈」の表記が混在しているが、それぞれの自治体名、道路名、施設名ともすべて正式の表記である。非常にややこしいが、ご了承願いたい。ちなみに訓みはすべて「しおがま」である。