2007年8月19日 ~郡山から須賀川まで~

1週間ぶりの早朝散歩で、再び奥州街道に戻る。
昨年10月1日の終点・郡山から、17キロ南にある鏡石まで歩く予定だ。歩行時間は恐らく3時間前後になるだろう。道中には大した勾配はなさそうだが、ちょっと厳しいルートである。ただ、前々回に仙台から塩竈、前回に桑折から七ヶ宿の手前まで3時間近いコースを連続して歩いていたので、今回もできるさという妙な自信だけはあった。偶然だが、今日で早朝散歩をスタートさせて丁度1年。歩くごとに1回あたりの歩行距離が伸び、自信も深まっているような気がする。
前日は11時過ぎとやや遅目の就寝だったが、朝4時半に起床。予定通り、桑折発5時41分の上り始発電車に乗車する。郡山までの乗車時間は1時間12分間で、桑折からだと通勤先の仙台までの所要時間と大差ない。通勤電車では常に舟を漕いでいる私だが、散歩の時は気が張っているのか、寝ようと思ってもなかなか寝れない。
定刻通り、6時53分に郡山着。駅構内は広く、外に出るのに3分を要した。従って、散歩の出発時刻は6時56分となる。
まずは人通りのまばらな繁華街を昨年10月の中断地点であるうすい前まで歩き、ここから奥州街道に入る。迎えてくれるのは、中町、本町(もとまち)の商店街。沿道の建物はやや古め。しかもちょっとしたクランクなどもあって、宿場町気分が味わえる。郡山市中心部は住居表示制度の実施に伴う町域再編が行われているので定かなことは言えないが、町名から推察すると、どうやらこの辺りが、郡山宿の中核だったようだ。
本町を通過すると東北本線の踏切を渡る。奥州街道東北本線の平面交差は二本松市杉田以来だが、事前に地図で確認したところ、今日はあと2回、踏切を渡るはずである。踏切の先の小原田まで、商店街は続いている。小原田は奥州街道の宿場町であるが、郡山の市街地に包括されてしまい往年の面影はあまり残っていない。この辺、郡山のすぐ北の福原宿とは対照的である。
国道49号線との交差点を渡ると、次の宿場町・日出山(ひでのやま)。郡山駅を出て30分ほどしか経っていないのに、もう二つ目の宿場町である。ここの2キロほど南には笹川宿があるはずだから、かなり間隔が短い。が、宿駅の連続ぶりに対して、鉄道の方はというと、郡山から笹川宿の至近にある安積永盛までの4.9キロの間、駅がなかったりする。途中に貨物ターミナルがあるので駅を設置しにくい事情はあるにせよ、住宅密集地でもあるし、駅ぐらい設置できないものだろうかとも思う。
笹原川を渡るともう笹川宿。福島県では比較的名の知られた酒造メーカーである笹の川の工場がいきなり現れ小ぶりな宿場町だった小原田、日出山と比べると格の違いを感じてしまうが、目立つのはそれだけ。安積永盛駅周辺にちょっとした商店街があるだけで宿場町としてはやはりパッとしない。
むしろ笹川で気になったのは、宿場町の南端を流れていた小さな川。コンクリートで護岸されまくり用水路のような風情なのだが、郡山を発ってからというもの、この程度の川が気になって仕方がないのだ。その原因は、本宮市郡山市との境を流れる五百川。京の都から数えて500番目の川だという言い伝えを持つこの川。もし伝説が正しいとすれば、京都~五百川間は約750キロ離れているから、平均して1.5キロごとに川一本を渡らねばならない。五百川から奥州街道沿いを地図でたどってみると藤田川、逢瀬川、笹原川、滑川、釈迦堂川… と続いてはいるものの、各河川の間隔は1.5キロどころかその倍は離れていてとてもじゃないが京都まで500本は難しそう。となれば、もっと小さい、地図にも載っていない川をも含めて500本ということになる訳で、先ほど日出山で南川という小さな川を渡ったし、実地見聞してみればそのような川がもっと見つかるかもしれない。児戯に等しい関心事だが、そんな訳で、沿道の小川には目を光らせていたのである。果てさて何という名の川だろう。奥州街道が架かった橋の欄干を覗いてみる。「ほたるばし」という橋の名前だけはわかったが、残念ながら川の名前はわからずじまいだった。
小川を渡り、郡山からここまですぐ近くを並走していた東北新幹線が右手に消え去ると沿道は田園地帯へと変わり、水郡線の踏切を渡ると、須賀川市に入る。須賀川は郡山のベッドタウンというイメージが強い都市だが奥州街道沿いに関して言えば決してそうではなく、沿道は田んぼと東北本線、あと笹川の手前から寄り添っている阿武隈川が目立つばかり。人家も少なく淋しい風景だ。これが3キロほど続く。視界に何らかのアクセントやインパクトがないと、道中がしんどくなる。郡山を出てから既に1時間半。体力的にも鏡石まで保つかどうか不安がある。
それでも足を前に進めていると、やがて前方に住宅地が開けてくる。須賀川の街に入ったようだ。まず現れるのが区画整理された新興住宅地だった、というのが、いかにもベッドタウン須賀川らしい。というか、何時の間にやら真新しい道路を歩いていたりする。どうやら奥州街道から外れてしまったようだ。住宅街の中で一本だけ古めかしい道路を見つけたので、慌ててそちらに分け入る。
確かこの先は踏切を渡って、あと須賀川の駅前を通って、釈迦堂川を渡って… と家に置いてきた地図を頭の中で反芻しながら歩いていると、東北本線を渡る手前で地下歩道に突き当たる。線路際に案内文が貼られてあり、それによると、踏切は廃止されてしまったらしい。ありゃりゃ。地図と違うじゃんか。そう思いながら地下道を通り抜けると高架橋の真下に出る。そうか。車道は東北本線を高架橋でまたぐようになったんだ。そう思いながら車道に合流する。ずいぶん立派な道である。沿道にはロードサイドショップが何軒か並んでいて、須賀川の発展ぶりを見せつけている。
釈迦堂川を渡る。前日に花火大会が行なわれていたようで、見物人に対して立ち止まらないよう促した看板が何枚か見られる。川を渡った先も、どこかの街で見たようなロードサイドショップやレストランが並ぶ。
異変に気がついたのは、この時だった。あれ。おかしいな。須賀川駅の前も通らなかったし、そして何より、沿道がロードサイドショップばかりで宿場町らしい景観がまったく見られない。決定的だったのは、前方の道路標識。今歩いている道路は東部環状線という奥州街道とは何の関係もない道路で、直進するとなんと福島空港方面に行ってしまうという。つまり思いっきり、迷子になってしまったという訳。
鏡石まで行くつもりだったのだが、ここで気持ちが切れてしまい、とりあえず須賀川駅までたどり着いて散歩を終わりにしようと思った次第。駅まで結局20分ぐらいは歩いたろうか。地方都市の街中を歩くのは私にとって散歩の楽しみのひとつであるはずだが、気が急いていたので景色を楽しむ余裕は全くなかった。
とにもかくにも、予定通り歩けなかったのは残念だ。この先は鏡石~泉崎間を歩く予定にしていたが、須賀川~矢吹間に変更せざるを得ないだろう。