2008年3月23日 ~伊達広域農道を歩く その1~

私の住む福島県伊達地方には、伊達広域農道と呼ばれる農道がある。
南側からルートをたどると、伊達市保原町南部から保原市街の西縁、伊達市(旧伊達町)伏黒を経由して昭和大橋阿武隈川を渡河、今度は桑折町国見町阿武隈川西側の町の東部を縦貫し徳江大橋で再び阿武隈川を渡河し伊達市梁川町の中心街へと至る。阿武隈川の東西に広がる伊達地方の町を縫うように結んでいる道路なのだ。
今回と次回の散歩では、この道路をメインに歩いてみたいと思う。もっとも、散歩ルートにここを選んだのは、給料日前で小遣いが不如意となっており散歩地点までの交通費をかけられないという事情があるのだが。なお、今回歩くのは、桑折町以北のルート。自宅から農道の通る伊達崎(だんざき)まで行き、あとは農道を通って梁川へ。梁川からは国道349号線などを通って東北本線の貝田駅まで歩ききってみたいと考えている。梁川から貝田までというルートは一見突飛なようだが、江戸時代には両地区の間に街道(梁川道)が通っており、その後を受け継ぐ県道も整備されている。また、貝田駅は私の通勤系路上にあるので、通勤定期を持参すれば交通費もかからない。

午前4時半に起床。ジャージに着替え、タオル、ドリンク、靴の支度を済ませ、午前5時ちょうどに自宅を出発。春分の日を過ぎたとはいえ今の時期の午前5時は暗い。日が昇るまではもう少しかかるようだ。国道4号線を渡り、一路東へ。田んぼと果樹園が入り混じる地帯、一部舗装されていない道も経由しながら、15分ほど歩いてなんとか伊達広域農道までたどり着く。このあたりで、ようやく空が白んでくる。真正面に見える霊山(りょうぜん)のやや北側の空だけが赤い。まもなくここから日が昇るようだ。後を見ると、月がちょうど、半田山の南側に沈むところだった。伊達地方を代表する山と天体とのコントラストが面白い。
さて、農道である。人家の少ない地域を通るので歩道が全然整備されていないが、通行するクルマもないので歩きにくいということはない。この辺りでは農道は南北に通じており、前方には公立藤田病院をはじめ国見町の市街地が見えている。
いや、前方で最も目立つのは、市街地の手前を通っている国道4号線。こちらは南北方向、国道は南西から北東に延びているのでどんどん接近し、藤田病院の付近ではあぜ道をちょっと歩けばたどり着けるぐらいの距離まで近づく。わざわざ農道を選択したのがバカらしく思えてくるぐらいだが、その気持ちを察したかのように農道は右に90度カーブを切り、東へと進む。この辺りで、自治体も桑折町から国見町へと変わる。
昇り始めたばかりの太陽が真正面に見えるシチュエーション。周囲は田畑でさえぎる物は何もないからまぶしくて何度かくしゃみをしてしまう。この状況が、町境から2キロほど崎にある森江野小学校の付近まで続く。小学校を過ぎると農道は南東に進路を変え、阿武隈川に架かる徳江大橋へとさしかかる。歩道が整備されていない農道だが、ここだけは歩道があるので歩きやすい。川面を見ると霧がかかっており、いかにも早朝の川といった風景。橋上で6時を迎えたため、どこかからチャイムやら鐘の音やらが聞こえてくるのも趣深い。
この徳江大橋が国見町伊達市梁川町との境界だとばかり思っていたのだが、国見町の町域は川を越えて多少東に入っているようで、1キロほど歩いてようやく伊達市に入る。しばらくは国見町と似たような農村地帯だが、しばらく歩くと左手に梁川テクノパークと呼ばれる工業地域が展開する。国内最大の光ディスク生産工場であるザッツ福島の建物がひときわ大きい。
この辺りから付近に住宅が増えだし、梁川の市街地へと入る。早朝散歩では一昨年10月29日以来の梁川市街。その時も思ったが、新しい街路や家屋が結構多い。特に梁川テクノパークから梁川市街にかけての一帯は国道349号線のバイパス整備が進行中ということもあり、地方の小都市という感じがしない。
地元出身の彫刻家・太田良平の作品を多く展示する梁川美術館の脇で(いずれ旧道となる)国道349号線と合流。ここで左折し、北に進路をとる。梁川では珍しく古い商店が軒を連ねる一角を通り抜け、更に国道を北へ。一昨年の散歩ではここで国道から離れて阿武隈急行やながわ希望の森公園前駅で散歩を終わらせたから、私にとっては未知の領域となる。
市街地の北はずれにある福島交通の営業所を過ぎると、前方に橋が二つ。いずれも阿武隈川に架かる橋で、ひとつは国道が通る梁川橋、もうひとつは老朽化が進む梁川橋の後継として建設された梁川大橋である。もっとも、梁川大橋は橋本体こそ完成しているものの、その前後の取付道路が未整備の状態。供用開始まではまだまだかかりそうだ。
という訳で今は梁川橋を渡らざるを得ないのだが、これが怖いことこの上ない。渡りきるまで4、5分はかかりそうな長さなのに、歩道がまったく整備されていないのだ。路肩を恐る恐る渡らざるを得ず、クルマが通過するたびに肝を冷やす次第。
橋の向こう側は、梁川町五十沢(いさざわ)。ここは昨年3月4日に歩いたので約1年ぶりの来訪になる。国道から別れ、以前も歩いた県道五十沢国見線を歩き、東大枝の集落へ。梁川道の宿場町だったというだけあって街村が展開する。ちょっとだけ、街道気分を味わう。集落の西はずれで、昨年歩いた国見町藤田への県道と今回歩く貝田への街道が分岐。この分岐点の行先表示、藤田への道が「福島」、貝田への道が「仙台」となっており、その大雑把さにちょっと笑える。
貝田は宮城県境の峠付近にあるのでそこへの道もまた緩やかな登り坂なのかなと推察していたのだが、東大枝から2キロ近くは、平坦な水田地帯を行く。なお、この間に自治体も、伊達市から国見町へと変わる。
ところが国見町に入ってしばらくすると、街道は急な登り坂へと変貌。さして大きなカーブを描いていないせいもあり、結構な急坂だ。自宅を出てから既に2時間半が経過しており勾配は疲れた身体にも若干きつい。自然と息もあがる。
それでも何とか上りきり、貝田の宿場町へ。ここは最初の早朝散歩となった一昨年8月19日以来だが、改めて見ると生垣のある家屋が多く、ブロック塀の家屋が目立つ東大枝とは格が違う。やはり貝田は、二本柳(二本松市)、太田川(泉崎村)に並ぶ「福島県奥州街道における宿場町らしい集落」だと思う次第だ。
宿場町のはずれにある貝田駅に着いたのは、7時55分。結局3時間近く歩いたことになる。時刻表を見ると、桑折方面への電車が着くのはわずか8分後の8時03分。1日15往復しか電車が止まらない貝田でこれだけタイミングの良い接続待ちができるとは、正直思わなかった。