2008年3月30日 ~伊達広域農道を歩く その2~

前回に引き続き、今日も伊達広域農道を歩く。
午前5時ちょうどに自宅を出発し、裏道、畦道を通って5時16分に農道へ。これも前回と変わらないルート。唯一違っていたのは日の出の時刻で、前回は農道に出た時点で夜が明け切っていなかったのだが、今日はもう太陽が昇っていた。東に向かって歩いていたので、前方がいやに眩しい。
でも、同じなのはここまで。前回左折した農道を、今日は左折する。今日のコースは、伊達市保原町上保原まで伊達広域農道を行き、その後は伊達市保原町の中心街、国道399号線を経由して、伊達駅を終点とする予定である。
まずは、農道を保原方面に向かって南下。前回は沿道に田んぼが目立っていたが、今日は果樹園、特に桃畑が多い。この辺りは「こおり桃源郷」と呼ばれ、1996年には皇太子夫妻も来訪されたこともある。その記念碑も近くにあるはずだが、農道からは見えないようだ。
阿武隈川に架かる昭和大橋を渡河。これで伊達地方に架かる阿武隈川の橋で未渡河なのは国道399号線に架かる伊達橋だけとなった。この橋も今日片付けてしまう予定なのだが、橋を渡りきった地点にある看板で、考えがグラついてしまう。
その看板は1995年に開催されたふくしま国体のPR用看板で何で未だに掲げられているのだろうという代物なのだが、掲げられた地図には伊達広域農道のルートも示されており、そこには農道の南側の起点が国道349号線に接する伊達市保原町柱田であると記載されている。柱田は保原町の南端に位置するが、どうせだったら起点まで農道を歩いてみるかとの好奇心がムクムクと頭をもたげてくる。ええい、予定を変更して、柱田まで農道を歩いてやれ。伊達橋は次の機会に回せばいいさ。
昭和大橋を渡ると桑折町から伊達市になる。旧伊達町の伏黒、保原町上保原と北から南へ縦貫するが、こちらもこおり桃源郷に負けず劣らず果樹園が多い。が、桑折町内に比べると周辺に人家が目立つ。しかも左手には常に伊達市役所のある保原の街並みが見えており、農村と言うより都市近郊の緑地といった趣だ。
県道保原桑折線、国道399号線、主要地方道福島保原線と伊達地方を東西に横切る幹線道路と交差した農道は、阿武隈急行上保原駅前を通過したところで、進行方向を南から東へと変える。保原の街が左側に遠巻きに見えるのは変わらないので、この辺りの農道は、保原の外環状線的な雰囲気もある。保原町南部を学区とする松陽中学校の付近を通過すると、沿道は再び農村色が強くなる。この辺りの農地は上保原以北と違って田んぼの比率が高いのが特徴だ。
丘陵地帯に差し掛かり多少のアップダウンがあった後、農道は国道349号線に合流。いよいよ歩ききったか、との感慨はあるにはあったが、この時点での私は、今日の散歩の終点をどこにするかという課題で頭を悩ませていた。農道が国道と合流する地点で見た案内標識によると、保原まで2.5キロで伊達市霊山町掛田まで3.5キロ。どちらに向かうか迷ったが、思い切って掛田を目指すことにした。この辺りの国道は昨年2月17日に歩いてはいるが、掛田自体があまり訪れる機会がない場所なだけに、どうしても興味関心が向かってしまうのだ。
それにしても、今日のルートは行き当たりばったりの連続。でも、これがまた、早朝散歩の良さでもあろう。
アップダウンがある国道をてくてく歩き、7時20分に掛田に到着。町の北端にありかつて福島交通の軌道線が発着していた掛田駅でバスの時刻を確認すると、駅前発7時45分の福島駅前行の便があるとのこと。帰りの足はこれにしよう。残りの時間は、バスのルートに沿って南北に細長い掛田の町をタウンウォッチング。昨年も同じことをして時間を潰したけれど、掛田の町は何度見ても飽きない。歴史的建造物こそ少ないけれど個人商店の種類が豊富で、旧き良き日本の町並み的雰囲気があるのだ。
昨年の散歩で中断地点となった伊達市役所霊山総合支所の前を通過。更に南へと歩くと福島と相馬とを結ぶ国道115号線との交差点。福島へのバスは国道115号線を通るので、交差点を右折し西へと進む。ちょっと歩くと、月舘入口というバス停が。文字通り伊達市月舘町への道が分岐する所なのだが、考えてみると、この道は昨年7月13日に福島駅から月舘まで歩いた際に通った道なのであった。