2008年4月13日 ~伊達市横断散歩~

昨日の散歩で三つも橋を渡ってしまったため、今日の散歩コースはどうしたものか、ちょっと迷った。
現時点で自宅から至近距離にある未渡橋の橋は、伊達橋、月の輪大橋、鎌田大橋の三つ。なのでまとめて渡ってしまおうかとも考えたのだが、ただ橋を渡るだけの散歩も味気ない。風景を楽しみつつ橋を一つ二つ渡る。この配分が、やはり性に合っているようだ。
そこで今日は、伊達地方で唯一残っている伊達橋一本に絞って、コースを決めることにする。出発点は、伊達市東部にある梁川駅。ここから若干の遠回りをしながら伊達橋を渡り、伊達市西端にある伊達駅まで歩く予定だ。つまり今回の散歩は、伊達市横断散歩ということになる。
昨日と同じく、桑折駅発5時41分の始発列車に乗り、5時48分着の東福島駅で下車。ここから15分ほどかけて阿武隈急行福島学院前駅まで歩く。東福島駅から阿武隈急行へのアクセスはここから一駅福島寄りの卸町駅の方が近く徒歩7分程度で着くのだが、敢えて離れた福島学院前まで歩いたのは、梁川までの運賃が60円ほど安くなるからである。同駅発6時11分の電車に乗車し、6時34分、梁川着。
運賃の精算を済ませ、6時35分に散歩スタート。まずは、新しい家が建ち並ぶ駅前を歩く。この一帯をはじめ、市街地北部の希望ヶ丘、市街地から2キロほど南の新田駅前に広がる陽光台など、伊達市梁川町は新興住宅地が目立つ地域だ。が、それでも人口は緩やかな減少傾向にあり、20年前には2万3千人あったのに2006年には2万人の大台を割り込んでしまっている。
梁川町の人口減少の要因は、交通の不便な農村地帯を多く抱えていることに尽きる。町東部の白根や山舟生(やまふにゅう)、以前歩いたことがある町北部の五十沢(いさざわ)がその代表例だが、これから歩く大関も、その一つ。市街地内で主要地方道浪江国見線に入り阿武隈急行に架かる陸橋を渡ると、それまで左右にあった新興住宅地は消え失せ、田畑が展開する。この辺りは地図上では平地になっているが、実際に歩いてみると段丘状に細かい起伏が連続しており、農地の確保には若干苦労しそうな地形だ。その段丘の最下段、私が歩いている道の左手には、広瀬川が流れている。それなりに幅が広い川なのだが、地形が地形なだけに堤防を必要とせず自然の川に近い姿で流れているのが面白い。ただ唯一不満なのが、川岸にゴミが溜まっている所がいくつか見られること。特に川沿いの樹木には、どこかのビニールハウスから風に乗って飛んできたらしいビニールの切れっ端が引っかかっていたりして、少々不気味な雰囲気だ。
主要地方道浪江国見線はかつて街道と呼ばれたという話は聞かないのだが、大関地区に関して言えば、大門、鹿の子と2キロおきぐらいに街村が展開している。広瀬川に架かる二村橋を渡ると伊達市霊山町に入るがその入口にある泉原の集落もまた街村だ。泉原から浪江国見線を更に進むと南北朝時代南朝方についたや北畠氏を祀る霊山神社や同氏が拠った霊山城があるから、これらの施設へ行き来する街道が、かつては開かれていたのかもしれない。
そんな夢想をしていると私もついつい霊山神社へ立ち寄りたくなってしまうのだが、思いは封印。泉原の集落の南端で右折し、県道伊達霊山線へと入る。ここから伊達市保原町までは、この県道を歩くことになる。霊山町内は梁川よりも地形の起伏が激しく山村的な風景が展開する。泉原の西隣の山野川集落で霊山町の中心・掛田からの県道が合流すると、ちょっとした峠越え。分水嶺からは保原の市街地が良く見え、意外に眺めが良い。ここから急坂を下ると、これまでの山村的風景とは真逆の平坦な水田地帯が展開する。
起伏がなく歩きやすいけど単調な感がある水田地帯をしばらく歩くと、保原の中心街に入る。まず目に飛び込むのは、大きな滑り台のある中央公園。更に阿武隈急行をオーバークロスすると、伊達警察署、伊達市民プール、伊達地方消防組合本部、福島県伊達合同庁舎、そして伊達市役所と、伊達市・地方を代表する建造物が周囲に展開。それにしても、一昨年の伊達市成立以来、保原には「伊達」を称する施設が異常に増えた気がする。
保原の中心街でも曲がることなく西へと直進しているのだが、道路名称は伊達霊山線から国道399号線へと変わる。市街地が尽きると再び農村地帯。保原以東では水田ばかりだったが、こちらは桃畑が目立つ。もともとこの一帯は養蚕地帯で桑畑が多かったのだが、転作で果樹園に鞍替えした農家が多いのだという。この一帯を過ぎると、いよいよ伊達橋を渡ることになる。
ところで、この国道399号線の上は、1971年まで福島交通軌道線が走っていたことで知られる。保原でも路面電車の駅を髣髴とさせるバスターミナルやその至近にある駅前食堂の看板に往時の面影を感じるのだが、これから渡らんとする伊達橋付近もまた、路面電車の雰囲気が濃厚に残る一帯だ。この橋は車道橋と歩道橋とに分かれており、歩道橋の方が実は以前の鉄道橋でガーダーに面影を残している。そしてこの歩道橋からの道(軌道跡)は国道の少し南側を伊達駅方面へと向かっているのだが、道中に1本だけ架線柱が残されているのだ。軌道の跡ばかりに目が向いてしまい、伊達橋を渡り終えた感慨はどこかに吹き飛んでしまっていた。