2008年6月19日 ~電車を乗り過ごして深夜の散歩~

6月14日発生した岩手・宮城内陸地震の影響で、私が通勤に利用している東北本線は一部区間で徐行運転を強いられている。
今日の帰り、福島方面への最終電車も、仙台駅を20分ほど遅れて出発。名取駅大河原駅間が徐行運転となるので、ここでも20分前後の遅れが出る見込みだ。従って、自宅最寄の桑折駅に着くのは11時50分頃かな、と予測し、携帯のアラームをセット。それまで車内でグッスリと眠ることに徹した。
で、11時50分。アラームの音で目が覚める。直後に鉄橋を渡る音。鉄橋? 桑折以北の東北本線の鉄橋は槻木駅の先の白石川までないはず… まさか!? 
そこに「次は、東福島…」と車掌のアナウンス。やっぱり寝過ごしてしまったか… 先ほど渡った鉄橋は摺上川の鉄橋だった次第。
仕方なく、東福島で下車。折り返しの電車はもうないと思われるので、何らかの手段で自宅にたどり着くしかない。駅前にはタクシーが何台か止まっていたものの、桑折まで利用するとなると3,000円近くはかかるだろうし、給料日前の懐では手を出しかねる。
となると、手段は一つ。自宅まで歩いて行くしかない。1時間半もあれば何とかなるだろう。妙に楽観的な私。散歩を習慣としていると、こんな時肝が坐ってしまうのが面白い。とにもかくにも、思わぬ場面での散歩と相成った。
福島学院大学が近いせいかアパートが多く建ち並ぶ東福島駅周辺を抜けると、瀬上の宿場町。一昨年の8月20日に歩いた際も思ったが、昔の面影がわずかながら残っている。深夜で家々の門や玄関が閉まっているから、なおさらそう感じるかもしれない。由緒ある家とそうでない家とでは玄関が決定的に違う。
摺上川に架かる幸橋を渡ると、伊達市伊達町。自治体は異なるが、瀬上から入ると伊達町はその外延のようにも感じる。架橋技術が劣っていた江戸時代は、瀬上と伊達町は東海道の島田と金谷のような双子都市的な存在だったのかもしれない。
伊達の住宅街が尽きると、いよいよ桑折町曙ブレーキ工業や吉川紙業などの工場がある工業団地の脇を通り抜けると再び住宅が増え始め、町の中心街へ。普段の散歩なら奥州街道を歩くところだが、今回はその一本西側にある通りを北上する。住宅街の中にある何の変哲もない通りだが、小学校や町役場、生協などがあり、宿場町とは違った生活感のある表情が目立つ通りだ。
駅前広場がやけに広い桑折駅の前を通過し、ようやく自宅に到着。正確な歩行時間は計測していなかったが、大体1時間15分ぐらいだったと思う。リビングでは妻が、待ちくたびれた表情を見せていた。