2008年7月27日 ~槻木から角田市東根、そして角田バイパスへ~

7月24日に岩手県北部で大地震が発生して以来、福島以北の東北本線ではダイヤが乱れている。地盤の緩い大河原から名取の間にかけて徐行運転を行っているからだ。
大げさな言い方であるが我が早朝散歩の生命線は散歩先までの交通手段であるため中止も考えたが、結局出かけることにした。今日の行先は角田市。ここには槻木大橋、東根橋、角田橋、枝野橋と阿武隈川に架かる橋が四つあるがいずれも未渡橋。できればこれらの橋を一気に片付けたいと意気込んでの出発だ。
桑折駅発6時29分発の下り始発列車で出発。強風時にはボトルネックとなる厚樫山も難なく越えて宮城県に入るも、大河原から例の徐行運転でペースダウン。結局、今回の散歩の起点である槻木駅には、定時から5分遅れの7時16分に到着した。
駅からは、奥州街道の一本北を並行する裏道を通る。道沿いの家々には槻木駅の属する柴田町、村田町、大河原町の3町合併を促進する張り紙がやたらと目立つ。3町が合併すれば人口約7万人。白石市角田市もはるかに凌ぐ宮城県南部最大の都市にはなる。
裏道を通り抜け、主要地方道丸森柴田線に出る。今回一本目の橋となる槻木大橋を経由する道だ。槻木の町を過ぎると阿武隈川の堤防に沿って走る国道4号線をオーバークロスし、一気に槻木大橋に差し掛かる様は圧巻。橋上からの眺めも非常に良い。槻木で白石川と合流した阿武隈川は川幅太く、まさに大河にふさわしい姿である。それにしても、長い橋だ。全長は777.77メートルとキリの良い数字。ついでに言うと開通年月日も平成7(1995)年7月7日と7づくしである。
橋を渡り終えると、T字路に差し掛かる。右折すると主要地方道丸森柴田線、左折すると主要地方道亘理村田線となる。なお、ここは行政的には角田市だが、左折するとすぐに亘理町の町域に入る。境界が錯綜した地域ではある。左折して常磐線で帰るのも面白いなとは思うが、今回は右折。
主要地方道と言えば、前回は二本松から本宮にかけて名ばかりの主要地方道を歩いたので、今回もそれに似たような道を歩く仕儀になるのかな… との懸念があった。ところが意外なことに、今回歩く主要地方道はセンターラインも歩道もきちんと整備されている。沿道は田んぼだらけで特段見るべきものもなくだからこそ拡幅もできたのだろうが、歩く側にとっては嬉しい。ただし、足許を見ると、前夜に雨でも降ったのかカタツムリの姿が目立つ。踏まないように気をつけながら歩かなくてはならない。
槻木大橋を渡った後阿武隈川は一旦右手遠方に去るが、30分ほど歩くと再び近づいてくる。対岸の丘陵にはアイリスオーヤマの工場が見える。このアイリスオーヤマをはじめ、ホーチキ、ケーヒン、アルプス電気と、角田には大工場が結構多い。
しかしながら、私の歩いている主要地方道は田んぼだらけで単調そのもの。そろそろ刺激というか変化が欲しいなと思っていたら、主要地方道からやや東に外れたところに集落が見えたので立ち寄ることにする。角田市東根地区の中心・平貫の集落だ。小さいながらも理髪店や小学校もあり、それなりにまとまっている。小学校には自転車置場もあった。どうやらここの小学校では、自転車通学が認められているらしい。確かに、槻木大橋から平貫までは私の足で丸1時間かかるし、この辺りにはバス路線もないし、自転車通学も致し方ないかな、とは思う。そうか、主要地方道の整備の良さはこの地域の通学事情も影響しているのかと一人合点する。
集落の南はずれには、郵便局があった。名前は「磐城東根郵便局」。そうだ、ここは昔、磐城国だったんだ。もっとも、東北地方の旧国名は1868年に定められた比較的新しいものだが、槻木大橋は磐城と陸前との境界にはふさわしいな、とふと思った。
郵便局の付近で、主要地方道亘理大河原川崎線が合流。更に先ほど別れた丸森柴田線も合流する。交通量がにわかに増えるが、ここでも歩道が整備されており、歩くのには全然支障がない。阿武隈川にも近いので平坦な道を歩いていると、前方に本日二本目の橋・東根橋が見えてきた。東根橋もまた、長い橋である。この橋は車道橋と歩道橋とに別れており、私は歩道橋を歩いたので、余計に細く、そして長く感じる。
東根橋を渡ると国道349号線に合流。昨年4月15日にも歩いた道だが、ほかに選択肢がないので、ここを歩く。新校舎の建設が進む市立北角田中、ホーチキの大きな防災研究所の前を通り抜ける。
そのホーチキの前にある交差点を、左折。国道よりも立派な道だ。もちろん歩道もついている。この道は、現在は国道に指定されていないものの角田バイパスと通称され、角田の新しい動脈となっている。通行量も、国道より多い。しかし、沿道風景は、田んぼ、また田んぼ。バイパスではおなじみのロードサイドショップは殆ど見当たらない。あまりに退屈で飽きてきたので、集落を探しに再び脇道へ。
行き当たりばったりに入った脇道だが、歩いていたら結構私好みの集落に出くわした。家々の表札を覗き見すると佐倉字一本木町という所らしいが、街村状になっているのだ。角田市いえば街道、宿場の類とは無縁で集落も散村状というイメージがあったのだが、こういう集落もあったのか、とある意味新鮮な気分になった。一本木町の南には宿の町なんて名前の集落もあったし、この道路は角田と仙台(奥州街道)とを結ぶ街道の宿場町であった可能性もあるのかな、と想像をめぐらせる。
宿の町辺りから住宅が増えてくると、バイパスが再び合流。沿道にはケーヒンの大工場、更には中島工業団地と称する工場が密集する一角があり、バイパスもそれらしい姿になりつつある。特にケーヒンは沿道に工場を三つも構えており、角田バイパスの大得意様だ。社名がケーヒン(=京浜)なだけに、ちょっと不思議な気がする。
そのケーヒンの角田第一工場の前を過ぎたあたりから、ようやく沿道にロードサイドショップが増えてくる。大河原や白石と比べると規模は小さいが店自体はそれなりに揃っており、角田の意地を垣間見たような気がする。
ロードサイドショップ街の真っ只中にある角田警察署前の交差点を左折すれば角田橋を渡ることができるが、時計を見ると散歩開始から3時間近くが経過しているので、右折して角田駅へと向かう。角田橋、枝野橋については、別の機会に渡ることにしよう。