2008年9月13日 ~陸前浜街道初散歩~

今日は、急に休日となった。
こういう日はえてして散歩には出かけず日がな自宅でまったりしていることが多いのだが、このところ散歩の間隔が開いているので、出かけることにする。
行先は、宮城県で唯一未踏のまま残っている阿武隈橋。岩沼駅から2キロほどしか離れていない所にあるが、ただ橋を渡るだけではつまらないので、陸前浜街道を歩いて亘理町を縦断しようかと考えている。
午前5時半に起床。いつも通勤で利用している桑折駅6時29分発の下り列車に乗って岩沼へ。通勤時は寝て過ごすことが多い車内だが、散歩となるとアドレナリンがみなぎるのか、眠気はまったく覚えなかった。
定刻7時17分に岩沼駅に着き、広い構内を出て散歩をスタートさせたのが7時17分のこと。最初は岩沼の街中を歩く。駅付近から竹駒神社までの約1キロが商店街、神社から阿武隈橋までの約1キロが住宅街となっており、「さて、いよいよ最後の橋だぞ」との臨場感には若干欠ける。この辺の雰囲気は、岩沼側から歩くと「渡れそうで渡れない」感覚を味わえる河口近くの亘理大橋の方がはるかに勝っており、この橋を昨年に渡ってしまったのは失敗だったかな、と思う。
でも、阿武隈橋が立派な橋であることには変わりはない。2車線の幅員ではあるもののさすが一桁国道の橋だけあって交通量も多い。ただし、歩道は片側にしかなかった。将来の4車線化に備えての措置だろうか。眼下に見える阿武隈川は、幅が広い上に水深も深そうだ。やはり東北地方有数の大河であることを実感する。
8分ほどかけて橋を渡った先は、亘理町。ここから先は、国道6号線の前身である陸前浜街道の跡をできるだけたどってみたいと考えている。この街道は仙台藩の重要な領内道、そして磐城平藩や相馬藩の参勤交代路であり宿駅も整備されていたのだが、奥州街道羽州街道と比べると若干影が薄い。逆にそれだけに、実際歩いてみてどんな風景が展開するのか、楽しみな部分もある。もっとも、正直なところ資料など調べる時間がなく街道がどこを通っていたのかわからずじまいであり、国道6号線の旧道を街道に見立てて歩くことにはなるのだが。
阿武隈橋を渡るとすぐ、国道よりやや細い道が左に分岐し、そのまま国道と並行している。どうやらこれが旧道のようだ。橋の南詰には道路に沿って今泉の集落が展開し、亘理町民バスの路線もこの道路を経由する。ひょっとしたら阿武隈川に橋がかかっていなかった頃、今泉の集落は渡船場としてそれなりににぎわいを見せていたのかもしれない。とりあえずそう思うことにして、やや強引に街道気分を高揚させる。今泉の集落が尽きてきたところで右折し、国道の反対側へ。そのまま700メートルほど歩くと、上の町の集落に入る。
上の町は、今泉よりも宿場町らしい雰囲気を残していた。道路の両側に展開する家々の敷地も短冊状。岩沼と亘理の間に宿場町があったとの記録は残っていないが、両者の間は9キロほど離れているので、ひょっとしたら上の町は間宿(あいのしゅく)のような存在だったのかもしれない。
離れているといえば、常磐線もまた、岩沼と亘理との間には長らく駅がなかった。上の町から1キロほど南方の地点に信号場が設置されていたので地元住民から駅昇格への要望は出ていのだが、国鉄時代の宮城県内の常磐線は全線が水戸鉄道管理局の管轄であり、本拠地から遠く離れた地域での新駅設置には消極的。信号場の地点に新駅・逢隈駅がようやく設置されたのは今からちょうど20年前の1988年。常磐線宮城県内の区間JR東日本の水戸支社から東北地域本社(現・仙台支社)に移管された直後のことであった。その駅前を通る。開業当時から今に至るまで駅舎のない無人駅ではあるが、周辺には新興住宅地が展開しており、利用者はそれなりにありそうだ。
逢隈駅の南側で踏切を渡り、常磐線の西側へ移動。黄金色の穂が出て稲刈り近しを思わせる田んぼの中を歩く。亘理町は地元ではイチゴの産地として知られているが、それらしい区画は見当たらない。再び国道6号線を横切り、いよいよ亘理の街中へ。国道との交差点近くでは「はらこめし」の看板を掲げた和食レストランがあった。鮭の親子丼であるはらこめしは、イチゴとは違い逆にこれからが本番。それにしても、イチゴといいはらこ飯といい、稲作一辺倒の宮城県の中では亘理町は農水産物に恵まれているように思う。
田んぼばかりだった風景から住宅が徐々に増えてくると、亘理の街。伊達政宗重臣であり従弟でもあった伊達成実の城下町だけあって街並みにもそれなりの期待を寄せていたのだが、やや期待外れ。中心商店街は亘理駅に近い五日町とその南の中町ということになるのだが、活気も特徴もない個人商店がダラダラと続くだけ。城下町らしさを見せる古い家屋も殆ど見当たらなかった。五日町と中町の間にある枡形(クランク)が、数少ない名残といったところだろうか。
亘理の街を過ぎると、再び国道6号線と合流。ここからしばらくは、ほぼ国道=街道のようだ。阿武隈高地の末稜がいつの間にやら国道のすぐ右手まで近づいており、右側は丘陵、左側は田んぼという景観となる。国道は丘陵の末端を通っているので田んぼよりやや高い位置にあり左側の眺望はそれなりに良いのだが、1キロほど先で現在工事が進んでいる常磐自動車道の築堤があいにく視界を阻んでいる。しかも、常磐線の線路が、いくら探しても見当たらない。築堤の向こう側だろうか。散歩の終点を常磐線浜吉田駅に設定していたので、距離が離れているのを目の当たりにしちょっとがっかりする。そんな感じで2キロほど歩くと、左側に旧道が分岐。間宿だった横山の集落へと至る道だ。なお、横山に入る直前で、行政区画が亘理町から山元町へと変わる。
間宿とはいえ宿場町だから横山を堪能したいと思ったのだが、残念なことに集落の北端で浜吉田駅への道が分岐している。名残惜しい気分で街道を後にする。機会を設けて横山以南を訪れたいと思う。ちなみに、分岐点の角には、福島県南相馬市に本店があるあぶくま信用金庫の山元支店がある。地域密着型の信用金庫で本店所在地以外の県に支店があるのは非常に珍しい。
田んぼの中の道を歩き、常磐自動車道の築堤をアンダークロスして、10時15分、浜吉田駅着。駅自体は小さかったが周辺には新興住宅地もあり、仙台への通勤圏はここまで広がっているのかと驚かされた。