2008年12月8日 ~郡山市内うろうろ~

今日は休日。今秋以降足を運ぶ機会が増えている郡山市富田町の親族宅に、今日も行くことになった。
ここまでは9月27日にも郡山駅から歩いているが、今日もまた、違ったルートで歩いてみたいと思う。
選んだのは、郡山駅近くから延びている県道荒井郡山線。一見あまり特徴のない県道だが、1886年に郡山と会津地方とを結ぶ「会津街道」(会津側では「安積街道」)として開通した経緯を有する。前年に開通した「三春街道」(郡山~三春~小野)と並び郡山と会津浜通りとを結ぶ交通路の嚆矢であり、極論すればこれらの道路の開通がなければ郡山が福島県内における交通の要衝となるのは難しかったのではないかと思われる。
その意味では安積疏水同様に郡山にとっては尊重すべき歴史遺産であるはずなのだが、現在の県道荒井郡山線は、残念ながらこれに相応しい扱いを受けていない。郡山側の起点となる大町の奥州街道との分岐点こそ「右 奥州街道 左 會津街道」と書かれた石碑が建てられているものの、あとは若干うらぶれた感のある細道である。一応県道の指定は受けているしバスも走りクルマの通行量もそこそこあるのだが、歩道はおろかセンターラインすらない始末。逆にそれが昔の街道らしいと言えなくもないのだが、それは歴史遺産の保存でも何でもなく、ただの放置である。
逢瀬川を渡り、スプロール現象でできたと思しきパッとしない古びた住宅街を通り抜けると、右手から磐越西線の線路が寄り添ってくる。まずは踏切を渡るが、その後街道は喜久田駅付近までの約6キロにわたって、線路とつかず離れずの関係を保ちながら北西へと進む。ちなみに、踏切の名前は「第一越後街道踏切」。この街道に「越後街道」の通称もあるとは踏切を渡るまで知らなかった。
踏切を渡ってしばらく歩くと、右手に奥羽大学のキャンパスが見えてくる。かつてはアントン・ウィッキーが教授に就任した(現在は退官)ことで全国にそれなりに名前を知られた大学だが、現在はOBおよび在学生で構成されたバンド・GReeeeNがブレイクしたことで、再び注目されつつある。メンバーは現在も郡山在住というから、歩いていれば誰かに会えるかな? いやいやそれはさすがにないだろうけど、少なくとも「GReeeeNが住む街」の雰囲気は味わえる。そう言えば、という訳でもないだろうが、沿道の雰囲気も、奥羽大学から先は新興住宅地に変わりつつあるようだ。道幅も広くなり、沿道にはなじみのロードサイドショップが並んでいる。弐萬圓堂の至近にパリ・ミキ、ツルハドラッグの至近にマツモトキヨシと、同業者同士の競争も盛んなようだ。そんな風景が、あさか野バイパスをアンダークロスするまで続く。バイパスから先も、宅地の数こそまばらにはなるものの区画整理が進んでおり、そう遠くない将来には瀟洒な住宅街へと変貌を遂げるのだろう。
しかし、にも関わらず、街道と並行する磐越西線の方は、ただただ電車が通過するだけ。なにしろ郡山~喜久田間の7.9キロもの間駅がないのだから、目の前の乗客をみすみす逃しているとしか言いようがない。単線とはいえ郡山と会津とを結ぶ幹線かつ観光路線であり1時間に1往復は列車が走っているのだから、新駅設置の話があっていいはずだ。調べてみると「郡山北駅」と仮称された駅を設ける計画は一応あるようだが、一つだけなんてもったいない。地図で見たところ、奥羽大学付近、ヨークタウン郡山八山田付近、そして喜久田駅の南に広がる郡山卸団地付近の3ヶ所は欲しい気がする。実は今回の散歩はそんな予備知識を携えてのものだったのだが、実地見分の結果も、前二者に関してはやっぱり駅があった方がいい。そうすれば、私だって磐越西線に乗って富田町まで行けるのにと、ふと思う。
前方に東北自動車道の築堤が近づいてくると、区画整理地が尽き、田園地帯に入る。築堤の更に先には卸団地の倉庫、そして安達太良山が見えている。9月に富田町まで歩いた時にも思ったが、郡山からの安達太良山の眺めは、二本松のそれよりもきれいだと思う。
築堤をくぐると卸団地。実はここまで歩いてしまうと目的地から行き過ぎてしまうのだが、時間に余裕があったので立ち寄ってみた次第。人気が少なくどことなく寂しい雰囲気ではあったが、従前は磐越西線の西側にしかなかった団地が東側にも拡張されており、それなりの発展は見せているようだ。ここに勤める人たちにとっても、駅があると多少は便利になるのではないだろうか。
磐越西線を跨ぐ陸橋が団地の北端にある関係で、線路の東西共に団地をくまなく見て回った形になった末、南西端に位置するトラックターミナル付近から国道49号線に入る。目の前には東北自動車道の郡山IC。ここを過ぎると、目的地は間もなくである。