2009年3月13日 ~二つの「会津街道」を歩く~

今日もまた平日だが休日。これを利用して昨秋以来何度か足を運んでいる郡山市富田町まで行こうかと考えている。午後2時に同所で人と会う約束があるが、それまでの時間は自由。と言う訳で、今週二度目の散歩と相成った。富田町までの散歩は昨年12月19日以来で、通算4度目になる。
ルートであるが、これまでは短めだった富田町までの散歩を反省した訳ではないのだが、出発点を思い切って本宮駅とした。ここから二本松街道(主要地方道本宮熱海線など)を歩いて本宮市西端の岩根まで出た後、南下して昨年12月8日にも歩いた安積街道(県道郡山荒井線など)を経由し富田町へと至るルートで、総延長は16キロほどとなる。
ちなみに、「二本松街道」「安積街道」はいずれも会津地方から見た名称であり、中通り側の名称はいずれも「会津街道」(「越後街道」とも)。そんな訳で、今日は二つの会津街道をたどる行程となる。
午前8時に起床し自宅でしばらくゆっくりした後、出発。桑折駅10時01分発の電車に乗り、福島駅で乗り換えて本宮駅10時56分着。この駅を起点とする散歩は昨年8月9日以来となる。まずは駅前から奥州街道に出、300メートルほど南に歩くと二本松街道への分岐点。近くに「会津街道入口」という名のバス停があり比較的わかりやすい追分ではあるものの、分け入るとすぐに東北本線の線路で分断されてしまう。幸い地下歩道が設けられているので歩行には支障はないが、若干興ざめではある。
線路を渡った先も、しばらくは住宅地。表札を見ると、「国分(こくぶん)」という苗字が目立つ。他地域ではあまりお目にかかれない本宮近辺の苗字と言えば「野内(のうち)」「椎根」あたりだと思うが、この国分氏も、列に加えていいかもしれない。でも、ここでちょっと疑問が。国分氏は一般に国分寺及びこれに起源する地名から姓に至ったものとされるのだが、本宮近辺では国分寺が設けられたという記録は確かないはず。すなわち苗字だけが浮いた形になっている次第で、どういう経緯で国分氏が本宮近辺に定着したのかは、興味が湧くところだ。
国道4号線も地下通路でアンダークロスすると、景色が住宅地から田園地帯へと変わる。もともと強く吹いていた風が、遮るものなく我が身に吹き付けてくる。持参していたマスクと手袋を、ここで装着する。
もっとも、国道4号線を渡った先3、4キロの区間は、東北自動車道とほぼ並行する形である。本宮ICも近いので、沿道には工場や流通センターの建物も目立つ。道路もまた、特に本宮IC付近はきちんとした歩道が設けられており、歩きやすくはあるものの街道としての魅力は減殺された形である。街道から少し離れた丘陵には、新興住宅地もみられた。駅からも学校からも遠いのにそんな所にどうして…と思うが遠目で見た限りでは新しい住宅がびっしりと立て込んでおり、本宮のベッドタウンとしての適性の高さがよくわかる。
その新興住宅地から1キロほど歩くと、本宮市岩根の中心集落であり二本松街道の宿場町でもあった苗代田。宿場町は、県道から北に分岐する旧道沿いに展開している。他の集落と比べるとやはり古い住宅が多いが、どういう訳かその大半の屋根が板葺の入母屋造りだったりするから面白い。入母屋造りは納得できるが板葺というのは何故だろう。新しい住宅に比較的瓦屋根が多いので豪雪地帯でもないと思うのだが。
10分ほど歩くと旧道は再び県道と合流する。いつの間にか両側には丘陵、そして五百川が迫ってきている。この川の向こうは郡山市だ。磐越自動車道をアンダークロスすると再び旧道が分岐するので、そちらを通る。羽瀬石、下樋(さげひ)という二つの集落で構成されているこの界隈は、宿場町ではなかったものの、1889年の市制・町村制の施行までは独立した村であったせいかそれなりに住宅がまとまった地域であった。そしてやはり、古い住宅の屋根は板葺の入母屋造りであった。
集落を出はずれると、五百川を渡る。二本松街道は五百川を渡らず次の宿場町である横川へと向かうのだが、ここで川を渡っておかないと午後2時のタイムリミットに間に合わない可能性があったので、苦渋の選択。続きは機会を改めて、としよう。
五百川を渡ると、行政区画は郡山市となる。迫っていたはずの丘陵がかなり後退しており、前方には磐梯熱海の温泉街がぼんやりと見えている。今度は磐梯熱海も歩くんだなと名残惜しい気持ちで、交差点を左折し南へと向かう。歩くは郡山西部広域農道である。田んぼのただ中を1キロちょっと歩くと、前方に磐越西線の線路が見えてくる。こんな近くに線路があったのかと驚く。そして線路の脇には郡山市喜久田から磐梯熱海にかけては安積街道の後身となる国道49号線。農道と国道の交差地点だから当然アクセスはあるものと思う。
ところが予想に反して、農道は線路と国道をまとめてアンダークロスしてしまい、接続道路もないまままっすぐに南へと向かってしまう。前方には待池台の工業団地。このまま歩くとどこに出てしまうのか皆目見当がつかない。とりあえずは、国道にたどり着かなくては… 焦った揚句農道脇から出ている畔道をウロウロ。距離と時間を完全にロスしてしまったが、偶然にも畔道の脇を流れる用水路が安積疏水だったりと、意外な発見もあった。
一の谷というバス停の近くでようやく国道に合流。昨年12月8日にに郡山から富田町まで歩いた安積街道を、今度は逆方向から富田町へと向かうことになる。はじめは片側1車線だったが、1.5キロほど歩くと片側2車線となる。卸団地や東北自動車道の郡山ICが近いが故の拡幅と思われるが、ここで国道の喧騒を離れ、郡山市喜久田町の中心である堀之内の集落へと入る。安積街道もこの集落を通り、県道荒井郡山線へと至っている。堀之内は安積街道の宿場町ではなかったはずだが意外にも古い住宅が多く、下手な宿場町よりも「らしい」雰囲気を残していた。ただし、家々の屋根は殆どが瓦葺。やはり苗代田や羽瀬石、下樋と比べると、集落の成立が新しいのだろうか。
堀之内の集落を過ぎ、喜久田駅のちょっと南にある第二越後街道踏切を渡ったところで時計を見ると、もう1時半。タイムリミットが迫っている。ここから先は既に歩いた道で見たい場所も特にないので、歩くスピードを速めた。